新フィールドノート
−その99−



オデュッセイア
名古屋大学情報科学研究科 広木詔三


 二月の初旬に、もう白い梅の花が咲き始めた。梅の香と、なまあたたかい春の感じがする。
 その後、何度か、寒い日が二、三日続くのであった。ゆるんだ陽射しの後の冷たい風は厳しい。
 年を取ると幼少期の記憶を思い出すようになる、とよく言われる。黒沢明監督の一九九十年作の『夢』は、まさしく監督の幼年期の記憶を映画化したものだ。タルコフスキーの多くの作品にも夢を意識化したモチーフのものが多い。彼の幼年時代を作品に化したものに『僕の村は戦場だった』というのがある。夢のような林や湖の世界が広がり、張りつめた緊張感が伝わってくる映画だ。
 一時期、ほとんど夢を見なくなったのだが、睡眠薬を常用するようになって、またよく夢を見るようになった。睡眠薬が効いている間は熟睡しているので夢は見ない。あるとき睡眠薬を飲むのを忘れてしまったことがある。そのときはひと晩中夢を見ていたような気がする。熟睡しないと心臓に負担がかかるので、その翌日はたいへん調子が悪い。
 目覚めるときに血圧の変化が生じるので、正常なときのようにパッと起きることが出来ない。おそらく自律神経が絡んでいるのであろう。何となく起きなければという状態になるまでに、いろいろと夢を見る。ときにはなまなましい夢も見る。湿った砂の上に尻もちをついてしまった夢。その夢はその後いつ思い出してもなまなましい。湿った砂が広がり、その中央にぽっかり穴の開いたようなくぼみ。砂の湿り気の感触。
 よく見るのは鉄道や駅の景色である。同じような夢を見たような気がするのは、あまりにも多くの夢を見たせいかも知れない。懐かしい感じのものもあるが、乗り遅れまいと必死になっているものが多い。プラットホームを走り回る。特急電車に乗り遅れそうになる。どこかの町まで出かけていく。みんな学生時代に見た夢のような気がする。
 今でも現実のように思い浮かぶ場面がある。広い湖が横たわり、湖面すれすれの線路の上を行くのである。不思議なことに電車は意識にのぼらない。フロイトの指摘するように、夢が無意識の現れという場合もあるであろうが、私の考えでは夢は創造である。外界からの情報が遮断された中での情報処理の一環で、その一部が意識として記憶される。驚いたことに、黒沢明のまさしく『夢』という本が文芸春秋社から出版されていることを知った。
 私の夢の中にはある映画館がよく出て来た。私の故郷の家の近くにあったオデオン座という映画館である。今から四十年ほど前にテレビが流行はじめた頃その映画館は廃れてしまった。今ではスーパーに変わっている。
 私が小学校の高学年のときに、十五才年上の姉と一緒にこのオデオン座で映画を見た記憶がある。私は内容がよく分からなかった。でも夢のようにいくつかの場面を覚えている。それがホメロスのオデュッセイアであることをずつとあとで知った。と言っても、今ではだいぶ前のことである。
 ホメロスというのはどこかで聞いたおぼえがあったがギリシャ時代の詩人だということは比較的最近になって知った。いつかこのかけはしに書いてみようとずっと考えていたのだった。今回、この九十九回目のかけはしに原稿を書くにあたって、名古屋大学の中央図書館で調べてみた。
 紀元千四百年頃前に、古代ギリシャをとりまくエーゲ海にクレタ島があり、そこでミノア文明が栄えていた。それからおよそ二百年後に、トロイ戦争が始まり、戦乱の時代が長く続いた。この時代にさまざまな口承叙事詩が伝えられたが、およそ紀元八百年ほど前にホメロスが二大叙事詩としてイリアスとオデュッセイアをまとめたと言われている。しかし、書物としてまとめられたのはずっと後のことだという。紀元三百年頃にアリストテレスが『詩学』や『修辞学』でこれらについて解説をしているそうだ。
 小学生のときに見た映画の断片は夢のように記憶に残っている。一つ目の怪物や船に縛られて海の精の歌を聞く場面である。主人公たちが洞窟から出てきた一つ目の怪物の目を大きな棒でつぶしてやっつけるのであった。それから主人公であるオデュッセウスは、船で航海をつづけるのだが、他の者には耳に栓をさせ、自分は船に縛り付けられて海の精セイレンの誘惑の歌を聞くのであった。
 ギリシャの神々は、戦争に明け暮れる愚かな人間どもを罰するがオデュッセウスは許されて国へ帰る。その道々でさまざまな試練に出会う。そして帰国した後に、反逆者たちに復讐するというのがオデュッセイアの物語である。そこには戦乱時代を経たギリシャ時代における人間の愛や道徳が籠められている。
 私はホメロスの作品そのものを読んだわけではなく、解説を読んだだけである。しかし、子供の頃に見た映画の意味を理解できるようになり、また、ギリシャ時代をより身近に感じた。
 かつて、私は一般教育の講義の中で、学問の発展の歴史に位置づけて、しばしばアリストテレスを紹介してきた。アリストテレスは動物学の祖というだけではなく、ギリシャ時代の哲学を集大成した偉大な人物である。アリストテレスの考えた目的因というのは、新羅万象に働く原因であるが、デカルト以来、物体の運動にはこの目的因は不必要となった。生き物は目的を有するように見えるが、これは自然選択によって進化の過程で獲得されてきたものである。
 ところで、ルロワの『ヒトの変異』という本を最近手に入れた。人体の遺伝的多様性についてまとめた本であるが、さまざまな奇形が紹介されている。その一つの例として、一つ目の奇形が挙げられている。一つ目の人間の死産児の写真も載っている。ギリシャ神話のキュクロプスの話も引用している。
 このルロワの本には、新たな視点からキュビエとジョフロワ・サンチレールの論争も紹介している。この論争の話は、学部の三年生のときに発生学の授業で聴いた記憶はあるが、何のことだかまったく理解できなかった。ルロワによると、ジョフロワは脊椎動物の脊椎と節足動物の外骨格が同じものだと言い、当時の解剖学の権威であったキュビエに論争で手厳しく批判されたという。
 だが、近年のホメオティック遺伝子の働きの解明から、ジョフロワのアイデアの一つが復活しつつあるという。脊椎動物も節足動物も共通の祖先から分かれたのであるから、外見は著しく違っていても、何らかの相同性があってもおかしくない。いちど否定された説が、新しい視点から再生するという出来事は、科学史上よくあることである。
 同様のことがキュビエについても言える。キュビエは地層から出る化石が連続していないことから、生物は絶滅と創造を繰り返したとする、いわゆる天変地異説を主張したことで有名だ。現代の進化論では否定されているキュビエの視点はグールドの断続平衡論として、現代の進化論に生かされている。まだ論争は続いているが。
 学生時代、生物学一般に不得手な私は、とくに発生学が苦手であった。それでもキュビエとジョフロワの論争ということは記憶に残っていた。その論争を、今では現代生物学の観点から理解しうる。感慨深いものがある。
 歴史は創造的に再生されることがある。子供のときの記憶がギリシャ時代という歴史に照らして意味付けられた、ということもそれと似ていなくはない。


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