新フィールドノート
−その97−



浅間温泉
名古屋大学情報科学研究科 広木詔三


 黒木和雄監督の映画「父と暮らせば」を見た。
 会場は工学部二号館三階の名古屋大学職員組合の一番奥の部屋である。今から三ヶ月ほど前の、七月二十八日の午後六時二十分であった。原水爆禁止世界大会実行委員会と名大職組との共催の映写会であった。
 それなりに広い部屋だが、書類などが積まれて雑然とした感じの組合室で、明かりが消える。一方の壁の上の方からスクリ─ンが静かに降りてくる。
 プロジェクタ─につないであるパソコンのスイッチを押すと、映像が画面に映し出される。パソコン上のアイコン等がスクリ─ンの一番下に映っているが、それは次第に気にならなくなる。
 やや暗い感じの画面と、最初は俳優の言葉も聞き取りにくく、画面に溶け込むまでに少し時間が掛かった。菓子パンが配られて、包み紙を破る音などがして、画面に集中しにくかった。
 映画は最初、何か芝居がかっているという感じがした。というよりも芝居そのものを見ているような感じだった。わざわざ芝居のように作成した映画であることは後で分かった。父親役の原田芳雄は俳優というよりも役者という感じだ。俳優が原田芳雄だというのは、映画が終わってから、書記局の塩田さんに解説を聞いて知ったのだった。
 父親はどうも死んだ人らしい。最近、娘の家にちょくちょく遊びに出て来るらしい。そのうち広島弁ということがわかり、言葉も気にならなくなる。図書館の受付係の仕事をしているという。最近、若い物理学者が図書館に原爆の資料を探しにやってきたという。どういうわけか、まんじゅうをくれたそうだ。娘は単なるお礼だろうと言うが、父親は饅頭には意味がある、と言う。「おとっつあんは饅頭に意味を求めすぎます」と娘は非難する。
 死んだ友人のことや、何よりも父親を見捨てたという罪の意識で、幸せになってはいけんのだ、と娘は自分に言い聞かせている。もう一方で、若い物理学者が好きだという気持ちを抑えている娘の心を父親が見抜いている。父親と娘の感情をぶつけあうやりとりがとてもいい。
 心の傷を乗り越えて、娘は、最後に父に向かって「おとっつあん、ありがとありました。」と言う。そして突然、娘役の俳優が宮沢りえであることに私は気づいた。
 ところで原作は井上ひさしだという。これにもまた驚いた。
 早速、原作を買って読んだ。会話の内容が、ほとんどまったく映画と原作が同じというのも珍しい。黒木監督は原作に忠実に映像化している。
 映像は文字とは異なる美しさがある。娘と若い物理学者が海岸近くのクロマツ林を二人で歩く場面なんて、夢のような雰囲気だ。最初、画面が暗く感じたのも、原爆が落とされた過去を象徴しているとも思える。
 井上ひさしは、文庫本の『父と暮らせば』で自ら解説を加えている。娘の相反する気持ちを演劇的手法で、娘と死んだ父親とに分け与えたのだ、と。ついでに独自の演劇空間論についても講釈している。
 私が学生時代「青葉繁れる」という本が出て、可笑しな本を書く人だという印象があった。
 あるとき井上ひさしの書評をたまたま新聞で読んだ。そのときである。文章のうまい人だなと感じたのは。私の手元に、小関智弘の朝日新聞社発行の『大森界隈職人往来』という本がある。書評で実際に本を読んでみようという気になったのだった。東京の下町における親子三代の旋盤工の話である。井上ひさしの書評そのものはもう覚えていないが、この本は拾い物だった。
 いまは、忙しい時代。書評を読んで本を読んだ気になって済ませる時代だ。でも、井上ひさしが書いた書評だったらどうだろうという気がする。
 その頃出た『吉里吉里人』も単行本でもっている。
 何気なく、息子の部屋を覗いたら、桐原良光の『井上ひさし伝』(白水社)が目に入った。こっそり借りて読んだ。そうすると、井上ひさしの本を実際に読んでみたくなった。
 それからである。古本屋が目にとまると、井上ひさしの文庫本を漁りはじめたのは。『私家版日本語文法』をはじめ『自家製文章読本』さらには『モッキンポット師の後始末』などをむさぼり読んだ。母親である井上マスの自伝『人生はガタゴト列車に乗って』も手に入れた。まるで活字中毒症に落ちいったみたいだった。
 昨年来、私は自信喪失で鬱々していた。去年の三月に、K 君が修士課程を終えて卒業した。彼は遺伝子解析でアベマキとクヌギの雑種を識別することを目的としていた。それは見事に失敗した。保険にかけた外部形態で何とかまとめた。アベマキの葉裏には星状毛という微細な毛がびっしり生えているので真っ白に見えるのに対して、クヌギには星状毛はなく緑いろをしている。この星状毛がまばらに存在するものを雑種と見なすと、名古屋から飯田を経て信州の松本にかけて、アベマキからクヌギへと分布が移りかわり、その途中で雑種が多く出現する交雑帯を見いだしたのだった。
 このアベマキとクヌギの交雑帯に関する論文を仕上げるのに丸一年を費やしてしまった。
 それからM君の残していった書きかけの論文を仕上げるのに今年の夏までかかってしまった。
 論文は、かけはしに書いている文章とはまったく異なるのである。しかも英語は日本語とまったく性格が異なるのである。そういうことは当然知っていた。
 本当は、研究に対する意欲の問題かもしれない。
 井上ひさしの本を読んでいるとほんとうに面白いと思う。有名な柳田国男の『遠野物語』は読んでいないが、井上ひさしの『新釈遠野物語』で、それを読んだ気になれる。井上ひさしの文章は面白いだけではなく、その背後に批判精神が潜んでいるのである。『遠野物語』は中央の人間が地方の遺産を奪ったとひさしは見ている。それに対して、『新釈遠野物語』は地方の昔ながらの会話体になっている。
 『宮澤賢治に聞く』なども手に入れた。そのうち本屋にはもう置いてないものが多くなった。伊能忠敬を描いた『四千万歩の男』は、名古屋駅地下街の三省堂では、いつ行っても第一巻が欠けたままになっている。
 十月の初旬に、松本で開かれた植生学会に出席した。市内の比較的大きい書店には、井上ひさしの本が一冊も置いてないのには驚いた。文化が違うのか、あるいはもう読む人がいないのかは分からない。
 話は変わるが、松本の信州大学より先に行くと浅間温泉という温泉街がある。昔、この温泉街に泊まって、その裏山を歩き回った記憶がある。クヌギ林が広がっていたが、現在は宅地が丘陵のすそまで迫っている。現在は、申し訳ていどに、クヌギの林が残っていた。
 その先の神社の鳥居をくぐって、石段を登って行った。すると、道が斜めに縦横に走っている。大きなアカマツは残して、木を伐ったらしく、上の方まで見通しがきく。
 身軽にと思ってふと手提げを置いた。ほんのわずかな時間だ。その後、何度行ったり来たりしても、登ったり降りたりしても、手提げは見つからない。斜面の中腹で、吊り橋と赤い鳥居がある。その間は百メ─トルもない。まるで「千と千尋の神隠し」に会ったみたいだ。午後には学会の運営委員会がある。いくら焦っても、同じところを行ったり来たりするばかりである。『新釈遠野物語』に出てくるキツネにばかされた気分になる。
 手提げは、も一つ下の斜面を曲がったところにあった。


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