新フィールドノート
−その95−



カンブリア紀の大爆発
名古屋大学情報科学研究科 広木詔三


 今年、つまり二00六年は、梅雨に入るずいぶん前から雨がちで、初夏から梅雨に突入したようなのだ。来る日も来る日も降る大粒の雨はどうみても、三月から四月にかけて降る菜種(なたね)梅雨どきに降る雨とは感じが違う。その後六月に入って晴れた日が続くようになり、名大祭の期間中もずつと晴れたのだった。かつては名大祭というと、いつも雨にたたられていた時期が存在したのが嘘のようである。
 ようやく沖縄で梅雨入り宣言がなされ、しばらくして忘れかけた頃に名古屋でも雨が降り始めた。この時期は、紫陽花(アジサイ)があちこちの庭に咲く。梅雨どきには紫の花の色が映える。
 今日は六月二十二日の木曜日。雨の中、北部生協の「ゆうどん」へ赴く。生協教職員理事主催のビア・パ─ティの招待券を手に入れたのである。私もかつて、理事を努めていた時期がある。かけはしの原稿を仕上げるために早めに引き上げたが、雨はまだ降り続いている。いつまで降り続くのだろうか。この原稿が日の目を見るころには、梅雨は明けているだろうか。
 パソコンや携帯電話の普及で活字文化の衰退が懸念されていたが、新しい本の出版は後を絶たない。目から鱗という言葉があるが、まさにそれに相応しい本が現れた。アンドリュ─・パ─カ─の『眼の誕生』である。
 古生代の最初の紀であるカンブリア紀に現生につながる多くの動物門が出現したことは有名な出来事である。その現象が生じた理由は謎であった。パ─カ─によれば、それは眼の発明がなせる技だというのである。光学にも造詣の深いパ─カ─は、カンブリア紀の海が暗闇に覆われていたのではなく、光輝く色とりどりの世界であることを明らかにした。複眼という独特の構造の眼ではあるが、当時すでに多様な色彩を識別しうる能力を獲得していたことをパ─カ─は実証したのである。
 三葉虫を含む節足動物が主役のカンブリア紀には、食うものと食われるものが、眼を通じて、多様な共進化を遂げさせた、というのが彼の考えである。捕食動物は獲物をもとめて眼が前方を睨むが、被食動物は、自分の餌を探すと同時に、捕食者を警戒するために眼球を前後に動かせる飛び出した眼をつけるという。そう言えば、現存の蟹の眼は突き出していて、前後左右に回転できるようになっている。
 パ─カ─の新説は、節足動物の多様性の起源は説明しうるが、現生につながる多くの動物門の出現までは説明しえない。私たちヒトは、現在の分類体系によれば、脊椎動物亜門に属し、ホヤ(尾索動物亜門)やナメクジウオ(頭索動物亜門)を含めて脊索動物門にまとめられている。この脊索動物の祖先と見られているピカイアという名の化石がすでにカンブリア紀の動物化石の一群の中に認められている。節足動物の大繁栄のかげにひっそりと生息していたらしい。カナダのロッキ─山脈の一画のバ─ジェス頁岩という堆積岩の中で見いだされた数多くの動物相は、数年前に亡くなったステファン・ジェイ・グ─ルドの指摘の重要性を示している。彼は、生き物の進化はなだらかなはしごを登るようなものではなく、ときどき急激に、そしてしげみのように多様に適応放散するものだということを、強調してやまなかった。
 生物の進化の過程において、突然変異と自然選択は重要な役割りを果たすけれども、それだけですべてを説明しようとする狭い進化観に、グ─ルドは常に警告を発してきた。新しく種が誕生するときは比較的急激で、いったん生じた種はそれほど大きな変化を遂げないという彼の断続平衡論は、さまざまな批判を浴びながらも、今なお生き物の進化の歴史に対する見方の重要な刺激の一つとなっている。
 ダ─ウィン以来、生物は長い時間をかけて徐々に進化したという考えが浸透してきている。確かに生命が誕生してから三十八億年という夢のように長い時間が経過している。しかし、その三分の一以上は、バクテリアという単細胞の生物が地球上を占めていたのである。バクテリアといえど極めて複雑な構造と機能を有しているが、遠い過去の地球上を想像すると、生態系としてはごく単純なものであったであろう。現在は古細菌と真正細菌という二大グル─プが存在していることが知られている。これらのバクテリアの祖先は、水中では三次元的に存在しえても、地表では数十ミクロンという薄い膜のような状態で平明的に広がっているだけに過ぎない。もちろん、バクテリアがいつ陸上に進出したかは今のところ知り得ない。
 いまからおよそ二十億年前後に真核生物が誕生したと化石から推定されている。現生の多細胞生物は、このときに起源した真核生物の子孫であると考えられているから、この真核生物の出現は地球上の生物の歴史における極めて重大な事件と言える。
 この真核生物の起源の説明として細胞共生説が提起され、現在では基本的に受け入れられている。現存の真核生物の細胞に見られるミトコンドリアや、クロロプラスト等の細胞内小器官はもともとはバクテリアだったというのである。真核生物の祖先はミトコンドリアの祖先を食べていたというわけである。
 バクテリアはその系統の種類ごとに独特の特異な能力(機能)を有している。かつては正真正銘の独立したバクテリアだったミトコンドリアの祖先は、当時酸素濃度が増大しつつあった海水中において、酸素呼吸の能力に秀でた能力を獲得したに違いない。真核生物の祖先の実態は明らかではないが、ただ餌を食べるだけのぼんくらな真核生物の祖先が、優れた呼吸能力をもったバクテリアを食べるという、両者のあいだには捕食関係にが成り立っていたと推測される。真核生物の祖先は、ミトコンドリアの祖先を食べているうちに、消化せず、体内に同化させて、その呼吸能力をうまく利用するようになったに違いない。真核生物の祖先と優れた呼吸能力をもったバクテリアとのあいだには食う食われる関係にあったと考えられる。このことは当時の生態系において食物連鎖の関係が存在していたということである。
 ところで話は変わるが、アリス・マンロ─というカナダの女流作家の『イラクサ』という本を手に入れた。九つの短編集の中に刺のあるイラクサをタイトルにしたものがあり、訳者がそれを訳本のタイトルにした。ほろ苦い人生、凝縮した人生、一瞬と永遠。いろとりどりの短編の一つに『なぐさめ』という題のものがある。その主人公に生物学の教師が出て来る。彼がふと取り落とした本は古生物学のテキストで、カンブリア紀の大爆発のことが記されていることが仄めかされている。進化論と対等にキリスト教を教えよという主張や運動が、彼の学校にも及ぶが、彼は信念をもって反対する。マンロ─自身は本の中で自分の主張は出していないが、彼女はなかなかの知識人である。
 話はさらに変わるが、五月二十六日に、名古屋大学で日本教育法学会の公開プレシンポジウムが開催された。教育基本法が変えられようとしているというのだ。恥ずかしながら教育基本法に目をとおしたことがなかった。五月の国会で審議された法案の内容は、国民主体の教育から国家が支配する教育へと変えられようとしている。特別委員会までつくって、国民に知れ渡る前に通そうとしているそうだ。幸い、先の国会では通らず、継続審議となった。だが、戦争のできる国つくりを目指しているという噂は聞いてはいたが、ほんとうだったのだ。大学に干渉する条文も新設されている。 
 今日は、二十七日、日曜日。ビ─ルで一杯やったあとの文章は、かなりの修正を要した。


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