新フィールドノート
−その93−



コンピューターとフィールド
名古屋大学情報科学研究科 広木詔三


 最近、パワーポイント用の機器を一式購入した。これまではまだスライドと OHP のみしか使用したことがないのだった。
 これまで指導してきた院生の多くは、コンピューターの使い方はみな自分でマスターした。私は彼らに教わりたいと思っていたほどだった。
 かつてある人に私は宝の持ち腐れだと言われたことがある。コンピューターをほとんど文章作成にしか用いていないからだった。コンピューターの中にはさまざまな機能が搭載されているようだが、私はそれらをほとんど使ったことがない。
 メールを使い出したのも比較的遅かった。以前、情報文化学部時代に、学部長から、いまどきメールを使わない人間は首だとか脅かされた経験もある。
 何がいやかと言うと、突然、訳が分からなくことだ。にっちもさっちもいかない。途方に暮れる。ただ、やみくもに時間が流れる。そういうのは堪え難いことである。
 野外ではそういう経験はしない。会津磐梯山で道に迷ったことがあるが、途方には暮れたことがない。日が暮れようとしているとき、途方に暮れている暇はない。森林の中をやみくもに駆け足したことはあるが、途方には暮れなかった。命に関わるのである。
 現在、研究発表はほとんどの場合パワーポイントを使う。学生さん用に機器はそろえてあるのだが、私は使用したことがない。パワーポイントを使うためにはウィンドゥズのパソコンを使わなければならない。これまたやっかいなことである。数式や統計にはエクセルというソフトが便利である。そこでかつてウィンドゥズのパソコンに没頭したときがあったが、コンピューターの起動の仕方から始まって何から何まで違う。頭の中が混線してくる。また遠ざかってしまった。
 私はこれまでマックのコンピューターを使用してきたが、何度か故障で買い替えた。当初は起動とかインストールとかが出来なくて、箕浦さんにS O Sを出してその都度救って貰った。かけはしの編集担当の箕浦さんである。つい最近もパワーポイント用の機器を一式購入したことは最初に述べたとおりである。最近の機器はソフトの類いのインストールはわりと自動的に出来るように親切になっている。そのまま最後までうまく行くかと思いきや、もう少しというところで何が何だかわからなくなってしまった。暗闇の中で手探りをする感触とは違う。私の頭の中の情報ではなく、コンピューターの中での情報が途切れているわけだ。このことをコンピューターの中のフィールドになぞらえると、ミヒャエル・エンデの『果てしない物語』に出てくる虚無の世界に飲み込まれたような感じだと言えなくもない。
 話は変わるが、私は水戸という当時人口十万程度のきわめて小さな都市から東北大学に進学した。仙台は比較的大きな都市であった。それでも東京というのは大都会で、行くたびに畏怖を感じたものだった。東京は、スタンダールの『赤と黒』に出てくる若い野心家のジュリアン・ソレルになったような気分にさせるものが当時はあった。
 仙台から東京へ往復で千円かからなかった。当時は学割で半額ということもあった。ただ、鈍行に乗ると片道九時間かかった。高校の同級が法政大学の工学部に進学し、キャンパスが武蔵野周辺にあった。中央線に乗り、東小金井で降りて彼の下宿まで歩く途中、雑木林があった。雑木林を研究の対象にするなどとは当時は夢にも思わなかった。今ではそのあたりには武蔵野の雑木林のおもかげはほとんどない。
 あるときその法政の友人のところへ遊びに出かけたときのことだった。彼は下宿を移ったらしく、会うことができなかった。私が道を間違えたせいかも知れない。私は方向音痴で、大きな空間地図が頭の中で描けないようなのである。でも、仙台から東京に出ると、現場の記憶が蘇る。東小金井の駅を降りると、おおよその彼の下宿の方向が記憶に蘇る。小道を歩くと田畑や家畜小屋や雑木林が記憶と一致してくる。私はフィールドワーカーとして人生のほとんどを過ごしてきたので、森や林で何度も迷ったことはある。でも、都会では迷うというよりも訳が分からなくなることが多い。野外では真剣になり、感覚が研ぎすまされる。都会では標識を探すという別な能力を要求される。
 つくづく東京はおそろしいところだと感じたものだった。学会とかその他で何度も目にすると、小さな都市よりは便利なことが多いだけにすぎないことがわかった。
 ところで、出会いそこねた友人とはどうなったかというと。当時、私は仙台の下宿では風呂が使えず、銭湯というものに通っていた時代であった。面倒で、ふだん銭湯にあまり行ってないものだから、友人と会えず、暇をもてあまして駅前近くの横町の銭湯に入った。すると、偶然、風呂場で親友に出くわした。長い人生には奇妙な出来事もあるものである。
 話はとりとめもないが、これまでも、このかけはしでも、フィールドで迷ったことは富士山での話や、裏磐梯高原や、さらには海上の森(No.百七三)、土岐市の丘陵(No.百七八)、三宅島(No.百七五、百八九)で触れてきた。野外での遭難は命にかかわる。
 理学部の野外実習を担当して一度だけ富士山麓を歩いたことがある。そのときばかりは心配で下見に出かけた。登山道の入り口あたりに風穴があって、観光客も多いのだが、登山道に入ると人の気配がなくなる。巨大な溶岩も目につく。どういうわけかヒノキ等の針葉樹が多い。ふと登山道から樹林に入った。例の青木ヶ原の樹海の一画である。ときどき白骨の死体が見つかる。自殺志願者が入るとも言われている。奥の方では自衛隊が訓練の場に使用しているとも聞く。だからこそ自前で下見に出かけたのだ。それなのに、ひとたび樹海に入ると、方向が分からなくなる。磁石がきかないという説もある。でも私は磁石はもともと使わない。登山道からどれだけ入っただろうか。溶岩の起伏が激しく、真っすぐに進めない。ハッと気づくと、登山道の方向が分からない。慌てると、より深く入り込みそうであった。どれくらい溶岩の上に腰を下ろしていただろうか。どの方向を見ても溶岩の上に針葉樹の世界である。だいぶ時間が経過したと思うが、意を決して少しずつ移動を始めた。何のことはない、十メートルほどの距離にすぎなかった。
 迷ったり、さまよったりするのは、時には命に関わることもある。神経が高ぶり緊張感がある。途方に暮れている暇はない。
 それに対して、コンピューターの世界ではさまよっているのはイメージだけである。途方に暮れざるをえない。じっとしていてひとりでに解決するということもない。つい先日は、箕浦さんにお出まし願ったのはいいが、一箇所電源が入っていなかっただけという恥ずかしい事件もあった。
 慣れれば簡単なのは経験的にも分かっている。慣れるまでがいかにたいへんか。
 群馬県の上野村で農業に挑んでいる内山節という哲学者がいる。彼は、自分では最初は何も出来なかったと言う。村人に手取り足取り作業のわざを教えてもらって少しずつ作業が出来るようになったと言う。
 コンピューターも使い慣れると体の一部のように感じるに違いない。そうなりたいものだ。


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