新フィールドノート
−その87−



岐阜羽島
名古屋大学情報科学研究科 広木詔三


 私は、この二年間、十月初旬の初秋から一月下旬の真冬にかけて、非常勤講師として岐阜県立看護大学に通った。新幹線の羽島駅から歩いて十五分かかる。名鉄を利用すると、名古屋駅で特急に乗り、一宮で急行に乗り換え、さらに笠松から岐阜羽島行きに乗り継ぐ。
 岐阜看護大学は、創立して五年という比較的新しい大学である。学生数も一学年八十人と小規模である。図書館の書棚には、手あかに汚れていない本が詰まっている。看護関係のコ―ナ―がおよそ半分を占めるが、哲学から人類学、さらには環境科学関連の図書も並んでいる。名古屋大学の中央図書館のように、広くて、古めかしい蔵書が無限に感じるように存在しているのとは違って、興味の引かれる本がパッと目につく。名古屋大学にはないものも多い。一例を挙げると、マトゥラ―ナとヴァレラによる『オ―ト・ポイェ―シス』もその一つである。
 「オ―ト・ポイェ―シス」という概念は説明するのは簡単ではないが、生命を自立的で、自己言及的なシステムとして捉えようというものである。このオ―ト・ポイェ―シスという言葉を聞いて久しいが、この概念を提案した著者に出会えたのも看護大のおかげである。
 私がこの看護大に非常勤として依頼を受けたのは、五年以上前、すなわち創立以前であった。森林に関する授業内容を重視していたことと、一般教育を重視するというので引き受けたのであった。実際に講義を始めたのは、看護大が出来て四年後であった。したがって、相手にする学生は、卒業を目前にした四年生である。
 ところで、話は変わるが、皮肉なことに、本務校である名古屋大学では、カリキュラムの改革によって、私の専門とする森林に関する一般教育の授業は消えざるを得なかった。名古屋大学における一般教育に関するカリキュラムの改革の特色は全学で責任を取る体制になり、少人数のセミナ一を取り入れたことである。受講者数が二百人や三百人のマスプロ教育の経験を有した者としては感慨深いものがある。
 しかしながら、わが名古屋大学において、現在のように受講者数が十二名程度という徹底した少人数教育を行うまでは、かなりの時間を要した。
 かなり昔になるが、当初、セミナ一を試行的に始めた時期があった。そのときは選択制で、十名ほどの受講者であった。生命に関して深く学びたいという学生の要望があり、あの難しいシュレ一ディンガ一の『生命とは何か』という岩波新書をテキストとして読了し、議論もしたのであった。
 二年間は、よき思いでのセミナ一であった。ところが、セミナ一が必須になり、受講生が二十五名となった。中には、それでもうまくこなした方もおられたようである。だが、人数が二十五名になると、私は何と能力がないかと思い知らされた。確か、四、五年後に定員が十八名にまで減少したときがある。それでもセミナ一としては成り立たなかった。
 定員が十二名になってからは、とても雰囲気が異なり、とてもセミナ一らしくなった。だが、全学生に対して必須になると、学生に人気のあるセミナ一に学生は殺到し、当然そこは競争が厳しくなる。私のところへ来るのは第二希望以下の学生がほとんどで、かつて経験したような理想的なセミナ一は望めない。
 なかなか議論になりにくいので、サイエンティフィック・アメリカンの英文や、ステファン・ジェイ・グ一ルドの原著を読み合わせたりしたことがある。中には横文字は苦手という学生もいたが、大半はちゃんと読みこなしてくるので感心した覚えがある。
 かく言う私も、サン・テグジェペリの『星の王子様』を大学の一年のときに英語で読んだものだった。大学は異なるが、当時は、英語の授業も百人単位で行われていた時代であった。その英語の授業の一つに、J・D・サリンジャ一の"The Catcher in the rye"があった。高校を落第する落ちこぼれ青年の繊細な心理を巧みに表現したものである。
 話はもとに戻るが、岐阜看護大学では、一年目はたったの七人を相手に授業を行った。OHCやスクリ一ンの自動上下装置やらと、機械的設備は整っているのだが、とても使いにくく、スクリ一ンに映るカラ一の色もよくない。セミナ一が目的ではないので、人数が少ないとやりにくい。しかも広い部屋である。
 二年目は受講者が多く五十名を越えた。すると、当然、おしゃべりが出る。待ってましたとばかり、『星の王子様』を引用する。星の王子様の住んでいる星はとても小さくて狭いので、バオバブの木が三本大きく育っただけで彼の住む場所がなくなってしまうのである。だから、王子様はせっせとバオバブの芽生えを「芽のうちに摘む」。この話を教訓として、おしゃべりも芽のうちに摘む、と言って、おしゃべりに対して警告を発するのである。
 バオバブは乾燥や山火事に強く、サバンナに生育する。サン・テグジェペリは飛行士としてサバンナで実際にバオバブの木を見たことがあるに違いない。
 また、ナチスに占領されたフランスを後に、アメリカに渡ったサン・テグジェペリは、故郷を偲んで夕暮れを見たに違いない。星の王子様が夕日を見るのが好きなのは、彼のそういう思いを映している。
 看護大の学生は大半は女性であるが男子もちらほら混じっている。皆、看護士の資格を取ることを目標にしている。一月に卒業論文を提出し終わると、一般教育科目の試験が待っており、それが済むと、三月末の国家試験に向けて取り組みを始める。
 そういう大変な時期に、私の森林に関する授業が行われているのである。それでも出席率は非常に高い。中には内職をしている者もいないではない。相手は四年生である。一般教育としては理想に近い。看護大の学長は一般教育にたいへん力を入れている。その点は評価したいが、さすがに四年生の後期に、卒業研究と平行しての授業は心が痛む。
 年が明けてからの最初の授業の日、この日は、授業をビデオに撮ることになっている。次年度の学生の授業選択のための資料に使用するという。断ることも出来たが、協力することにした。当日は、私の取っておきのネタがテ一マである。花粉分析をもとに、今から千五百年ほど前からアカマツが増加したことが知られている。また、五世紀後半から焼き物の原料としてアカマツが使われ始めたことが明らかにされている。場所は同じではないが、自然科学的手法と考古学による燃料の解析から、人間の森林への干渉が強まってアカマツが増大した可能性を強く示唆しているのである。
 私は、ビデオ撮影を意識して大上段に解説を始めた。いやにいつもより静かだなと感じて聴衆を見やると、驚いたことに九割近くが下を向いているではないか。おそらく、ビデオは、この授業がいかにつまらないかを示すだけに違いない。私は、思わず、ビデオに向かって叫んでしまった。ビデオで授業の内容が分かるのでしょうかね、と。その日は、私のレポ一トの提出日であり、あとで分かったことであるが、卒論の提出とほぼ重なってしまったのだった。
 岐阜羽島の駅から看護大にかけて、ナンキンハゼの並木がある。緑の葉が赤や黄色や紫と色とりどりになり、やがて葉はすっかり落ちる。そして、帰りの電車から見る外はすっかり暗い。


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