新フィールドノート
−その84−



台風の隙間を縫って
名古屋大学 大学院人間情報学研究科 広木詔三


 今年は台風の当たり年のようである。アテネオリンピッックにおける日本の金メダル数十八個と同じ数の台風十八号がまたも日本列島を襲ったところだ。
 台風十号は七月二十六日頃小笠原諸島に近づき、二十七日、二十八日と伊豆諸島を襲い、二十九日には、高気圧に阻まれて、真西に向きを変え、それから西へ西へと太平洋岸沿いに九州へとゆっくり移動し、そして三十一日に日本海に抜けて熱帯低気圧になった。
 その次に日本列島を襲ったのは、台風十五号で、南西海上からゆっくりと北上し、琉球列島を直撃したのち、北東に向きを変え、日本海に沿って進み二十日には北海道に達した。
 この二十日の時点ですでに、台風十七号が太平洋のはるか南の海上に姿を現していた。
 私は二十四日の釧路行き航空券をすでに購入していた。今年の日本生態学会は釧路で開催されるのだ。台風十七号は直前に西へ逸れ、私は二十四日に名古屋空港を立つことができた。この時点では、名古屋に帰るとき、またもや台風の影響を受けるとは夢にも思いはしなかった。
 釧路空港からバスで市内に入り、ニューキャッスルホテルにチェックインする。ホテルの窓からは釧路川を見渡せる。
 その日は特に予定もなく、ホテルを出て幣舞(ぬさまい)橋を渡る。釧路川の上流は急カ−ブしており、対岸が正面に見える。河岸の上部は小高い丘になっており、そこに色とりどりの家が並んでいる。その日暮れ間近の光景はセザンヌの風景画を思わせる。
 翌日、日本生態学会の自然保護専門委員会に出席し、夜には生物地理学に関するシンポに顔を出す。講演の中で、シジミチョウ科の系統分類と生物地理に関する話を聞いた。シジミチョウの幼虫は、ブナ科の樹木の葉を食べるので、とても興味を引いた。講演中に質問をし、講演が終わった後も議論を続けた。別れ際に、シジミチョウの専門家である小田切さんから、緑色のミドリシジミが描かれた名刺を貰った。
 若い人達に、夜の懇親会に誘われたが、断り、昨日同様、四季彩という寿司屋でサンマの刺身を注文する。新鮮で、これがサンマかと思うほどうまい。
 翌二十六日には、釧路から函館に飛び、函館から特急に乗り、
 野辺地へと向かう。去年、娘と車で回ったとき、下北半島ではブナが豊作だったのであった。ブナの実が六年ほどの周期で豊作になることは知られているが、全国的に同調しないようなのである。昨年、穂高では豊作の予定であったが期待外れであった。
 野辺地から大湊線に乗り換え、終点の大湊まで行く。小さな町で、意外と宿が混んでいる。空いている部屋が見つからない。
 むつグランドホテルで一つ空いているという。シングルはなく、
 スイートルームを通常は三万円のところ一万円で貸すという。大湊線で一つ手前の下北駅まで戻り、タクシ−でむつグランドホテルへ向かう。ホテルは小高い丘の上にあり、とても見晴らしがよい。
 翌日、迎えに来たタクシーで、そのまま山に向かった。恐山行きのバスは出ているのだが、目指すブナ林は途中で道が分かれているのである。今日は前の晩とは違う宿なので、荷物を抱えて出なければならなかった。恐山と宇曽利湖へ向かう道から逸れて、ブナ林が現れた辺りで、タクシ−を返して歩きはじめる。
 去年、その辺一帯ははどの木もブナの実を大量に付けていた。実を多く付けた枝は、葉の養分を使い切って、次の年には枯れてしまうようなのである。見渡すとブナ林のあちこちに、白骨状の幹や枝が認められる。
 ブナ林の中に入り、実生の調査を行った。ササに足を滑らせて転んだまましばらく立ち上がれなかった。宿に帰ってから気づいたのだが、すねに傷あとがあり血だらけであった。
 ブナの枯れた枝がところどころに落ちていて、普段はササに覆われて見えないブナの実生が枝の隙間から顔を出している。野外調査における今の流行りは出来るだけ規模の大きい面積を調査することである。そこで頑張って、一ヘクタ−ルほど調べて回ることにした。
 ふと気付くと、荷物を置いた場所が分からなくなってしまった。四方を見ても、白い幹のブナの樹ばかりである。折り尺という木製の物差しを若い木のこぶに掛けて目印にしておいたのだがいくら探しても見つからない。二度も三度も同じところをササを分けながら歩き回った。どれだけの時間が経過したのだろうか。ついに荷物を見つけることが出来た。
 ブナ林での調査が済んで、まだ時間があるので、釜伏山まで足を延ばすことに決めた。そのブナ林からはだいぶ距離があるので大変である。荷物は林の中に置いて出かける。どれだけ歩いただろうか。お釜を伏せたような釜伏山が見えてきた。雲一つない晴天で、陸奥湾が遠く見渡せる。
 山頂付近には、ミズナラの矮生化した背丈のきわめて低いミヤマナラが分布している。今年はミヤマナラのどんぐりが豊作のようだ。このミヤマナラがミズナラとどのような関係にあるかというのが、現在修士過程に在学中の里見さんの研究テ−マである。
 さて、帰りも歩きで大変だ。昨晩とは異なる宿に泊まるため先ほどのブナ林まで戻り、荷物を抱え延々と歩いた。十キロ以上も歩いただろう。この年でこんなに歩けるとは思いもよらなかった。途中に冷水(れいすい)というバス停がある。恐山から引き返してくるバスが停車するはずだ。長い道のりを歩いたので、足が痛い。バスの停車時間は、午後の三時四十分と五時四十分である。ときおり乗用車が通り過ぎる。を乗せてくれそうな奇特な人はいそうもない。
 あと一キロメートルほどでバス停だというところで、振り返ると、恐山からのバスが来るではないか。予定の時間よりも早い。手を挙げて合図をしても、あいにく急カ−ブで、運転手はこちらを見ず、頼みのバスはあっという間に通り過ぎ去って行ってしまった。
 そのあたり一帯はヒバ林が多い。次の五時四十分まではあと二時間ほどもある。こうなったら、ヒバ林の調査でもするか、と覚悟を決めたそのとき、一台の車が目の前に止った。
 岩手から観光に来たという年配の夫婦であった。行きにも見かけたが、帰りにもまだ歩いているので驚いたという。私がブナの調査をしてきたと話したところ、その夫婦は山菜採りや山が好きで、ブナのことはもちろん、キノコやクマの話しでもちきりになり、あっという間にむつの街に着いてしまった。
 その晩泊まった宿は料金が安い上に、夕食が山のような御馳走であった。関の井という地酒を、銚子で一本頼んでみた。そのあまくて得も言われぬ味で、今日、一日十キロメートル以上も歩いた疲れが取れたように感じた。
 台風十七号は、私の去った後の北海道を襲い、台風十六号が名古屋方面に近付いているという。北海道と下北半島に居る間台風の影響を受けなかったのは幸いであった。今現在吹き付けてくる強い風は、日本海に抜けたはずの台風十八号だ。


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