新フィールドノート
−その82−



時間との勝負
名古屋大学情報科学研究科 広木詔三


 先人の考えがしみじみと理解出来るようになるこの頃である。『光陰矢のごとし』とか、『少年老いやすく、学成り難し』という言葉が心に響く。これまで付き合ってきた手塚先生は三月に退官してすでに居ない。
 今年の桜はやや早めに咲き、すぐ散るかと思いきや、涼しい日が続いて四月に入るまで持ちこたえた。
 三月の半ばからしつこい風邪に悩まされ、四月に入って部屋が変わり、引っ越しである。桜が散るように、あっと言う間に四月も終わってしまった。
 一九九九年の春にも風邪を引いて憂鬱なときを過ごした。このことはかけはしの二一六号に「蘇生」という題で書いている。四月の最初の授業で若い学生さんたちに接して気力の回復を実感したのだった。今年も何とか四月初めの授業までには風邪も治った。
 授業の終わりに、毎回、出欠の確認も兼ねて感想文を書かせている。話し方がおかしい、どこの出身だ、というのもある。早速、次回に、私は水戸の生まれで日本三大無抑揚地帯ということを断る。ひところニュースレポーターとして活躍していた立松和平と話し方が似ているのである。私は標準語を話しているつもりでも、名古屋の人たちには通じないことも多い。野外調査に出かけて、帰りのキップを買うとき、「名古屋」と言っても、何度も聞き返されることもあった。
 感想文の中には、かなり自分勝手な意見や要望を述べる者もいるが、それには目をつぶる。驚いたのは、私の話には『主語がなく、述語もない』という指摘があったことだ。昔は本当にそうだった。頭で考えたとおりに言葉にならないことがよくあった。これでよく教師が務まったものだ。この四月から、国立大学は独立行政法人化したから授業の下手な教師が首になる恐れもなくはない。
 四月十二日の最初の授業は、大学における教育の目的は「自分で学ぶことを学ぶ」ことや、「知的好奇心を大事にするように」、というこれまで私が培った精神を話したせいか、最初の反応はたいへんよかった。だが、次の週各論に入ると、あの死んだ魚の目もちらつくようになった。
 地球上の生命の誕生から、人類の起源を経て現代の環境問題に迫ろうというのだから、自分でも心もとない。理系教養科目というので自然系の学生を予定していたら、直前になって、文系対象であることに気づいたのである。急遽、文系向けにシラバスを改めたといういきさつもある。
 最近、鳥の羽は鳥として飛ぶ前に獲得されていたという記事を目にした。欧文のサイエンティフィック・アメリカンの昨年の3月号に載った記事である。羽の大本が鱗ではなく、液胞状の突起起源であることが発生学的に明らかになったというのである。恐竜に連なる爬虫類の一群に、さまざまな羽が生じ、空を飛ぶ鳥類が出現する以前に羽は完成されていたというのである。
 その記事の著者は、このような現象、つまり鳥が飛ぶために羽が進化したのではなく、すでに獲得されていた羽を利用して飛び始めたことに対して、今はなきグールドが造ったエグザプテーション(exaptation)という言葉を当てはめた。グールドファンである私は嬉しくなった。まだ訳語はないが、ここでは転用とでもしておこう。かつては前適応という言葉も使われていたがこれは自然科学の領域を越えた目的論の匂いがする。
 人類の脳の大型化についても単純に自然選択上有利な形質として次第に大きくなったと解釈されているが、グールドは脳の大型化が先行し、その活用はその大型化の後に進行した可能性を指摘している。先の鳥の羽もそうであるが、新しい形質の獲得はイノベーション(革新)は自然選択の概念とは異なる。自然選択はきわめて重要な働きではあるが、自然選択が働く上での多様な仕組みも不可欠であろう。
 私は現在、情報科学研究科に所属している。私は情報科学とは縁のない人間である。フィールドの調査を専らにしてきたのである。その私が大学院で生態系時空間情報論なる講義を行っている。大学院の最初の授業でこの講義題目が羊頭狗肉であることを断ざるをえなかった。私は生態系を扱っていない。情報論は専門でない、と。しかし、私は創発システム論講座に所属している。そこで考えた。生物の進化現象は創発そのものである、と。この点はまだ教育上の必要性ゆえの勉強中である。
 ところで、研究はほそぼそと続けている。三宅島のスダジイとタブノキを種子から発芽させて、光の少ない暗い条件下で、どちらが先に枯死するかを、来る日も来る日も水をやりながら待ちわびているのである。
 最初の実験は、およそ八十ルクスの照度下で育てた。スダジイとタブノキの補償点はそれぞれ五十ルクスと百ルクスとされている。ところが八十ルクスで、タブノキは一年半経っても、十七個体のうち十一個体しか枯死していない。まあ、半数以上は枯死したので、まだ全然枯死していないスダジイとは大きな差がありそうである。だがこれでは定年までに決着がつかないではないか。そこで追加の実験を始めた。照度をおよそ六十ルクスに下げたのである。
 水をやってタブノキが枯死するのを待つだけの実験とは言っても、タブノキの果実や、シイの実を拾い集めるのは一苦労である。どうせやるならということで、アラカシやイチイガシのどんぐりも採集して、比較の実験を試みている。
 話は変わるが、前回紹介したスナックの名は、どりぃむであって、ドリームではないとおしかりを受けたので訂正しておきたい。
 去年はブナの実の豊作の年で、ブナの実を少しだけどりぃむのママさんに分けてあげた。食べると美味しいことや、ねずみの好物であることを講釈するのである。種子が発芽するということを聞いた秋子さんは、庭の土に埋めたそうな。いつ発芽するかと聞くので、一月には発芽するはずと答えると、春になってもまだ芽が出て来ないと言う。土が硬いといけないので、土を柔らかくしてやったら野良猫が糞をしていったそうな。
 このようにどりぃむのママさんと話が出来るようになったのは比較的最近のことなのである。
 この店には、一枚の大きな絵が掛かっている。私がとても気に入っている絵である。雪景色のようで、店の中でもあるような不思議な絵である。女性が六人描かれているが、はっきりしているのは背を向けている赤い服の一人だけで、あとはみなぼんやりとしている。かつては、私はこの絵を見に来ていたと言ってもよいほどだ。
 大学院生だったとき、仙台の一番町にある丸善という本屋にマルケの絵が置かれていた。あの夕暮れ時のようなかすれた感じの街並みと人通り。ときには毎日絵を見に通った。
 昨年の年末に、大学院時代の同級から退官することになったので記念論文集に原稿を書いて欲しいという依頼があった。三十年以上の時間が一瞬に埋まったように感じた。
 彼はミロやクレーの絵がすきで、一度だけ彼の下宿でミロを模した彼の絵を見た覚えがある。私は絵こそ描かなかったけれど、ムンクやゴヤから入り、一時マルケに凝り、さらに突然セザンヌを理解し、年を経てゴーギャンに胸を打たれるようになった。絵画を通じて、右脳と左脳の関係まで筆を進めようと考えていたが、スペース(時間?)の関係で省かざるを得なかった。
 今回の題は、原稿が締め切りの時間に合わず、題だけでもと言われてつけたものである。


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