新フィールドノート
−その79−



九十五回のフイ−ルド・ノ−トを振り返って
名古屋大学 大学院人間情報学研究科 広木詔三


 今日は日曜日。秋晴れのとても穏やかな日である。キンモクセイの花の香がキャンパス内をまだ漂っている。
 今年は夏も涼しく、十月に入ってからも曇りがちで肌寒く、このまま冬に突入でもしそうであった。しかし、ここに至ってようやく空が晴れ渡り、秋晴れの暖かい日が続くようになった。
 例年だと、キンモクセイの花は十月初旬の一週間ほどで、あっという間に咲き終わってしまうのが、今年は気温が低い日が続いたせいもあって、だらだらと咲き続けたのであった。思えば九月下旬に筑波のオ−クに関する国際会議に出席したとき、すでにキンモクセイの花の香りを嗅いでいたのであった。
 先日、かけはしの原稿の締め切りをまじかに控えて、担当の箕浦さんから、次号はかけはしの二百五十号の特集号を組むのでよろしくというあいさつを受けた。九月には北海道の稚内にサンプリングに出かけ、日本の最北端を制覇したのであったがそれについては次の機会に記そう。
 私がかけはしの原稿を引き受ける前には、農学部の織田銑一さんが専門のほ乳類に関する面白い連載を続けていた。
 当時、私は文章を書くのが苦手で、名古屋大学職員組合発行の機関誌(がりばん刷りだったように思う)にたとたどしい文を毎月一年間書き続けたところであった。当時はまだコンピュ−タ−を使う習慣がなく、手書きで、書き損じた原稿を何度もくずかごに投げ捨てた記憶がある。
 私の最初のフィ−ルド・ノ−トの原稿がかけはしに載ったのは一九八五年七月の第八六号であった。それは二年足らずで、十七回の連載で終わった。当時からクイズは載っていたが、読者の声の欄はなく、読者の反応は知ることが出来なかった。しかし、この時期のフイ−ルド・ノ−トの方が純朴ではあるが、生々しいフィ−ルドでの研究の様子が描かれている。初回の裏磐梯高原の様子や、第二回の御在所岳でのロ−プウエイの話とかは、現在読み返しても、雰囲気がよく書けていると感じる。原稿を書き続けることが辛く、ときどき手抜きもしたが。
 新フイ−ルド・ノ−トとして再出発したのは一九九五年の一月号からである。この時期は文を書くことに慣れ、書くことが楽しい時期でもあった。たんに調査・研究の話だけでなく、私の心や脳の内面にも触れはじめている。当時は読者の感想が載せられるようになり、私の新フイ−ルド・ノ−トにも好意的な感想がときどき載った。第二十回前後の三宅島あたりがクライマックスで、面白いという感想が毎回のように寄せられていた。
 だが、回を重ね、四十回の頃に同窓会の経験や回想録を始めると、反応はにぶくなり、本筋の話が聞きたいという声も載るようになった。
 そろそろ八十回を迎えるこのごろ、もうほとんど私の原稿に対する反応は見られなくなってきた。でも感想文は寄せられないが、固定の読者はまだいるのである。名古屋大学に所属していない人には、毎号届けて回っているのである。少なくとも百回、あと二十回は頑張らなければならない。
 今日は久しぶりに東山丘陵を散策してきた。そろそろアラカシのどんぐりが落ち始めるのである。もうすでに午後の八時を回っている。これから明日の授業の準備をしなければならない。
 今回は特集号に便乗して手抜きであった。次号からはまた期待に応えるよう努めたい。


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