新フィールドノート
−その77−



岡崎
名古屋大学 大学院人間情報学研究科 広木詔三


 今年の五月は雨が多く、晴れ渡った五月晴れが見られなかった。一転して、六月に入ると、晴れ間が続いた。幸いなことに名大祭の間も晴れ間が広がった。
 かつて私が助手から講師になった時、一年生向けの授業をたくさん受け持つようになった。名大祭期間中に大学構内を歩くと、あちこちから声が掛かり、テントを張った模擬店で生ビールを飲んだりしたものだ。
 話は四月に遡って、四月二十九日のことである。私は恒例の岡崎将棋祭りに出かけた。岡崎市の後援で、往復ハガキで申し込みをすると、当選しましたという通知が担当の係から届いた。私はこれで三回目であるが、なかなかの人気で何倍かの申し込みがあるという。幸運にも、私は一度も外れていないのである。
 岡崎城を取り囲む岡崎公園は、名古屋城と違ってわりとこぢんまりとしている。そのわりには、地形や景観が変化に富んでいて、私は気に入っている。桜の季節に、茶店に上がって座敷から見る風景は風情がある。茶店は少々けばけばしいが、開いた番傘などが飾ってあったりして、江戸情緒が満喫できるのである。
 今年で十回目を迎えた岡崎将棋祭りは、谷川王位と羽生竜王という豪華なメンバーが顔を揃えた。このような将棋祭りが開催されるのも、岡崎市出身の石田九段の骨折りによる。出場棋士は、谷川王位と羽生竜王の他に中井女流名人と矢内女流三段、そして東海出身で最近昇段した杉本六段、さらに石田九段の弟子の勝又五段および中田章道六段に石田九段を含めて総勢八名。対局は明日のお楽しみである。
 まずは、前夜の二十八日に、名鉄岡崎ホテルの十階で開催された前夜祭の話から始めよう。私は始めてこの前夜祭なるものに出席したのであった。谷川王位と羽生竜王という二人の偉大な棋士に同時に会えるのだ。
 名鉄岡崎駅からタクシーに乗り、名鉄岡崎ホテルに向かう。歩いても行ける距離なのであるが、不整脈が出始めたので、用心をした。運転手にだいぶお疲れのようで、と気遣ってくれる。
 ホテルの十階の窓から外の夜景を見ると、岡崎城が小さく見える。岡崎城の近くのホテルは夏になると屋上でビアガーデンを開くのだが、そのホテルがずいぶんと低く見える。いつだったか夕暮れどきにそのホテルの屋上のビアガーデンで生ビールを一杯ひっかけたことがある。明るいうちは岡崎城の姿は目に入らなかったのに、暗くなるにつれて岡崎城が存在感を増して来るのであった。
 私が会場に着くと、ちょうど棋士たちが会場に入場するために廊下に並んでいる。私は彼ら入場した後をついて入った。女性の総合司会者が棋士の紹介をし始める。大広間が満員である。私は不整脈が出始め、立っているのが辛くなる。谷川と羽生という偉大な棋士を目の前にしているというのに何ということか。やがて石田九段が乾杯の音頭をとる。ビールを飲むのは危険だ。誰かに注がれて乾杯をする。せめて谷川と羽生には、ひと目間近で会わなければ。大勢の人がすでに二人を取り囲んでいる。私は仕方なく料理をつまむことに方針を変更する。調子はよくないが不整脈は治まったようだ。え-い、ビールも飲んでしまえ。刺身やら寿司やらをつまみながらビールを流し込むと、少し度胸がすわる。私は谷川浩二王位のそばに並ぶ。名刺を交換する人、色紙をねだる人。谷川王位は毛筆で色紙を書いている。それだけ時間が掛かる。アナウンスでは色紙は最後に貰えるようなことを言う。あとで分かるのだが、色紙を貰える人は抽選によるので、皆が貰えるとは限らない。私は、ずいと出て、谷川王位に挨拶をした。棋力はどのくらいか、と聞かれてアマの初段だと答える。名刺を渡しながら、NHKのテレビ将棋が楽しみだ、と伝える。娘が作ってくれた手作りの名刺だ。それには私の研究対象であるどんぐりいがカラーで印刷されている。王位も名刺を取り出しながら、いろいろな楽しみ方がありますからね、と慰めてくれる。アマの初段というのは、プロの高段者から見れば赤子のようなものだ。谷川王位は勝負を離れると気が優しいことで有名だ。私の棋力の低いことを気遣ってくれたのである。私が、最近寂しいですねと言ったせいか、王位は一瞬、とまどいと苦笑いの混じった複雑な表情を見せる。それは最近あまり王位が勝つことが少ない、ということを意味している。後で、失礼だったかなと思ったが、そのときは私も少々酔いが回っていた。王位と離れたあと、羽生善治竜王に近づく。羽生竜王は色紙を書くのは断っている。竜王は割り切れる人だ。二人とも将棋界を背負っているから、普及のためには労力を惜しまない。だが、谷川は色紙を書くことを断れないのに羽生は断れる。この違いは明日の勝負を象徴しているぞ、と感じる。案の定、翌日の勝負では羽生が勝った。ところで、私はもう一枚の名刺を差し出し、羽生竜王に挨拶をした。羽生竜王も名刺をくれた。まだ、名人戦が始まったばかりで、羽生竜王は挑戦者なのである。名人戦、頑張って下さい、とだけ言ったが、羽生竜王は泰然として、竜王がええと答えたかどうかは、今となっては、定かではない。矢内女流三段は、まだ若くて可愛い上に美人である。体調が限界に近かったため、私は言葉を交わすのは諦めた。二人の名人とまがりなりにも言葉を交わし、名刺を交換したことで満足し、早めにホテルの寝室に消え、大事をとってすぐさまベッドに横になった。
 翌日は晴れ、爽やかな朝であった。岡崎公園は人で溢れていた。対局は能楽堂で行われる。能や狂言を演じる舞台に将棋盤が置かれ、我々は扇型に取り囲んだ石段に腰を下ろして観戦するのである。もちろん将棋盤上の駒の動きまでは見えない。そこで棋譜の読み上げ、と言って棋士が一手指すごとに、それが読み上げられるのである。そして、石田九段が聞き役を従えて解説をするのである。
 谷川王位と羽生竜王の対決の前に、いつもお好み対局が催される。これもまた楽しみなのである。今回は矢内女流三段と勝又五段、中井女流名人と杉本六段とが行われた。男性棋士には一手十秒という指し手の短いハンディが与えられた。そのせいか、勝又五段が矢内女流にあわやというきわどい場面で勝った。杉本六段は中井女流名人に完敗を喫してしまった。中井女流名人はこのところきわめて好調である。
 案の定、私の予想どおり、羽生竜王が谷川王位に勝った。僅差である。羽生の頭脳がどのようなものであるか計り知れない。谷川とてそれに近い恐るべき能力である。そのような知的な戦いを行っているのは人間であり感情や欲望の中にある。それを抑え、とてつもない精神の集中の後に勝負という決着が着くのである。その興奮がたまらない。
 三年前のことである。極度のストレスがたまり、体調を崩した頃のことである。女流棋士との親睦会という催しに参加したことがある。あこがれの山田久美女流三段も間近で見ることが出来た。対戦したのは藤森奈津子女流三段であった。彼女はテレビの将棋番組での司会者もしたことがある。今では結婚しているが美人であることには変わりがない。その着物姿も艶やかであった。藤森三段に、飛車と角を落として貰うという大きなハンディにもかかわらず、私は負けしてしまった。藤森三段の美しさにぼお-っとしてしまったためではない。心臓の鼓動に異常をきたしてしまったのである。当時は息抜きの将棋でさえも心臓が耐えられないほどだったのである。


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