新フィールドノート
−その76−
花見
名古屋大学 大学院人間情報学研究科 広木詔三
今年は比較的長いこと桜の開花を見ることが出来た。
これまでは桜の開花の時期は日本生態学会のシーズンに重なって、桜の花を十分に鑑賞することが出来なかったのである。一九九八年に、京都で学会が開催されたときには、幸いにも京都の桜を見ることが出来た(新フィールドノート三十四、かけはし二〇五号)参照。
京都は川が多く、鴨川や高瀬川のほとりには桜と柳が並んでピンクと黄緑がコントラストをなし、とても趣のある風情が見られる。今年は名古屋でもそのような光景に出会ったのであった。
このかけはしの前号において日本生態学会がつくばで開催されたことに触れたが、その時期はまだ梅の花が盛りの三月二十日前後であった。名古屋での桜の開花前線は二十五日頃という予想がほぼ当たり、私は毎日桜の花の開花していく様子を観察することが出来た。やがて三分咲きとなり、四月にも入るとはや五分咲きとなる。桜の花は花弁の裏側がややピンクがかり、萼が赤いので、咲き始めの頃が全体に赤っぽく、華やいで見える。四月に入って気温が急上昇し、かなり暖かい日が続いたが、桜の開花も早まった。桜の花は咲いてから散るまでの期間が短くもののあわれの象徴となっていることはご存知のとおりである。ところが桜の花はなかなか散らなかったのである。
あるところから花見の宴に招待を受けた。それは一福という覚王山の居酒屋からである。ちょつとひと息という意味の一服に掛けた屋号なのである。ひと頃ストレスがたまり、厭世的な気分のときには、この店で元気を貰うのであった。若くて美人で独身の女将さんと書けばそれだけで興味が惹かれるではないか。一人ですべてを切り盛りしており、店の中をかけずりまわるほど活動的である。常連は近所の住人がほとんどで、家族的な雰囲気である。ときおりカラオケが始まる。そういうときは思索するには不向きである。
四月五日の土曜日に平和公園で花見を行うと言う。今年は開花が早いので、その頃には花は散ってしまうおそれもあった。当日は雨で、風も強く、それでも花見は決行となった。平和公園は人影がまばらであった。
天蓋のある休憩所に陣取り、地面に敷くべきビニールシートを柱と柱にくくり付けて、雨風をしのいだ。やがて料理とビールや酒が振る舞われた。ご婦人方も含めて総勢で十四、五名。一番若い者でも四十代である。残念ながら一福の女将は参加しなかった。
私は新米なのでほとんど会話には参加しなかった。このところアルコールは控えめにしていたが、冷やのコップ酒を片手に雨の中を一人歩きまわりながら花見を楽しんだ。
すぐ近くに池があり、そのまわりに桜と柳が立ち並んでいた。小雨まじりの中のピンクの桜と黄緑の柳の芽吹きの光景が何とも言えない風情を醸し出していた。私にとって、このような花見は初めての経験であった。この先あと何回桜の花が見れるかという年のせいもあるが、今後二度とこのような美しい景色には出会えないであろうと思えるほどの艶麗な光景であった。雨風に晒されかなり冷え込んだが、あまりの美しさに、死んでも悔いはないという心境になった。
まわりが薄暗くなり、街灯が灯りはじめ、あと片付けをして帰るころにはすっかり暗くなっていた。
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