新フィールドノート
−その71−



フクのお相手
名古屋大学 大学院人間情報学研究科 広木詔三


 早いもので、春も終わり、初夏も過ぎ、日差しも強く日中は汗の吹き出る暑さが続いている。今年はあらゆる生物季節が二週間ほど早まっているようだ。五月の半ばに、沖縄で梅雨入り宣言が出され、早々と梅雨入りになるかと思いきや、六月の中旬まで、雨はほとんど降らなかった。名大祭期間中に雨が降らないのは、十年に一度あるかないかの出来事である。今年は幸運なことに、名大祭が終了した翌日に雨が降り、その後本格的な梅雨入り宣言がなされた。
 三月末の仙台での生態学会から名古屋に戻って間もなくの頃であった。水戸の姉から電話があった。叔母が亡くなったというのである。早いもので、叔父が死んでから三年が経過した。夏の暑い時期に冬服の喪服を着て汗をかいた記憶がある。次は叔母の番だとは思っていたが、いつでも死は予期しないときにやってくる。
 水戸の姉の家に泊まって、通夜と葬式に出た。どちらも参列者がたいへん少なかった。式場が広すぎたせいもあるかも知れない。女や子供が少ないということももう一つの特徴であった。叔母の長男は嫁さんに先立たれ、三十前後の長男の二人の息子はまだ独身だった。次男も独身で三男は叔母よりも先に亡くなっている。私も、妻子を置いて一人で参列したという具合なのだ。
 叔母は九十八才であったという。叔父が亡くなったのは九十九才であった。確か、私の父は八十二才で死んだはずだ。私は棺桶に横たわった父の死に顔を見て以来、死に対する恐怖が薄れたように思う。思えば、私には子供の頃から死の観念がつきまとっていた。私が中学一年のときに十才年上の兄が大学卒業間際で死んだ。そのときの印象は鮮烈であった。肺結核でずっと寝たきりの母親は、私が大学に入学した年に死んだ。これらの経験から、私は、ずっと死を恐れていた。だが、私は今や、死を受け入れることができるようになった。やがて、自分は存在しなくなり、私の知ることの出来ない世界がその後も存続するであろう。
 姉の家にはフクという名の猫がいる。これまでもいろんな猫がいたが、どの猫もみな私に懐かなかった。団十郎という名の猫は、私が泊まりに行くと、いやがって家出をするのであった。現在居るネコはチンチラで、家出こそしないがきわめて用心深く、私の姿が見える限りは隠れ家から出て来ない。
 今回で、フクに会うのは三度目であった。最初に会ったときは、ほとんどまったく姿を見せなかった。大好きなチ−ズを与えようとしても、死んでも口にするかとでもいうように、いやいやをするのであった。夜明けに、二階のガラス戸からベランダを見ると、フクがじっと私を監視しているのに気づいた。姉は、フクはとても好奇心が強いと言う。いつもは姉と一緒に寝る部屋を私が占領しているので様子を窺っていたものらしい。
 姉は私より十五も年上で、すでに七十才を越しているが、七十過ぎても息子たちとスキ−を楽しむ元気さである。息子二人は東京に居ついてしまい、現在一人でタバコ店を経営して生活している。だから姉にとって、猫は重要な家族の一員である。姉にとって、猫は子供のようであり、猫にとっては姉は母親のようでもある。姉はしつけ上手でこれまでのどの猫も砂を敷いた箱の中で用を足す。このように姉は猫の躾が上手なのに、息子の一人がうまく自立できなかったのはどういうわけなのだろう、と疑問に思う。
 夕方から夜にかけて、姉が店を開くと、近所の飲み屋街から若い女の子たちがタバコを買いに来る。フクは彼女らの人気者であるという。それなのに、どうして私に懐かないのか、姉は理解できないと言う。フクは雌猫のせいか一人では外に出ない。姉が隣の八百屋で姉が買い物をするときについて歩くか、それ以外は留守番をしているという。フクは姉の言うことが分かる、と姉は言う。フクは一方の甥が大のお気に入りである。「お兄ちゃんが帰って来るよ。」と姉が言うと、入り口でじっと甥の帰りを待っていると言うのだ。フクを見ていると、これまでの猫のイメ−ジとは違うところがある。K ロ−レンツさんも言っている。犬と猫は、まったく対照的である。イヌは人間に忠誠を誓うようになったのに、ネコは野生の独立心を保持している。それなのにフクときたらイヌみたいだ。こんなに人間と一心同体のように振る舞う猫は珍しいのではないか。フクは姉と追いかけっこをして遊ぶのが好きで、二階への階段を走り回り、姉に追ってこいと催促するのだという。私もフクと遊んでみたい。
 二度目にフクに会ったのは、昨年、中学時代のクラス会に出席するために水戸に帰ったときである。このときのクラス会に出席したのは二人の担任と七名の同級生であった。副担任の吉田千鶴子先生は、後で知ったのであるが、当時大学を出たばかりだったという。どうりで若くて憧れの的であった。千鶴子先生にお会いしたのは、卒業以来である。千鶴子先生には妹がいた。その妹は私たちと同学年であった。学芸会のときくらいしか顔を見る機会がなかったのが残念である。私のお気に入りの大原麗子のような雰囲気がある。実際には、卒業アルバムを見ると、全然違うのではあるが。
 クラス会から姉の家に戻り、ドアを開けるとフクと目があった。たちまち彼女は隠れ家に退散する。二度目も、ついに私に気を許すことはなかった。
 今回、つまり叔母の葬儀のとき、フクは私の存在に少しは慣れたのか、遠く離れた位置からじっと私を観察している。
 異変は突然やってきた。フクがそれまで隠れていた椅子の下から大きくのぞけってアクビをしながら出てきたのだった。もう、私の存在には動じないようであった。変にないているので、親しくなるチャンスとばかりフクの大好きだという海苔巻きせんべいをもってはせ参じた。ところがせんべいを食べようとはしないのである。なんか裏声でうなっている。姉は盛りがついたのだと言う。そしてフクの背中をおもいっきり叩くのであった。私は手荒なことが苦手なので、背中をそっとなでると、ウ−とうなる。それでも逃げようとはしない。
 夜になって、二階で寝ようとしていると、フクが階段を上がってきた。「フク」と声を掛けると、なんと部屋に入ってくるではないか。お尻を向けて這いつくばるような格好をして、あの盛りがついたとき特有の声を出してなくのである。私は両手でフクのお尻をつかむと、フクはフウ−ッと威嚇をする。すぐ手を離す。すると、また喉を鳴らしながら、例の這いつくばってお尻を向ける行動を取る。私はさらにぎゅっとフクのお尻をつかむ。すると、ギャ−という感じで私に襲いかからんばかりになる。私は慌てて手を離す。フクは、怒りが静まると、「私なにをしたのかしら」というきょとんとした目つきをする。しばらくすると、また例の行動を取る。私はまたお相手をする。私は疲れて寝てしまった。夜中に目が覚めると、何と、フクもそばで寝ているではないか。ようやくフクは私に懐いたのだ。
 帰りがけに、水戸の本屋を見て歩いた。「里山の生態学」はどの店にも見あたらなかった。売れ残りの専門書が並び、その中には私の知らない掘り出し物も多かった。今度水戸に帰ったとき、これらの本を手に入れよう。フクと会うのも楽しみだ。


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