新フィールドノート
−その63−



モンゴリナラの謎
名古屋大学 大学院人間情報学研究科 広木詔三


 二〇〇一年の元旦。初日の出こそ見ることは出来なかったが、私は研究室で、初日の入りを見ることになった。「かけはし」の原稿に勤(いそ)しんでいるのだ。里山に関する本の出版のために暮れも正月も返上して本の原稿を書くことにしたのだ。だが、かんじんの原稿は進まない。それもそのはず、年賀状の返事を書いたり、「かけはし」の原稿を書いたりしているのだから。
 愛知万博はBIE(国際博覧会協会)で登録が認められ、いよいよ本格的な準備に入ろうとしている。愛知万博検討会議で一応市民の意見を聞いたかたちを取ったので、もう市民の意見を聞く必要はない。早速、海上の森には散策路の建設のためのボーリングが打ち込まれると言う。それから長久手の交通渋滞の問題は避け続けたままだ。愛知県の財政が逼迫しているにもかかわらず、ハノーバァでのような大きな赤字が出たら、愛知県民の負担として大きくのしかかってくることにも目をつぶったままだ。二〇〇五年以降に、その実態が明るみに出るであろう。このような市民を無視した行政が続くかぎり、二十一世紀は明るくないだろう。
 私は、「愛知万博の環境アセスメントに意見する会」の一会員としてささやかながら市民運動に参加してきた。しかしながら、市民運動に参加している人の数はきわめて限られている。これでは行政に見くびられてもしかたがない。いや、実際にはいろいろなかたちで、多くの人と多くの団体に所属している人が自然を無視した万博の計画や財政問題を無視したやり方に異議を申し立てている。多くの団体の個々の目的の違いもあり、大同団結した力になっていない点が惜しまれる。愛知万博は通産省の管轄下で、愛知県がお膳立てをし、博覧会協会が実行に移すという体制を取っている。日本は、江戸時代以来の巨大な権力機構と行政システムを誇っているので、市民が、このようなシステムに立ち向かうには、まだまだという感じがする。しかし、二十一世紀には何が起こるかわからない。地球環境問題は避けて通れず、愛知万博を通して、私たちが自然とどう関わるべきかを学んだ人も多く、これまでのように、黙って行政の言いなりにならないという風潮が確実に広がったように思う。
 愛知万博のメイン会場が海上の森から長久手の青少年公園に移ってから、青少年公園にもオオタカが生息していることがわかった。青少年公園には、さまざまな施設の周辺に、広大な雑木林が残されていて、そのような緑の林に囲まれたリクリエーションの場としてはたいへんよい所である。私は、万博がらみでもなかったら行って見る機会はなかったかも知れない。海上の森のような生物の多様性という観点からは見劣りはするが、地元の観察会の人たちによって、ギフチョウの宝庫であることやオオタカが繁殖している可能性が指摘されている。また、青少年公園の周辺の雑木林にはモンゴリナラがたいへん多い。
 このモンゴリナラは、分類学者がしっかりと把握していないため、多くの混乱を招いている。中には、図鑑の中で、日本には分布しない、とまで述べている始末である。中部地方のモンゴリナラを無視して、北海道に分布するという分類学者も居る。この北海道のモンゴリナラと呼ばれているものは、ミズナラとカシワの雑種かミズナラの変種の可能性がきわめて高い。中部地方に分布するモンゴリナラは私の見るところ、氷期の生き残りの可能性がある。というのもこのモンゴリナラは、中部地方から朝鮮半島にとんで、沿海州まで分布している。モンゴリナラの詳細な実態はこれからの研究に待つ必要があるが、モンゴリナラが中部地方に分布することそのものは事実であって消しようがない。愛知万博効果として、モンゴリナラが認知されることになるであろう。
 私は分類学を専門としていないが、私の知る範囲で、このモンゴリナラについて記してみたい。モンゴリナラはブナ科の一種で、そういう意味ではクリと同類である。ところで、日本の冷暗帯に分布するミズナラはブナと分布域を同じくすることでよく知られている。このミズナラはモンゴリナラの変種とされてきた。変種というのは、まだ完全に別な種とは見なせない、ということである。しかしながら、ミズナラとモンゴリナラは別種である可能性がきわめて高い。モンゴリナラは、日本列島が大陸と陸続きであった時代に日本列島に分布域を拡大したものであるのに対して、ミズナラは日本列島が大陸から分かれた後に日本列島で起源したものと推測しうる。なぜなら、ミズナラの分布は日本列島に固有だからである。
 モンゴリナラは、なぜ、岐阜県の東濃地方を中心に隔離分布するのか。この点は長らく謎であった。このモンゴリナラは氷期には朝鮮半島から日本列島まで連続して分布していたと考えられる。(過去の百六十万年の間に、寒冷な氷期が四回ほどあったがそのいつ頃かは定かではないが。)本来は、気温の低い地域に分布するモンゴリナラは気候が暖化すると、競争で追いやられてしまい消失せざるを得ない。ところで東濃地方には痩せ地が多い。モンゴリナラは他の種との競争には弱いが痩せ地には強い。東濃地方に痩せ地が多いのは、土岐砂礫層という大昔に飛騨の山地から運ばれた砂礫が堆積しているためである。簡単には分解しにくいチャートから成る礫の層は土壌の発達が遅く、また浸食を受けやすい。そういう痩せ地は乾燥しやすく地表の温度較差もきわめて大きい。そのような厳しい環境にモンゴリナラは他の樹木よりもよく耐えうるのである。
 私は、愛知県小原村で、モンゴリナラとアベマキの野外における成長を比較してきた。アベマキもブナ科の一種で、モンゴリナラと比較的近縁である。一九七九年に、両種のどんぐりを二十五個ずつ花崗岩地帯の裸地に播種して、その後の両種の成長を追った。実験場の地域は、土壌がまったくなく、花崗岩の風化したマサが表層を覆っているだけである。私は次のような予想を立てて実験を行った。その予想は、アベマキは比較的土壌の発達した立地で良く成長するが、花崗岩のマサ土では二、三年もすれば枯死してしまうであろう。それに対してモンゴリナラは生き延びるであろう、というものである。予想に反してアベマキはなかなか枯死しなかった。普通の土壌だと、一年で丈が二、三十センチにも達するのに、二、三センチにもかかわらず、翌年、また葉を開く。葉もきわめて小さいままである。アベマキが二十五個体すべて枯死するまで何と二十年もかかってしまった。もちろんモンゴリナラは全部ではないが生き残った。これで、モンゴリナラがなぜ東濃地方を中心とした痩せ地に分布しているのかという説明が可能となったわけである。一時は、この研究は定年までに完了しないのではないか、と危惧されたのである。
 毎年、春と秋に小原村に出かけて、葉の数や大きさを測定しまた枯死したかどうかを確認するという作業を続けたのであった。赤池線で豊田市まで行き、そこからバスで小原村の実験地に向かう。
 今や、国立大学は独立行政法人化するよう大きな圧力がかけられている。効率を主なねらいとする独立行政法人化は、私が行ったような地道な多くの創造的な研究の芽を摘んでしまうに違いない


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