新フィールドノート
−その57−



憂 鬱
名古屋大学情報文化学部 広木詔三


 かけはしの原稿を書くのが苦痛というわけではないが、こんなに気が乗らないのも初めてである。忙しさを通り越して、時間がない。最近、これまでの古い情報文化学部の建物から、人間情報学研究科に引っ越したばかりなのである。空間的にはややゆとりが出来て、それはそれで良い。これまでのように、書類や資料を机の上に山のように雑然と重ねていた常態がやや改善されたからである。だが、この先、いつまでもゆったりとした常態が続く保証はない。なぜなら、廊下には、整理されていないダンボールがまだ山のようにあるのである。もう5月も半ばが過ぎても、一向に整理が進まない。もしかするとそろそろ射程に入ってきた定年まで、整理が不可能か、などと考えてしまう。とにかく時間がない。
 ときは春。思い出せば、つい先日までホトケノザの芽生えがまだ可愛らしかった。そうそう、そのうちおっくうな引っ越しをしなければならない、などと悠長に考えていた頃のことだ。やがて3月も半ば過ぎると、ホトケノザの淡紅紫色(うすあかむらさき)の花が咲き誇る。その後、三宅島への調査に2回出かけた。その合間に、広島での日本植物学会にも出席した(前号のかけはし参照)。4月に入って、引っ越しだ。まる3日間は、とにかく必死で引っ越しと片づけに専念した。それでも、もとの古巣のゴミまで処理してきれいに明け渡すまでにはほぼ一週間を費やしてしまった。引っ越しを済ませた後、三宅島での2度目の調査に出かけた。三宅島から戻ると、すぐさま新学期である。教務委員として2日間はさまざまなガイダンスを行う。ガイダンスが終わると授業や実習が始まる。今年は全般に開花が遅れて、ソメイヨシノがまだ咲いている。あのゴマノハグサ科のマツバウンランも薄いコバルトブルーの花を咲かせ始める。
 休む暇のない日が続いているが、気力も充実していて、しかも春だ。こんなに春が素晴らしいなんて感じたのは何10年ぶりのことか。不思議といつもの花粉症がひどくない。およそ30年ほども花粉症に悩まされつづけてきたのだった。ところで、花粉症がひどくないと言っても、手放しでは喜べない面もある。花粉のタンパク質にたいする抗体の生産する能力が年のせいで衰えたのに違いない。しかし、薬が効いたのかも知れない。症状が悪化する前に、対処するとひどくなるのを防げると聞いている。
 朝はたいてい院生の個人指導だ。私についている院生は研究生も含めて、テーマがまったくかけ離れている。そのため、合同で行っているセミナーの他はみんなマンツーマンである。その他に会議も多い。
 今日は朝から会議だ。午後には自然保護協会の依頼で、博覧会協会と愛知県に会場計画の問題点をまとめた書類の提出に同行する。彼ら県や万博協会は、聞き置くだけの態度だった。記者会見は失礼して、急いで大学に戻り、3年次編入試験の会議に出席する。久しぶりに夜の時間があいている。今日こそはかけはしの原稿を書かねばならない。箕浦さんに催促されたわけではない。今日しかそのための時間が取れないのだ。昨日もおとといも、夜は万博に関する会議だ。明日もあさっても夜までなんだかんだと詰まっている。でも、気が乗らない。途中、コックリと睡魔に襲われる。
 きっと、この原稿は読み返したくないだろうな。


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