新フィールドノート
−その52−



里山と私の授業
名古屋大学情報文化学部 広木詔三


 私は、名古屋大学の共通教育の授業をいくつか受け持っている。その一つとして、主題科目がある。森林と人間の関わりについての内容である。現在、文化系の1年生の後期の授業を行っている。一時期、工学部の学生さんを対象に受け持っていたが、この数年はまた文化系の学生さんが対象となっている。共通教育はいわゆる一般教育であり、専門教育とは異なる。異なる分野の話を聞いて視野を広めることや、柔軟なものの考え方を身につけるという効用があると思う。うまくいけば、生き物の特性についてとか、自然界の生態系のありかたについて考えるきっかけにもなる可能性もある。
 私の講義は、森林に及ぼす人間の影響について、さまざまな観点から問題提起を行うというものである。今年は、早速、縄文時代に里山の原型があった可能性について吹聴した。これまでは、古墳時代が目玉で、古墳時代の焼き物産業の発展を題材としてきたのだった。その内容について簡単に触れてみたい。大阪の泉北丘陵はかつての和泉陶邑(いずみすえむら)で須恵器の発祥の地として知られている。5世紀後半以降のことだ。窯跡に残された炭から当時は落葉、常緑を問わず、広葉樹を燃料として用いていたことが分かっている。ところが、6世紀を経て、7〜8世紀に入ると、燃料はほとんどアカマツばかりが利用されるようになったというのだ。この研究を行った西田正規氏は、広葉樹林を伐栽すると植物社会の反応によってアカマツ林になり、アカマツを燃料にせざるをえなくなった、といかにも見たようなことを述べている。しかし、それは正しい。森林の生態学の立場から、森林を伐採して、裸地化が進行するとアカマツ林になることが認められるからである。競争力の弱いアカマツは、競争力に弱い反面、乾燥にさらされた厳しい環境には耐えうるという特性を有している。人間が競争相手の広葉樹を切り払ったあとの裸地にアカマツがはびこったということは大いに有り得ることである。さらに、花粉分析の結果から、およそ1500年前からアカマツの花粉が急激に増加したことが知られている。湖底の泥炭をボーリングして堆積した順に花粉を調べてゆくと、過去の周辺の環境を推定することができる。この1500年前というのは大まかには古墳時代にあたっている。このように花粉分析という自然科学の成果と考古学の成果から人間の活動の様子が明らかにされつつある。古墳時代と言えば、農耕による生産力の高まりを背景として、人間社会における職業の分業化が進んだものと推測される。このような時代には森林の伐栽も進み、現在の里山の風景である雑木林がすでに古墳時代以降には成立していたものと見なしうる。
 私の講義では、最初の3回ほどは森林とはいかなるものかを示すことにあてている。まず、初めは日本の森林帯という基本的な事象をスライドで見てもらう。次に、日本の森林の大部分を占めているブナ科についての理解を深める。もう、これまでにも何度もこのかけはしに登場したいわゆるどんぐりをつけるなかまである。一応、私の研究成果もアピールする。スライドでクリの発根している様子を見せたりする。「クリが発芽するなんて知りませんでした。感動しました。」という感想がときには帰ってくる。
 私は、出席がわりに毎回感想文を書いてもらうことにしている。出席を重んじるので、いやでも学生さんは出席する。出席するのが本意でないと、寝てしまうことが多い。寝ている学生が多いと、お説教をすることもある。個人的には注意はしない。「おしゃべりは注意しますが、寝ている人は注意しません。」と言って、寝ている人に注意を喚起するのである。たいていは、頭をもたげるがまた寝てしまったりする。しかし、頭をもたげるということは私の言うことを聞いているということなのである。中には感想文で、「寝てしまって、申し訳ありません。」とだけ書いてくることもある。かなり昔のことであるが、クラスの半分以上が寝ていたことがある。そこでお説教だ。「おしゃべりは授業に対する集中力を損なうので遠慮してもらっています。居眠りはまわりに迷惑をかけないので注意しません。でも、このように出席しているほとんどの人が寝ているのを見た人は、いかにつまらない授業をしているかを瞬時に悟ってしまうでしょう。私もやりがいがない。私の授業は、ただ出席するだけでなく、とにかく一通り聞いてみる、ということが大事なのです。」というように。今期に行っている授業では、内職している人が結構いるようなので、この居眠りの話を何度かしてみた。感想文で、「私はしっかり、聞いていますよ。」という励ましをもらうこともある。
 きのう12月号の原稿を書き上げたばかりで、今日はもう来年の1月号を書き始めている。それはこういう訳なのだ。今日の授業中にかけはしの原稿のネタを思いついたのだった。しかし、文章というものは不思議なもので、いざ書きはじめると、予想もしない展開になるものだ。
 実は、今回書いているネタは、また別の動機である。私の授業の内容は、これまで「かけはし」に書いてきたものと深く関わっている。100人以上もいると、情報が完全に行き渡らずに、ときとしてまったく誤解されることも多い。ときどき気分転換に笑わせると、肝心のことを見失う学生さんは多い。そこで、ときどき「かけはし」を副読本がわりにプリントして配る。今年は学生の反応が良い。そうなるとサービス精神の旺盛な私は、直接授業に関係ないものまで配ってしまうことになる。朝の一時限目は、情報文化学部の専門の講義である。この一限目の授業は、たいてい前の晩に準備をするものだから、睡眠時間が少ない。お互いにまだ十分に目が覚めていないこともあって、こちらの授業は厳粛な中に時間が経過する。主題科目の授業を受けている学生さんがこの専門の授業を覗いたらおそらく私を別人ように思うのではないだろうか。そして、一限目が終わると、午後の主題科目の授業の準備に取りかかる。もう、この授業は20年近くの歴史がある。その日に使うスライドを選んで、必要なプリントを印刷して、それでだいたい準備はオーケーである。それでも毎年、少しずつ中味は変化している。近年は、愛知万博と海上の森がテーマに入っている。
 ところで、前回の授業で、かけはしのどの号をプリントしようかな、と探しているうちに、面白くてながながと読み始めてしまった。もちろん、なかにはつまらないものも多い。多くの読者にたいへん済まないとも思う。プリントにするものを選んでいるうちに、私は、中学校の同窓会の思い出のものも読み返してしまった。これはたいへん、肝心の授業の時間が迫ってきた。
 このクソ忙しい時代に、ほんとにこんなことしていていいのだろうか、と思うときもある。私の向いの部屋に住んでいる手塚先生は、そんな「くだらないことをしていないで、もっと研究に時間を割いて、論文を書いたらどうか。」と諭してくれる。「書くほうも書くほうなら、読むほうも読むほうだ。そんな暇があったら仕事をすべきだ。」とのたまう。しかし、どうやら、その手塚先生ご自身も、かけはしの私の原稿をときどき読んでいるふしがあるのである。


  前回     メニューへ    次回  
  
新フィールドノート
kyoshoku-c@coop.nagoya-u.ac.jp