新フィールドノート
−その51−



秋、紅葉、野外調査
名古屋大学情報文化学部 広木詔三


 キャンパスのケヤキ並木が色づいて、このところ秋の暖かい穏やかな日が続いている。
 穂高の学生実習、秋田の植物学会、また穂高での野外調査というハードスケジュールは、いちおう一段落した。その後、寒波の襲来とともに軽いカゼに見舞われた。それから、またしばらく穏やかな日々が続いて、はや11月の初旬、東海地方の秋が近づきつつある。
 これから雑木林のコナラやアベマキの紅葉が始まる。紅葉とは言っても、コナラやアベマキの葉は褐色に色づく。そのうち、また寒波の到来だ。朝から寒けがする。翌日、金曜日の朝、39度5分の高熱が出る。どうりで食欲がいまいちだ。会議やその他のデューティをすべてキャンセルした。ほんとうに久しぶりに休暇届けを出した。近くの内科でもらった薬を飲み続け、二日ふた晩ぶっとおしに寝て、三日目は少しは歩けるようになった。その日は11月14日、日曜日。まだ、いくぶんふらつくが、八事の中京大学まで出かけた。毎年、恒例の東海科学者シンポジウムが開催されるのである。今年は、名古屋大学法学部教授の定形衛氏のコソボ危機とNATO の介入に関する講演が予定されている。頭はボーッとしているのだが、話を聞いているうちに、ユーゴスラビアというものが見えてきた。これまで、新聞で断片的に見聞きしてきたスロベニアとか、ボスニアとかヘルツェゴビナとかが、ジグソーパズルのように一枚の絵のように配置が理解できたのだった。たしかにミロシェビッチは、セルビア中心の民族排外主義で悲惨な行為をもたらしたが、アメリカやNATOの介入では、複雑な多民族の和解は困難であるという。アメリカは、世界的な覇者としての立場を誇示するために、また近代的な兵器の使用を試すために、ミロシェビッチに無理難題をつきつけて和平の道を閉ざして国連を無視して空爆を実現したのだという。私は政治や社会にうといのだが、まる二日間、頭を休めていたため、このときばかりは世界の情勢が手に取るように頭に入った。
 今は、昼休み。皆、昼食のために外に出ている。中京大学の建物の窓の外を見ると、小鳥がさかんに行き来している。最初は、見分けがつかなかった。見慣れると、なんとヤマガラであった。三宅島のスダジイを食べるオーストンヤマガラについてはこのかけはしで以前に紹介したことがある。ヤマガラを見るのは初めてであった。帰りぎわに、外で確かめると、エゴノキが植えられている。ヤマガラはエゴノキの実を食べるのだ。エゴノキの白くて大きな実をついばんでは嘴でつついて食べている。エゴノキの果実の果皮は有毒であるという。ヤマガラはそのエゴノキの実を割ってその中味を食べることが出来る。自然界では、このエゴノキの実をヤマガラが貯食するので、ヤマガラによってエゴノキは分布を広げるとも言われている。中京大学は八事の街中にあるが、その裏手は八事興正寺に接している。八事興正寺には鬱蒼とした林が広がっている。ヤマガラがいておかしくない。
 11月21日、やはり日曜日。日本生命財団の研究助成に関する研究会。いよいよ二年目に突入するので、いよいよ成果を挙げなければならない。ところが、この日は全館、一日中停電である。予定した会場は北向きで、暗くて寒々としている。何とか南側の明るい部屋を見つけてやりすごした。コンピユーターが動かず、資料が打ち出せない。にわか作りの資料を作成して、コンビニまで何度か足を運んでコピーして、何とかしのいだ。
 11月22日、土曜日。大学院生の清田君のフィールドに出向く。高蔵寺で落ちあい、そこからは彼の車で行く。目指すは春日井市のはずれにある丘陵地帯だ。そこでは中生代の地質の上に、矢田川累層という砂礫層が横たわっている。砂礫層に混じって粘土の層があると、そこが不透水層になって水がしみ出てくるというのだ。だから斜面の上の方から水がわき出て、斜面の砂礫層の上を流れていく。湿ったところは、とうぜん木が生えず、湿地が出来る。教科書的には、湿地は遷移が進んでやがて森林で覆われることになっている。だが、誰も見た人はいない。私の考えでは、湧水として水が十分に流れている限りは湿地は存続するという仮説を立てている。清田君のテーマとは直接関係はない。粘土層が不透水層となるといっても、その粘土層を分析した例はない。清田君のデータによると、粘土の含まれる割合が意外と少ないという。それで不透水層の役目を果たしているのか疑問がわく。しかし、事実は事実だ。ところで、問題は、中生代層と砂礫層との関係がいまいち把握しきれていないのだ。つめが甘い。とは言っても、私は地質のしろうとだ。清田君の説明だけではよく理解できない。現場で何が問題なのかを議論するのが目的だ。なるほど清田君の言うとおり、両者の関係は微妙で難しそうだ。でも、時間は限られている。このような困難を乗り越えるのが研究だ。午後からは私のフィールドの犬山市に向かった。犬山市の郊外にあるヒトツバタゴの天然記念物の指定地である。そこにはヒトツバタゴの実生(芽生え)が存在している。春からその生残を追跡調査をしているのである。蛭川村は 天然のヒトツバタゴがわりと多く分布することで有名である。しかし、その後継者はまったくなく、すでに絶滅寸前と言われている。実生がまったく見つからないのである。私はヒトツバタゴの果実を食べる鳥が絶滅したという仮説を冗談半分に考えている。しかし、どうも冗談では済まないようなのである。犬山市の天然記念物のヒトツバタゴは今年は大豊作で、木全体に無数の果実が着いている。その果実は、11月の下旬になっても、鳥に食われた様子はなく、ヒトツバタゴの樹冠では一羽の鳥も見かけないのである。どうしてヒトツバタゴの実生が天然に出ないのか。そしてそれは本当に鳥に食べられないせいなのか、今後が楽しみなテーマの一つである。調査を終え、清田君の車で大学に向かう。途中、アベマキやコナラの落葉広葉樹が褐色に色づき始めていた。秋の晴れた日に車で調査に出かけるのは楽しい。私一人の場合は、いつも電車やバスだ。今日は久しぶりにドライブ気分を味わった。
 今日は11月23日の勤労感謝の日。やはり日曜日。尾張旭市で講演会があった。私は講師の一人として、里山の成り立ちについて講演をおこなった。前日、家で、ニュースを見逃さないようにと伝えておいたのだが、テレビ局はどこも来なかった。三内丸山では縄文人がクリを栽培したかも知れないという最新の情報や、それは里山のはしりであるという話をした。カケスがアラカシのどんぐりを運ぶことや、今、私のところで四年生が卒業研究でカケスを追い回しているという話もした。三宅島のオーストンヤマガラが木の枝に止まって、シイの実をつついているスライドも披露した。熱を入れて話しをしたせいか、またもや帰りの電車で寒けがする。今、寒けをこらえて、かけはしの原稿を仕上げる。ちょっと中途半端に長くなって1ページでおさまらない。えい、ままよ。久しぶりに2ページ分を書いてしまえ。原稿を書き上げると、これから明日の一限目の授業の準備だ。


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