新フィールドノート
−その40−



弥 彦 山
名古屋大学情報文化学部 広木詔三


 今日は、意を決して床屋へ行った。ほんとうは床屋へ行く時間も惜しいのだが。なんでこんな邪魔な毛なんか生えるのだろう。とは言うものの、隠すほどの毛もなくなるほど薄くなっていることを気にはしているのだが。
 ところで、わたしの行き付けの床屋は夫婦二人きりでやっている。どちらもおしゃべりが好きだ。旦那は物知りで面白い。だが、奥さんの方は、つい最近、向かいにできたワンルーム・マンションがどうの、住人がゴミをちゃんと出してくれるだろうか、ゴミと言えば、買い物で包まれる包装紙がどうにかならないか、などなど不満をぶつけてくる。「今時の若い人は幸せだね。あんなきれいな部屋に住めて。」と言うので、私が「たった一つの狭い部屋で幸せかな。」と、疑問を呈すると、「今時の若い人は、掃除をしなくて済むから狭い方がいいんだって。」と言う。ほんとうは疲れを癒す絶好の機会なのだが、しかたなくフムフムとか適当に相槌を打っている。旦那の方は、年輩の顔見知りがくると、これまた話し込むタイプなのだが、若い学生相手のときは、話し相手にならないので、ラジオのヴォリュームを上げて奥さんの話を聞かないようにしている。
 流れてくる音楽をなにげなく聞いていると、まだ11月の22日だというのに、クリスマスの曲やら「もういくつ寝るとお正月」などという童謡がかかっている。いくらなんでも早すぎる、と思っていると、そのうち、クラシックが聞こえ始めた。バッハだった。聞き覚えがある。とても久しぶりだった。半年ぶりだろうか、いや一年ぶりだろうか。曲の名前は分からなかった。あとで調べてみると、クリスマス・オラトリオだった。曲名の意味はいまいち分からないが、娘のCDで調べてみると、クリスマスにちなんだ曲ということで見当がついたのだった。
 つい先日、昔よく通った喫茶店で食事をした。コンビニなんかで済ませずに、喫茶店で昼食を取るなんて、それこそいつからご無沙汰なのだろう。ところが、せっかくのゆったりした環境で食べているのに、仕事のことが頭から離れないのである。これは異常だ。せめて食事の間くらいは頭を休めないと。と、思うのだが、いろいろと考えてしまう。これでは、そのうち、過労死するな。
 その喫茶店で、気づくと、それまで掛かっていた曲が変わり、クラシックになった。クラシックを聞くのは、そのときはほんとうに久しぶりだった。音楽が聞こえはじめると、それまでいろいろ浮かんでいた考えは消え、ピアノの曲が耳に入ってきた。何となく聞いたことのあるような曲だ。でも、覚えがない。僕の苦手なショパンかな。そのうち一部だけ妙に懐かしいメロディーが流れてきた。ショパンには甘いメロディーはないはずだ。帰り際に、店のママさんに聞いたら、ベートーウベンだということだった。いつからだろう。僕は、ベートーウベンから、いつのまにかバッハに鞍替えしてしまつたのだった。ひと頃は、毎日のように娘のCDを借りて、バッハを聞いていたのに、最近は、音楽の「お」の字もない。こんな人生でよいのだろうか、と疑問をもつ。しかし、ゆとりのない生活は、音楽から遠のかざるを得ない。
 11月1日から3日まで、新潟で開かれた日本科学者会議主催の第12回総合学術研究集会に参加してきた。通常の学会とは異なり、学問と平和、あるいは環境問題のような学問と社会的な関わりを求める集会である。万博問題について、私を含め三人が問題提起を行った。一人は、民法の専門家で環境アセスメントに関するものだった。
 その集会には、1日の朝6時に起き、新潟大学での一時半からの全体会にどうやら間に合った。酒づくりの工場長を長らく務めた嶋悌司さんという人の「新潟の酒と文化」という題の講演を聞いた。酒は、食生活の味との関係が深いと言う。新潟は、全国に先駆けて、軽い味を作り出して、シェアの維持をはかってきたと言う。その晩の懇親会で、時価8,000円という大吟醸酒が出されたのであるが、確かに香りは最高だったが、私には合わなかった。どうも、私には、新潟の酒は合わないのである。次の晩、同行した小林君をさそって、夜の街に繰り出したが、酒はまずかった。酒がまずいと、料理もまずく感じられた。小林君は「のっぺい」やらなにやら、いろいろとうまそうに食っていた。
 三日目は、集会は遠慮して、レンタカーを繰り出して、ミヤマナラの探索に出かけた。前もって収集した情報によると、標高の低い地域にもミヤマナラが存在するというのである。おそらく八甲田山のミヤマナラとは異なるに違いない。それぞれの地域ごとに、種分化の実験がなされているのではないかという私の仮説を実証するにはもってこいのフィールドである。そこで、最初は内陸部に行ってみたが、山に登るのが困難なので、急遽、海岸部の弥彦山に行き先を変更した。海岸線を行くと、小高い丘陵が見えた。標高たかだか六百メートルほどの丘陵である。車で山頂近くまで行けるのである。車を下りて、山道に入る。海風が強いのであろう。山道の両側は矮生の潅木のしげみとなっている。したがって見通しがいい。日本海が間近に見えた。秋晴れとは言えないが、暖かく心地よい。斜面の林をのぞき込むと、なんとブナ林がある。大学院時代に会津磐梯山に登ったことを思い出す。頂上に近づけば近づくほど、傾斜がきつくなり、もう息がつけず、もう二度と磐梯山に登るのは止めよう、と思うのだが、その年の研究も一段落し、秋も深まり、山頂部から紅葉が始まる頃に登ると、そこは別世界で、苦しくとも、やはりまた登ってよかったと思うのであった。名古屋に来てから、磐梯山に登ることもなくなった。あちこちのフィールドに出かけはしたが、磐梯山の登山に匹敵するものはなかった。だが、弥彦山は、磐梯山の登山をほうふつさせるのである。たかだか600メートルだというのに。日本海から吹き付ける風が厳しいのであろう。山頂付近は矮生の風衝林である。それがいかにも山頂をきわめるという印象を受けるのである。私も、もう若くない。車で来て、たかだか100メートルも歩けば山頂である。これは魅力的である。
 弥彦山は、平野部でしかも海岸部に位置している。内陸部から遠く隔てられているので、植物地理学的にも興味深い。新潟の植物地理に詳しい石沢進先生にお会いする予定だったが、なかなか連絡がつかない。朝も、昼の食事時も電話はつながらなかった。弥彦山の帰り、新潟大学のわきを通過するので、喫茶店に立ち寄り、そこから電話をすると、三度目の正直で、電話が通じた。理学部の研究室にお邪魔して、ミヤマナラをはじめいろいろとお話を伺った。石沢先生は雪国に適応したユキツバキの研究で有名である。先生は、話が弥彦山におよぶと、もともとにこやかな顔をますますニコニコさせて、「いま弥彦山のフローラについて研究しているんですよ。」と言い、弥彦山の植物についての資料を下さった。
 ところで、新潟大学の向かいの喫茶店では、クラシックのレコードがびっしりと置いてあった。そのとき掛かっていた曲はなんだか分からなかったが、名古屋では味わうことのできないゆったりとした気分を久しぶりに味わった。
  前回     メニューへ    次回
  
新フィールドノート
kyoshoku-c@coop.nagoya-u.ac.jp