新フィールドノート
−その38−



東海丘陵要素植物群
名古屋大学情報文化学部 広木詔三


 偶然というものが、ときおり重大な意味をもつことがある。多くの芸術作品がそうであるように、ふとした偶然があたかも避けることのできない運命かのように小説に書かれていることが多い。バルザックの作品には、そのような事件に満ちているが、彼の「あら皮」という作品は、その代表格であろう。骨董品店の品々を前に、主人公が何やら前口上を長々と述べるくだりがあり、読むのにひどく辟易した記憶がある。ところが、30ペ−ジほど読み進むと、突然、主人公が友人と運命的な出会いをする。それから、主人公の波乱万丈の派手な生活が展開するのであるが、そのストーリーのあらすじをひとことで言うと、主人公の望みにかなう展開が進行すると、身近にある動物製の皮が縮んでいき、その「あら皮」が縮んで消失するときが、主人公の命が尽きるというのである。主人公は、それに気づくと、いつさいの瀟洒な生活を排し、ただひたすら、「あら皮」が縮まないようにということだけに、全神経を集中するのであった。このことは、われわれの日々の生活そのものが死と裏腹にあり、そして日々生きるごとに死につつあるという真実を気づかせてくれるのである。
 ところで、私も、つい先ほど、このバルザックの世界にも匹敵するほどの重要な偶然に出会ってしまった。何のことはない、箕浦さんに、バッタリ出くわしたのである。明日から、日本植物学会に出席するというこの時に、である。まだ、発表の準備が済んでいないのにである。箕浦さんが私に気づかなかったら、そのままやり過ごそう、なんて考える暇はなかった。箕浦さんの、あの穏やかなほほえむような笑顔で、例のことはお忘れではありませんよね、という眼差しを見てしまっては、もう逃れるすべはない。いや、それでも学会の準備を理由に今回の「かけはし」の原稿を断ることも不可能ではない。しかし、箕浦さんの目を見てしまったことは、バルザツクの「あら皮」の主人公がその友人との決定的な出会いにも匹敵するほどの意味を生じてしまつたのである。今日の残す時間もあとわずかなこの時点で、われながら人生の貴重な時間を何と無駄なことに費やしているのかと思いながらも、私は、とり憑かれたように、言葉をもてあそんでいる。だが、しかしそれが人生なのではないだろうか。
 私は、これまで、夏はあまり仕事をしないできた。上高地のような、涼しい地方での調査ならいざ知らず、夏の暑さが厳しい名古屋近辺では、まず、夏には調査に出かけない。ところが、今年の4年生の1人が卒業研究で、海上の森をテーマにすることになったため、夏の間遊ばせておくわけにもいかず、8月のクソ暑い時期に、フィールドを案内して、テーマ設定のために、4年生とともに下見に出かけた。卒業研究のテーマは、海上の森の地質の違いと森林植生の発達度の違いをみるというものである。ところで、砂礫層地帯の尾根はかんからかんで、熱風のまっただなかだ。そこで、谷間に下って、湿地のわきで、にぎりめしを食べた。すると、湿地には、ミカズキグ
サという尾瀬ケ原湿原にも生育するカヤツリグサ科の草本が生えているではないか。カヤツリグサ科の草本の多くは、夏場に穂をつけるということが分かった。カヤツリグサ科の草本の多くは、この穂をなすところの花や実を見ないと区別が困難である。私は、湿地をこれまで研究の対象としてこなかった。それは、湿地の植物は、私にとって同定するのがきわめて困難だったからでもある。ところが、夏場に湿地に出かけさえすれば、湿地の植物は識別が可能である。私は、それまで、そういうことに気づかなかったのである。  ところで、にぎりめしを食べながら、海上の森の湿地に生えるミカズキグサを眺めていると、遠い昔、学生時代に、たった1度だけ、私の先生のお供で、尾瀬ケ原湿原を訪れたのを思い出した。そして、私は、海上の森のほんの小さな湿地で、あたかも尾瀬ケ原湿原に居るような気分を味わった。
 その後、たまたま大学院のM1の清田君が東海地方の湿地をテーマに研究したい、というので、私も、彼とともに、東海地方の湿地を見て歩いた。写真は、有名な豊橋の「葦毛(いもう)湿原」で撮影したシラタマホシクサである。カラーでは、白い雪のように写って見えるのだが、白黒写真では、どのように写るだろうか、心配である。この東海地方にしか分布しないシラタマホシクサは、植物地理学的に「東海丘陵要素」と呼ばれている。このシラタマホシクサは1年生草本である。といことは、毎年、種子から新しく個体が再生しないと存続できない、ということである。シラタマホシクサが永続的に存続しうるためには、競争相手の多年生草本が少ないことが重要である。であるから、もう1枚の写真のように、チャートの礫が表れた水路に沿って、シラタマホシクサが生育している、という現象からも、そのようなシラタマホシクサの生態的な特性とその環境が関わっている、ということが読みとれるのである。
 さて、私は、学会発表の準備に取りかからなくては。もう、かれこれ、この原稿を書き始めて1時間が経過してしまった。今夜は、徹夜になるかも
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