新フィールドノート
−その30−
八甲田山毛無代にミヤマナラの起源をもとめて
名古屋大学情報文化学部 広木詔三
8月6日の夜半に名古屋を立ち、翌七日は唐桑半島の突端に泊まったことは、すでに述べたとおりである。その翌日、山形でソバを食べ、仙台の東北大学で資料を手に入れ、そして十和田湖へと向かったのであった。そして、懐かしき奥入瀬渓谷を散策し(学生時代、ここで野外実習をした)、八日の夜は、小林君の友人が住んでいる弘前に泊まった。いろいろあったのだが、そこまで立ち入るゆとりはない。
翌九日の早朝に、弘前を立ち、八甲田山へと向かった。いよいよ本来の仕事始めである。その前に、ちょっとしたアクシデントが起こった。朝飯を仕入れに入ったコンビニの駐車場で、小林君が後ろの車に車体をぶつけてしまったのだ。小林君の車は、父親の車だそうだが、一回り大きめで頑丈だ。だから相手の車の前面が少々へこんだ。車に乗ったことのない私には、車が少々へこんだぐらい何ともないのではないか、と思うのは浅はかなようで、相手の男は、事後の対策をしっかり取った。まあ、こんな話はどうでもよい。
目的地は酸ヶ湯温泉である。この温泉の名前の由来は、もともとはシカが湯につかって怪我を直したという言い伝えからきたそうだ。この酸ヶ湯温泉で車を止め、そこから約100メートルほど登ると毛無代である。百メートルと言っても、ほぼ垂直に近い登山道はきつい。ブナ林を越え、アオモリトドマツの林を過ぎ、見晴らしの良い湿原に出る。そこが毛無代である。その日は小雨がちで、遠方までは見通しがきかない。この湿原に、ミヤマナラと呼ばれている背丈が1メートルほどのナラの木が点々と潅木状に生えている。個体ごとに地図上にプロットし、葉をサンプリングした。それでほぼ目的を達した。
ミヤマナラの葉をサンプリングした目的はこうだ。ミヤマナラは日本海側の亜高山帯に多い。標高が高く気温が低い上に、雪が多いので、背丈が低いという特徴がある。私の疑問は、はたしてこのような低木が背丈の高いオオシラビソやブナの林を通って分布域を広げることが出来たのだろうか、ということである。日本海側では、氷期には、気温が低かったので、ミヤマナラは今よりももっと標高の低い地域に分布していたに違いない。最終氷期以降、気温が高まるにつれて、ミヤマナラは日本海側のそれぞれの山に向かって登っていったと考えられる。だがしかし、その氷期のミヤマナラが八甲田山まで分布域を広げたとは考えにくい。私の仮説はこうだ。八甲田山の毛無代のミヤマナラはその地域に分布していたミズナラから、独自に分化したものに違いない。毛無代は、かって八甲田山が爆発したときに噴出した溶岩からなる溶岩台地である。土壌も何もない所で、湿地が発達し、周辺のミズナラが樹高を大きくしないように遺伝子組成が自然淘汰によって変化してきたに違いない。だから、ミヤマナラは、まだミズナラの一集団に過ぎない。我々は通常、地域的な環境に対応した種の部分集団をエコタイプと呼んでいる。したがって、毛無代のミヤマナラと呼ばれているものは、ミズナラそのものなのだ。
現在、八甲田山の毛無代において、ミズナラの一部がわい生のミヤマナラを生み出しつつある、とも考えられる。だが新しい種が誕生するということは、そんな生やさしいことではない。いまだかって、誰も新しい種の誕生を目撃した人はいない。昆虫や微細な生物を考慮に入れなければ、新しい種が生ずるには少なくとも数万年を要すると考えられている。毛無代の溶岩が流れた年代ははっきりしていないが、数万年から10万年以内のオーダーだと見なされている。もしかすると、いよいよ新種の誕生間近かかも知れない。
しかし、毛無代の個体群を調べると、大きな変異に富んでいることがわかる。葉の形もどんぐりの大きさも、ミヤマナラと呼ばれているものに近いものから、ミズナラに近いものまでいろいろである。ということは、まだまだ周囲のミズナラの遺伝子が混じっていて、毛無代の集団が独立した集団になりきっていないことを示唆している。外部形態ではあいまいさが生じるので、遺伝子レベルで見てみようというわけである。同行した小林君は、遺伝子解析のテクニックを学んでいるところである。毛無代の個体群は、日本海側のミヤマナラとは起源が異なること、そして毛無代の個体群は、今まさに種分化の途上にあることを実証してみたい。
ところでグールドとエルドレッジによって、断続平衡論という種分化のプロセスの新しい仮説が提唱されている。これは種の集団の一部が、親集団から切り出されて、隔離されたときに新しい種が誕生するというものである。私は、この断続平衡論の信奉者である。だから単に、このまま毛無代の個体群がそのまま新しい種となるとは考えていない。現在では、数万年から数十万年単位で大きな気候変動が繰り返されてきていることが知られるようになった。毛無代の集団が独立するためには、新たな氷期にミズナラが下界に降りていったときに、毛無代集団が取り残され、生き延び、ミズナラとの関係を断ち切ることが必要なのである。また、温暖期がやってきて、ミズナラと出会ったときに、遺伝的に取り込まれてしまったときは、新しい種を生み出す実験は失敗したことになる。実は、新しい種の誕生には大いなる偶然が関わっている、と私は考える。そのような自然の実験は何度となく繰り返され、少ないチャンスで、新しい種が誕生するのである。そう私は考える。
毛無代の調査のあと、八甲田山の裏側の田代平に向かった。そこにはミヤマナラ的な個体は一つも無かった。我々が名古屋を立つ直前に、田代平では、火山性のガスで自衛隊員に死傷者が出た。実際には亜硫酸ガスではなく一酸化炭素だつたらしい。私は、心配であったが、我々は何事もなかった。その後、八甲田山は雨がちで、まったく仕事にならなかった。
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