新フィールドノート
−その29−
弥勒山山麓の丘陵
名古屋大学情報文化学部 広木詔三
この「かけはし」の前々号で、どっと感想が寄せられた。やはり感想が載ると、張り切りざるをえない。前号のかけはしに載った感想(これは前前々号についての感想)では、「タンタンとしてつまらなかった。」とあった。批判的なものでも、何もないよりは良い。ひところ、ほとんど感想が載らなかった時期があった。誰が読んで、どんなふうに感じているかは、予想もできない。本当は、たとえ「面白い」という感想が載っても、その他の人はどう感じているかは知るよしもない。しかし、一人でも、感想が載るのと載らないのとでは大違いである。感想を読んで、忙しいから、休んでしまおう、などと思ったことを反省した。
話は変わるが、私の周辺では、皆、忙しいので、「かけはし」なんか読んでいないだろう、と高をくくっていた。ところが、最近、いろいろな人が読んでいることが分かってきた。これは、うかつなことを書けないな、という感じがした。研究業績があまりあがっていないのも、無理はないと、妙に納得されてしまうのもこわい。
最近、大学外の知り合いに合ったとき、ニヤっと「かけはし」のことをほのめかすのである。「えっ!」「こんな人が読んでいるの?」と驚いたものである。意外なところで、意外な人が読んでいたりする。
ところで、月1回とはいえ、このクソ忙しい時代に、毎回かかさず寄稿するのは、なかなか大変なのである。いつも、締め切りを過ぎて、担当理事の箕浦さんに催促されるのである。前号も、印刷にかける寸前に催促され、すぐ、その場で書き上げた。そういう時は、もう、私も読み返したくない。実は、今現在書いているこの原稿も、締め切りをとうに過ぎて、さきほど、箕浦さんにばったり出会ってしまって、催促された上で書いているのである。以前は、校正に校正を重ねて書いたものだったのである。最近は、写真も大きく載るようになり、2ページ建てになった。それなのに、今、言い訳ばかりである。
実は、小林君と青森の八甲田山へ調査に出かけたとき、これをネタに書きまくる予定であった。「唐桑半島」までは良かった。そのあとが急に書けなくなってしまった。もう、青森行きの話はおしまいだ、と言ったら、小林君に、あれで終わっては、遊びに行ったと誤解されますよ、と諭されてしまった。青森でも、いろいろあったではないですか、と彼は言う。よし!書くぞ、と思ったが、八甲田山については、次号にすることにした。この後に続けると、中身がなくなるので。
読者には申し訳ないけど、今月号は、愚痴の特集号にしてしまえ。
今どき、大学では、忙しくない人にはお目にかかれないであろう。講義、実習、基礎セミナー、主題別授業、会議、会議、基礎セミナー、主題別授業、大学院の講究、4年生セミナー、会議、会議、それシラバスだ、それ引っ越しだ、東海テレビがどんぐりについて聞いてくる、それFAXが届いた、やれ成績をつけろ、学生が「先生、ここのところに印鑑を」、講義、セミナー、会議、会議、会議。おまけに、つい先ほど「何!投稿した論文がリジェクトだと!」。もう、気も狂わんばかりである。
4年生の卒業研究のためには、暇を見て、フィールドについて行く。生態学は、経験を要する分野なので、一人立ちするまでには、かなり時間が掛かる。大学院生といえども、手間はかかる。その上、私は、現在、自然保護の住民運動に関わっている。万博はもちろんである。春日井市で、「みろく山麓の自然を守る会」が、愛知県と春日井市の開発に異議を申し立てているのである。
高蔵寺ニュータウンの北東部に多治見市と接する丘陵部がある。標高400メートルほどの丘陵に、弥勒山と道樹山という二つの峰がある。そのふもとには、築水池という大きな人工池がある。春日井市は、レクリエーションの場に利用しようとした。愛知県が林野庁から補助金を貰って、開発をした。池の周辺に散策路を作った。それはまだいい。尾根から谷まで、散策路の両側を大々的に伐採した。それはまだいい。伐採したあと、木を植えた。アラカシ、シラカシ。これはまだ許せる。よそものであるマテバシイを数え切れないほど植栽した。さらには、ナンテン、ガクアジサイ、ムラサキシキブで、散策路の両側を垣根にした。このようなお仕着せの自然は良くない。このような庭園化した散策路で喜ぶ人は、自然を知らない人だ。林を通り抜けて、ある陽あたりのよい所で、ふと、ムラサキシキブに出会う。あのルリ色の果実に、はっと息をとめる。そのような出会いの機微が自然の妙を教えてくれる。自然を知らない行政は、作った自然を押しつける。愛知県は治山と称して、必要もない場所に、堰堤を造って意気ようようとしている。このような暴挙を見かねて、「守る会」は結成された。新聞でも、大々的に報道された。そして、今では、定期的に話し合いがもたれている。私も、出来る限り参加している。
今日、行政が、散策路の伐採現場を案内し、解説を行った。このことはいつか詳しく述べたい。説明会のあと、昼食を取り、それから仕事と称して、私は「守る会」の人たちと、築水池周辺の雑木林を散策した。11月も半ばを過ぎると、急に寒くなる。黄葉も盛りを過ぎて、秋も終わりの気配だ。自然観察指導員の一人が、愛知県でここだけにしかない植物がある、という場所を案内してくれる。私は、草本には弱いので、名前を忘れてしまった。去年は多かったのに、今年は、たった1個体しかない、という。聞いてみると、1年生であるという。植物の名前は忘れてしまったが、職業柄、その1年生草本がどのようにして生き延びてきたのか、興味を覚えた。忙しくとも、いいこともある。
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