新フィールドノート
−その28−



唐桑半島から十和田湖畔へ
名古屋大学情報文化学部 広木詔三

 実は、前回紹介した唐桑半島には、大学院の学生だった頃に一度行ったことがあるのだった。だから気仙沼の町並みも、泊まった宿もどことなく見覚えがあったのである。
 しかし、気仙沼を抜けて、唐桑半島に入ると、まったく初めてのように感じたのであった。そもそも唐桑半島まで、何しに出かけたのかが思い出せないのであった。バイクで行ったことははっきり覚えている。当時、私は、会津磐梯山のフィールドへ、バイクで通っていたものだった。ところで、唐桑半島に出かけた理由はどうしても思いだせなかった。一関で、気仙沼方面へ右折したことや、帰り道唐桑半島のつけねでバイクがエンストしたことも鮮明に覚えているのだが、そもそも唐桑半島まで何しに行ったのかがとんと記憶にないのである。
 時間が十分あると思って、松島から海岸線を行ったのは失敗であった。ただでさえ高速道路で速度制限を強いられた小林君は、追い越し禁止車線が延々と続くなか、普通のスピードで走っている車の後をチンタラと走っているのは苦痛のようであった。「宿の夕食が掛かっているせいですよ。」と、言い訳していたが、気のおもむくままにスピードを出せないと彼には辛いのではないか、と思われた。夕食の制限時間は迫っていたのも確かであった。気仙沼を通過する前であったと思うが、彼は、それまで前を走っていた3台の車を登坂車線でいっきに追い抜いてしまったのであった。
 唐桑半島に入ってからが、また、宿に着くまでに長く掛かった。曲がりくねった道を登って下って、また登って、というように延々と走り続けたように感じられたのであった。ようやく半島の先端に到着したときには、陽も沈み、暗闇に覆われてしまっていたのであった。夕食に、山ほどの海の幸が出たのであるが、無事を祝って、ゆっくりと酒を酌み交わしながら、ごちそうを味わう時間がなかったのはかえすがえすも残念であった。
 翌日は、唐桑半島の海岸線を散策した後、一関に出て、盛岡まで突っ走り、八幡平方面へ抜け、花輪から十和田湖へと向かった。この道筋は、青森市から奥入瀬を通って、十和田湖に向かうのとはまた違った趣きがある。高台から十和田湖を見渡せる展望所があるのである。かつて一度、弘前で学会があったときに、バスを乗り継いで行ったことがあった。その時、この高台から見た十和田湖が素晴らしくて感動した記憶があるのだが、今回は2度目のせいもあって、それほどではなかった。しかし、青々とした広大な十和田湖は壮観であった。2度と見るチャンスはないのではないかと思っていただけに、感慨深いものがあった。
 その日は、弘前に住んでいる小林君の友人の家に泊まることになっていた。まだ、時間も十分あったので、十和田湖を一回りして、周辺の名所を見て回った。観光めぐりなどばかりしていて、私はいったい青森に何しに来たのかと、ふと、思わないでもなかった。 


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