新フィールドノート
−その27−
唐桑半島
名古屋大学情報文化学部 広木詔三
大学院生の小林君と、青森の八甲田山に、ミヤマナラのサンプリングに出かけることになった。小林君の車で。どんなに車を飛ばす小林君でも、青森まで車では、一日では無理だ。途中、一泊することにした。どうせ泊まるなら、風光明媚な、宮城県の気仙沼の海岸部に泊まることにした。気仙沼から突き出している半島、すなわち唐桑半島の突端の国民宿舎に予約を取った。
昼間は、渋滞に合いそうなので、8月6日の夜半に、名古屋を立った。夜通し、東名高速を走り、明け方、東京の都市高速を突き抜けた。私は、睡魔にしばしば襲われたが、東京の都市高速は、幅が狭いうえに、カ−ブが多く、緊張のあまり眠れなかった。東京を突き抜けて東北自動車道に入ってから軽く朝食を取った。そして、さらに、高速道を突っ走った。いつのまにか、車のスピ−ドが、100キロが120キロになり、気がつくと130キロになっていた。小林君は、160キロは出しますよ、と、言っていたのを思い出した。ついに140キロになったときは、神経がピリピリときた。一睡もしていないものだから、心臓にもひびく。休憩所で、しばし休息を取り、小林君に120キロ以下で走るように懇願した。彼は、高速道路で120キロ以下で運転すると眠くなるという。しかし、その後、彼は100キロ程度で運転を続けてくれた。かなり我慢しているのが分かったが、しかたがない。さすがに100キロ程度で走ると、130、140キロで走り続けたあとは、ゆったりとした気分であった。
小林君の、快調な運転で、昼間のうちに宿に着いてしまう気配が感じられた。そこで、山形まで出張することにした。山形市は、日本一、ソバがうまいのである。残念ながら、お目当てのソバ屋は、休業であった。しかし、山形では、普通の店でも、ソバ屋にはずれはない。とにかく、山形で、ソバを食べ、それから仙台に出て、東北大学に行き、八甲田山の噴火史に関する情報を収集した。たまたま八甲田山の噴火史を研究している大学院生が見つかって、文献を教えてもらうことが出来た。
まだ、3時前なので、高速道路を使わずに、海岸線を進むことにした。せっかくだから、観光も兼ねて。しかし、松島に近づいた頃には、だいぶ時間が立ってきた。宿の夕食は6時から8時までで、それを過ぎると食べることが出来ないと言われていた。したがって、松島の観光どころではない。それから、追い越し禁止の田舎道を延々と、忍耐づよく走り、滑り込みで、夕食に間にあった。ビ−ルで無事到着を乾杯したが、間もなく、あと片づけで追い立てられた。2日分の休息を取り、翌日、目が覚めると、快晴で、海岸が素晴らしかった。
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