新フィールドノート
−その3−



ブナの実ひろって17年
名古屋大学情報文化学部 広木詔三


 私が、名古屋大学の教養部に着任したのは、1974年の夏でした。その教養部が廃止されて、2年目に入りました。今回は、何やら、退官を前にした老教官の回顧談のような書き出しです。
 教養部に勤めたわけですから、それなりに一般教育に専念しました。つまり、1、2年生をもっぱら教えるわけです。高校の先生のようには教えることを訓練されていませんから、学生さんを犠牲にして成長する面もありました。
 なかなか研究成果が上がらず、教育にも生かせない年月が経ちました。しかし、学問とは何か、教育とは何かと考える時間はありました。というより、考えざるを得なかった、というのが現実でした。
 一般教育の真髄は、専門的な基礎教育とは異なって、個別の専門分野を通して学問とは何かを考えることだと思うのです。ですから、教師自身が、学問とは何かと問うことが必要であると思います。私自身は、近年、森林の多様性と動態を一つの軸にして、それに人間との関わりという環境問題を絡ませて、一般教育をおこなっています。将来は、生態学を通して、学問とは何かを示してみたいと思います。
 前置きが長くなりましたが、1976年から始めたブナの結実周期の仕事がようやくまとまったのです(1985年の「かけはし」86号に研究のねらいを書きました)。およそ6年の大きな周期で、ブナは大量に種子を生産するのです。主に、磐梯山と新穂高で17年間の記録と種子の落下後の運命とネズミやササとの関係の一端を明らかにすることができました。大豊作の翌年には、9割9分の種子をネズミに食われても、それでもなお大量の実生(芽生え)が生き残るのです。そして、さらに暗いササの下で何とか生き延びなければなりません。
 生き物と生き物の関係は複雑で、多様です。北米では、「周期ゼミ」といって、17年毎に無数のセミが地上に現れる例が知られています(私の研究論文も?)。しかも、それが一種類だけでなく、三種類のセミが同時に発生するのだそうです。捕食を回避する巧妙な戦略の一つと考えられます。
 ブナの結実周期は、ブナの光合成の生産量と気温等の環境要因が複雑に関わっていて、そのメカニズムまでは今のところ解明されていません。ブナの大豊作の年には、生産量の多くを種子に回してしまうため、翌年の葉の生産量が少なくなるので、年々、葉の量を増大させて回復してゆくと推測しています。
 これまでのところ、6年から8年の2度の周期を確認しています。定年まで続けようと思っていましたが、コストに見合わない研究なので、もう、打ち切ることにしました。磐梯山までブナの結実を調べにいくのに、新幹線を使っても行きに一日、帰りに一日で、実際に調査できるのはあいだの一日だけです。しかも、まったくの不作の年は、自腹で5万円をはたいても、得られるデータは零のみです。
 1990年には、朝霧で滑って転んで、右腕を骨折してしまいました。痛くて、しばらくの間起きあがれませんでした。その日のその後の調査では、ブナの実を左手で拾って数えました。夕暮れの時に下山したのですが、見知らぬ車が止まって、乗せてくれました。こんなことは、後にも先にも二度とはありませんでした。私は、骨折しているとは夢にも思っていなかったのですが、その親切な人は、右腕の痛い事情を知ると、合図若松の病院まで送り届けてくれました。
 このような苦労が報われて、論文がようやく受理されました。ところが、調査を打ち切った翌年に、3年目にして再び大豊作になってしまいました。それで、自然はそんな単純なものではない、と嘘ぶいています。


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