新フィールドノート
−その2−



海上の森をさまよって
名古屋大学情報文化学部 広木詔三


 皆さんはご存知だろうか?
瀬戸の「海上(かいしょ)の森」で西暦2005年に愛知万博の開催が予定されていることを。
 皆さんはご存知だろうか?
大いなる自然破壊を伴うことを。
 皆さんはご存知だろうか?
「自然との共生」という美名のもとに県民をあざむこうとしていることを。

 私は、「海上の森はすばらしいですよ。世界一小さいハッチョウトンボはいるし、湿地にはサギソウはあるし、・・・」という北岡さんのスライドの解説を聞いて、噂に聞いた海上の森に出かけることになった。北岡さんというのは、ものみ山自然観察会という、海上の森で観察会をしているグループの世話役の一人だ。

 行ってみると、なるほど、海上の森は自然度が高い。愛知環状鉄道の山口駅で降りて、しばらく歩くと、海上の森の入口に到着する。瀬戸の市街地からそれほど遠く離れていないのに、これほどの雑木林が残っているというのは驚きであった。瀬戸は焼き物の町であるから、燃料のために木を伐るので、禿げ山のように荒れ果てているかと思いきや、それが違うのである。
 東山動・植物園の周辺の尾根部は、第二次世界大戦の前後に禿げ山と化したことが知られている。土地が痩せていて、土壌がほとんど発達していないのである。ところが、海上の森は木は伐られていても、裸地化したことはなく、したがって、土壌もそれなりに発達しており、その結果さまざまな林床の草本も多く見られる。もちろん、このような発達した林は民有林であって、愛知県の所有している県有林は、それはひどい。森林は伐採しすぎて禿げ山同然のところや、ヒノキやスギを植林しても手入れをしていないので、それはひどい様子をしている。最初の年は、民有林のよく発達した林を調査して、東山丘陵との違いを明らかにした。
 この年、1993年の夏は雨がちであった。中央線で高蔵寺駅に着く頃にはどしゃぶりだったりした。もちろん、すぐさま家路に引き返した。

 林床の草本の分布調査は、8月も終わりの2日間でおこなった。ユリ科のチゴユリ(稚児百合)とギフチョウの食草であるスズカカンアオイに的を絞って、その分布の度合いを調べるのである。1日目は予備調査をおこなった。一定の面積にどれだけの個体が現れるのかを調べるのである。10メートル四方で、チゴユリは最大でなんと、2,672本も出現した。こんなことをしていたら、いつも日が暮れてしまうので、1平方メートルを10カ所調べるやり方と比較した。ほとんどそれで1日が費やされた。
 2日目は、およそ1ヘクタールほどの調査地域を、調べ回るのである。もう、駆け足に近い。紀要の論文提出期限が間もない。

 調査の対象とした約1ヘクタールほどの地域は、愛知工業大学の裏手にあたり、吉田川に沿って峡谷が続いている。花崗岩地帯なので地形の浸食が激しく、無数の谷が入り込んでいる。谷間の湿地を超えて、次の調査地に行く。マムシに出会ってギョッとする。帰りには、この沢、通りたくないな。谷の小川を渡って、また、さらに次の調査地に行く。そうして何度も谷を渡る。チゴユリの数を数え終わって、ふと気づくとどちらの方角から来たのか分からなくなった。どこもかしこも花崗岩で似たような地形なのだ。

 しばらくその場を動かなかった。もう何度も経験がある。あわてるとますます分からなくなる。充分に落ちついてから、周囲を探索しはじめる。午後の3時でも陽がかげりはじめた。谷間はすぐ暗くなる。笑い事ではない。こんな瀬戸の近郊で遭難するなんて。ほんとに、やっとのことで、もときた道に帰ることができた。
 経験があるのである。富士山の青木ヶ原で遭難しかかったことが。それについては、またの機会に。


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