新フィールドノート
−その1−
木の葉を数えながら
名古屋大学情報文化学部 広木詔三
8年ぶりに、新たにフィールド・ノートを連載させていただくことになりました。よろしく。
かつては薪や炭を燃料として使っていたわけですが、里山の多くは薪や炭を供給するための薪炭林として維持されていました。どういうわけか、森林の伐採を続けると、常緑広葉樹の林は落葉広葉樹の雑木林に変わってしまいます。それがどういうメカニズムで起こるのかというのが私どもの数多くの研究テーマの一つでもあります。
どうやら木を伐採した後の樹木の再生量の違いは、根に蓄えた養分の量の違いに基づいているという見当がついているので、木の根にどれくらいの養分が蓄えられているかを量ることを一つの目的としています。
木の根っこに養分が蓄えられていると、木を伐ったあとで、芽がつくられ、根の養分を使って葉や茎が形成されます。そのとき、光合成によらずに、純粋に根の養分だけで再生するように、光を遮蔽した黒い覆いをかけて再生させます(写真参照)
木の大きさによって根に蓄えられた養分の量が違うので、木の大きさは幹の重量と葉の重量も量って求めます。このとき同時に、葉の数も数えておきます。
まだ、この仕事を始めたときには、ほとんど見当がつきませんでしたが、大きなアベマキの木では一本の木で10万枚という見当です。もっと小さい葉をつける樹木ではその何倍にもなると思われます。
これまでに数えたところでは約三万枚が最高です。この3万枚の葉を数えたのは、今から10年以上も前で、ちょうど3億円強盗事件が発生して世間を騒がせた頃でしたが、山のようになったクヌギの葉を前にして、3億円というのがいかに巨大な金額かということに驚いた記憶があります。
つい先日も、木を切り倒して1万5000枚ほどの葉を数えたところです。
木の葉を数えるということはわりと単純なので、慣れてくると、葉を数えながら、いろいろな事が脳裏に浮かんできます。35年ぶりで初めて開かれた小学校の同窓会での場面も浮かんできました。あこがれだった女の子が、どうしても同一人物とは思えず、山本周五郎の「野分」ではありませんが、同窓会で会わなければよかった、などという事なども、葉を数えている間に思い出したりしました。
つい、先日、生協主催の「弦楽四重奏の夕べ」での演奏の場面も浮かびました。バッハは40代の後半に知ったのですが、その「G線上のアリア」は最高でした。カフカの「変身」のグレゴール・ザムザが妹のヴァイオリンを聴いて、自分は虫であるにもかかわらず、音楽はなんと美しいものかと感動する様が、演奏を聴いている時に思い浮かんだことも、葉を数えているときに思い出されました。
第一ヴァイオリンの天野さんが、演奏は昔は貴族のためだったと言っておられましたが、私もひととき貴族のような気分になりました。生協の食事と場所はさておいても。
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