新フィールドノート
−その25−



「海上の森」を万博会場にしてよいのか
名古屋大学情報文化学部 広木詔三


 ついに恐るべき結果となった。それは6月12日から13日の夜半にかけてであった。モナコで開かれていたBIE総会で、2005年の万博は日本で開催が決定されたのであった。これだけ自然保護の観点から反対運動があり、日本自然保護協会が「海上の森」での開催を批判したにもかかわらず、BIE(国際博覧会協会)は、瀬戸での開催を前提とした開催を認めたのであった。愛知県知事は、鬼の首を取ったかのような喜びようで、「自然との共生」という理念が認められたとうそぶいた。BIEでの決定は、お金にまみれた、どすぐろい政治の力で決着がついたのである。一部の国では、日本政府と愛知県の甘言にそそのかされ、「海上の森」における開発計画があたかも「自然との共生」を体現するかのような幻想をいだいたのは事実である。しかし、昨年「海上の森」を視察したBIEのフィリプソン議長は、自分は自然保護の専門家でもなく、決定するのは私ではない、と明言していたのである。思えば、1992年6月に、ブラジルのリオの環境サミットで、地球環境の危機が認識され、世界の趨勢も、一見、開発一辺倒から、環境問題重視に移ったかのように見えた。しかし、現実はそう単純ではない。今回の出来事は、経済的な事情がまだまだ環境に優先することを物語っている。
 私の体験から、「海上の森」は里山の身近な自然として貴重であると判断している。その具体的な中身については次回にまわして、万博計画の問題点をこの際に指摘しておきたい。
 1995年の9月に、カナダのカルガリーが万国博に立候補した。この時点では自然保護を訴える団体の反対運動も高まり、日本における推進側の危機感も高まった。通産省は、政府の緊縮財政という点からも、規模の縮小を愛知県に迫った。財政負担の大幅な押しつけとともに。同じ年の12月に閣議了解がなされたのであるが、それはカルガリーの立候補を睨んで、その直前に、シデコブシの群生している屋戸川の上流部をBゾーンとしてはずすことを環境庁と通産省が妥協したのである。この妥協案を、開発一辺倒の愛知県に押しつけ、なんとか見た目に「自然との共生」をめざしているように体裁を整えることが出来た。
 愛知県は、学術研究都市開発構想や新住宅開発構想を考えており、万博を引き金に、開発を押し進めたいのが本音であり、里山の保全という視点はきわめて弱い。しかし、「海上の森」の素晴らしさがわかったのは、万博のおかげである。万博問題が起こらなかったなら、「海上の森」は人知れず、開発され、消失する運命であったと思われる。瀬戸で万博が開催されることが決まったとしても、「海上の森」で開かれるかどうかは、今後の自然保護の運動いかんにかかわっている。ぜひ、みなさんも、一度ならず、「海上の森」に足を運び、万博の唱い文句である「自然との共生」が生かされるかどうか見守っていただきたい。 


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