新フィールドノート
−その24−



田沢湖
名古屋大学情報文化学部 広木詔三


 1980年に、弘前で日本生態学会が開かれたときのことだ。私は脊梁山脈を縦断することにした。盛岡から田沢湖線に乗り換え、田沢湖へと向かった。
 今でこそ、盛岡から青森まで新幹線が走っているが、当時は、特急でも盛岡から青森まで4時間はかかった。盛岡から特急に乗り換えると、人の顔も、景色も、みちのくへ向かうという強い印象を受けたものである。妻の実家が青森にあったこともあり、新幹線のない時代に何度となく東北本線は利用した。車窓からの風景は、山もみどり、田畑もみどりで、まさにみちのくという感じそのものであった。
 当時、1年間の出張旅費は5万円ほどであった。せっかく弘前まで出かけるのに、いつものように東北本線に乗って、ただみどりの景色を眺めるだけというのは、フィールド・ワーカーとしては能がない。というわけで田沢湖から十和田湖へと脊梁山脈を縦断することにしたわけである。
 田沢湖駅は、標高650mの高原にあった。そこから駒ヶ岳の8合目まで登った。これは有名な秋田駒ヶ岳とは異なる。さて、駒ヶ岳を下って、田沢湖畔を散策した。ゼフィルスと出会ったのはそのときである。ゼフィルス(Zephyrus)というのは、「ミドリシジミ」というシジミチョウの仲間である。ゼフィルスというのは、ギリシャ神話で西風の神を意味するという。私はそのとき蝶と出会ったわけではない。蝶の採集家と出会ったのだった。ゼフィルスの幼虫は、私の研究対象としているブナ科の葉を食べるというのである。その話を聞いて、私は蝶を身近に感じた。当時、私は、旅をしても人と話しをすることとはほとんど無縁であったが、どういうわけか、このときはゼフィルスと出会うべく蝶の採集家と親しくなった。
 さて、田沢湖からバスで八幡平から大館へ抜けた。その途中、十和田八幡平国立公園で、10分間の休憩があった。写真は、このとき十和田八幡平国立公園を写したものである。写真では亜高山帯の針葉樹林が広がっている。この写真は、1980年以来、毎年、授業で利用している。わが国の森林帯を解説する授業で欠かせないスライドの一つである。この写真に写っている針葉樹はオオシラビソで、東北地方では別名アオモリトドマツとも呼ばれている。
 その後、大館から十和田湖へ抜けた。青森県側からの十和田湖とは違って、高台から見おろした十和田湖の眺望は、晴れた青空ともマッチして、素晴らしかった。
 ようやくのことで弘前に到着し、無事、学会にも出席した。学会で何を発表したかはまるで憶えていない。懇親会で、富士山のイタドリの研究でよい成果を挙げていた丸田美恵子さんと話し込んだことをよく覚えている。気づくと、食べ物がすっかり無くなってしまっていた。生態学会は、若い学生の参加が多く、料理をめぐっての競争が激しいのである。それ以来、私は、生態学会では、研究の話はしないことにしている。もち論、これは懇親会の席に限った話ではある。


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