新フィールドノート
−その23−
石狩海岸
名古屋大学情報文化学部 広木詔三
3月の下旬に、北大で日本生態学会が開かれた。生態学会は春に開かれるのが通例であるが、北海道で開かれる場合は、たいてい夏になる。だが、今回はあてがはずれた。
石狩平野の石狩海岸は、私が研究対象としているフィールドの一つである。この石狩海岸には、幅500mほどにもわたるカシワ林が海岸線に沿って延々と続いている。塩分を含んだ風や雪が日本海から吹き付け、カシワの葉や枝が枯れてしまうのであるが、前年の枝との境に予備の冬芽があり、カシワはその予備の冬芽によって新しい枝や葉を再生することが出来る。カシワは厳しい海岸の塩分を含んだ風に対してうまく適応している。カシワ以外の樹木は、このような適応能力をもっていないので、海岸線の前面まで分布することができない。カシワと近縁なミズナラも北海道には広く分布するが、ごく局所的な例外を除けば、ミズナラは厳しいストレスを受ける海岸には分布しない。
海岸線近くでは、ものすごいストレスを受けて、カシワの樹高は3から4m程度であるが、海岸線からかなり離れるとストレスも弱まり、樹高も10mを越すようになる。このように海岸線からかなり離れて、ストレスが弱まるとミズナラが出現するのである。
このカシワとミズナラの「すみ分け」を明らかにするために、1989年に、釧路で生態学会が開かれたときに、札幌に一泊して、一日、石狩海岸で調査を行った。海岸の砂丘の背後にカシワの樹海が広がっているが、海岸線に垂直になるように真っ直ぐカシワの樹海を進むのである。この樹海の中を真っ直ぐに進むということがいかに困難なことか。100mも進むと、もう、どちらを向いてもカシワ、カシワ、またカシワで、方向がわからなくなる。このように苦労して200mほども進んだ。ところがである、廃棄物処理場かなんかのために、そこから先はカシワ林が全部伐採されてしまっていた。泣きたい気分だった。
1994年の夏に、日本植物学会が札幌で開かれた時に、再びチャレンジした。この時は成功して、海岸線から10m幅で230mのラインを設け、カシワからミズナラへの移り変わりを捉えることが出来た。始めに述べたように、今年の生態学会の際には、デ−タを補充しようと考えていたのであるが、今年の開催は、まだ雪深い3月の末であった。石狩海岸での調査は諦めざるをえなかった。ちなみに、学会での発表のテーマは、「石狩海岸におけるカシワとミズナラのすみわけ」に関するものであった。
我が情報文化学部の野外実習も学会の前日まであったため、飛行機でとんぼ返りであった。帰路、千歳空港を飛び立った時点では日が暮れていた。隣の若い女性が窓側の席を望んだので代わってあげた。何かとても喜んでいた。あとでわかったことだが、ヘール・ボップ彗星が見えたのだった。アナウンスを聞き逃したのだった。これも残念なことの一つであった。
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