新フィールドノート
−その20−



三 宅 島
名古屋大学情報文化学部 広木詔三


 そもそもの始まりは、三宅島行きの航空便が欠航になったことだった。
 昨年の11月30日(土)から12月1日(日)にかけて、三宅島に種子の採集に出かけた。午後2時頃に羽田空港に着いて、ロビーの電子掲示板を見ると、三宅島行きの便は、風が強いので、14時半の気象状況待ちだと言う。30分ほど不安な気持ちで待っていると、ついに三宅島行きは欠航となった。しかたなく払い戻しをしてもらった。
 飛行機がだめなら船がある。船は浜松町の竹芝桟橋という港から出る。飛行機がこわかった昔は、いつも船で行っていたものだった。ただし船の出発は、夜の10時50分である。有楽町で映画でも見ようか、などと思いながら、浜松町で電車に乗った。最近は山手線でも、快速というのが走っている。つい最近、快速が走っているのを知らずに、東京−上野間を通ったとき、あれ!御徒町の駅が無くなった、と、驚いたことがある。などということを思い出しながら、有楽町と思って降りた駅は、新橋だった。新橋の駅を出ると、初めて走った記念の車両が見せ物になっている。新橋の駅に着いた頃は、夕暮れどきであった。まだ、食事をするには早すぎる。駅の周辺を一回りした頃には、街の明かりが目につき始めた。東京にしては珍しく小綺麗な喫茶店を見つけ、本を読んで時間をつぶした。すぐそばのテ[ブルでは、お年寄りが三人、長いこと、タバコをふかしながら喋っていた。私と同じように、時間をつぶしているものと見える。タバコの煙に耐えかねて、その店を出た。
 さて、食事をしようと思ったが、まだ五時をまわったところだ。まだまだ時間は無限にあった。こうなったら居酒屋で、酒でもくらって、粘るしかない。と、考えて、新橋界隈の探索を始めた。一回りして見たが、これはと言う店には、客が1人もいない。なんとなく、入りそびれた。まだ、時間が早いのだ。そう思って、もう一回りしたが、2度目もお客の入っている店は少なかった。屋台を見つけ、おでんを食べながら酒を1杯あおった。まだ6時台だった。1杯機嫌で、新橋探索をまた始めた。町外れまで来ると、なんと7時前だというのに、もう店じまいをしているところがある。かなりの不景気と思われる。スナックを一軒見つけた。こうなったらスナックにでも入って、時間をつぶすかとも思った。しかし、まわりのスナックは全部閉まっていて暗い。気味が悪いのでやめた。2時間ほども歩き回っただろうか、新橋の街は、もう、知らないところはない。さすがにどこの店にもお客が居ないということはない。しかし、流行っている店とがらんとした店と両極端である。酔いもだいぶ醒め、頃合もよしと、私はお客の多い、とある店にはいった。食事をするまえに、酒を1合注文した。自分はいったい、何をしに来たのか、などと思ったが、酒が回ると、そういう余計なことは考えないことにした。右隣りでは、男女のカップルが楽しそうにはしゃいでいた。左隣りでは、女の2人連れが、大きな声で喋っていた。見ると、2合びんが5、6本ころがっていた。やがて1人がトイレに立った。なんと私のうしろがトイレだった。中に人が入っているらしく、私のわきでトイレが空くのを待っている。そのうち大阪弁で話しかけてきた。するともう一人が、酒瓶をかかえて寄って来るではないか。いろいろと聞くので、三宅島行きの飛行機が欠航になったので、船を待っていることを話した。三宅島に何しに行くのかと聞くので、シイの実を拾いに行くのだと話した。この4月から、今度私のところに来る学生が、シイの実から遺伝子を抽出して、スダジイとツブラジイの雑種の起源の問題を解明することになっているのだ。ところでひどく酔った女2人は、自分たちもシイの実を拾いに行きたいと言う。
 どういう風のふきまわしか、女2人を連れて、三宅島に行くことになった。竹島桟橋で切符を買い、ストレッチア丸に乗り込むとき、1人がロープをくぐり抜けて、乗りかかった船から帰ってしまった。もう1人は、何も言わずついてきた。1番安い2等船室に陣取り、見知らぬ女を脇に船底で寝た。船は大きく揺れ、酒に酔っているのか、船に酔っているのか分からないほどであった。明け方5時頃、三池浜の波止場に着いた。村営バスが、真っ暗な中を、それぞれの宿まで運んでくれる。美晴館のおかみさんは、何も言わずに、彼女を私の予約した部屋に案内し、私のためには、部屋が全部ふさがっているので、茶の間にフトンを敷いてくれた。仮眠をしたのち、朝食をすませ、出発した。あいにく雨が降り、風も強く、寒かった。椎取り神社のスダジイ林でシイの実を拾ったが、落ちている数も少なく、落ちているものも、虫食いがほとんどだった。明らかに、不作であった。そこで、タクシーを拾い、太路池のスダジイ林へと向かった。
 太路池では、タクシーを待たせ、2人でシイの実を拾った。太路池はただでさえ幻想的な湖なのに、見知らぬ女と太路池を眺めていると、溝口健二の雨月物語が思い出される。
 森雅之演じるところの主人公が、京マチコ演じる公家の娘に接待され、あやうくあの世の世界に連れていかれそうになるというストーリーだ。主人公は焼き物をつくって、京の都に売りに行くのが商売で、川岸で船に荷を積み、沖に漕ぎ出すと、霧にのみ込まれるシーンがある。溝口健二の世界は、いつ見ても感動的だ。  三池浜で、強い風が吹く寒い中、帰りの船を待った。波が荒く、船は大幅に遅れた。
ワンカップの酒を買い込み、2人で飲んだ。酔いが適度にまわると、大波の船揺れと同調して気分が良い。いつしか気づくと、彼女はタバコをふかしていた。あと1時間でお別れだと言う。大阪に帰るとき、新幹線でまた会うかもねなどと言っている。植野という名は聞いたが、年も住所も聞かないでしまった。一瞬、寅さんの映画の中に居るような錯覚にとらわれた。
 竹芝桟橋に夜の10時頃着いた。浜松町で京浜東北線に乗る。彼女は川崎で乗り換えると言う。なんとか最終に間に合うと言う。私は新横浜に出た。ホテルに入ると、1万円以上すると言う。明日の新幹線代が足りなくなるので、断わって出る。だいぶ歩き回ったが、安宿は見つからなかった。ものすごい冷え込みだ。野宿などしたら、凍え死ぬ。必死の思いで、鶴見に宿をとった。横浜線の最終に乗り、東神奈川で京浜東北線に乗り換えた。それも最終で、間一発であった。
 その翌日は嘘のような快晴で、新幹線で新横浜を出ると、やがて雪をかぶった大きな富士山が見えた。名古屋に着くと、そのまま大学に直行し、無事、授業を終えた。


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