新フィールドノート
−その19−



沖   縄
名古屋大学情報文化学部 広木詔三


 11月の14日から19日まで、琉球大学で開かれた日本科学者会議主催の第11回総合学術研究集会に参加してきた。14日には、那覇空港に着く間もなく、戦跡めぐりツアーのバスに乗り、かの有名な「ひめゆりの塔」を見学した。バスガイドは退職した高校の老教師で、その解説は臨場感に溢れ、我々は乙女たちの境遇に涙し、日本軍の卑劣さに怒った。平和記念館の台地から見渡す海はコバルトブルーで、ハイビスカスの赤い花も見うけられ、その朝寒い中、小牧空港を立ってきたとは信じられないほどの暖かさであった。  その晩、「うらしま」という沖縄の舞踊を見ることの出来る酒場に出かけた。なるほど、沖縄は今でこそ日本の一部だが、南方の文化の影響を受けた琉球王朝の香りがした。翌日の懇親会では、またもや民族舞踊があった。若者たちによるタイコとおどりのエイサーも披露された。一番の出しものは、大西一座の舞踊であった。昨日の大衆酒場の踊りとは比べ物にならない芸術の香りがした。解説でも、那覇市随一なのだそうだ。きのうは、わざわざお金を払ってしまったな、と、つい思ってしまった。
 さて、二日目には、基地めぐりのツアーがあったが、私は失礼して、シイの実に関する情報収集を行った。沖縄のシイは、本土のスダジイと同じと見る見解もあるが、私は変種と見ており、オキナワジイとする立場を取っている。
 ところで、この学術研究集会では、平和の問題から教育の問題、薬害エイズの問題から高齢化社会の問題までと多彩な分野の分科会が開かれた。私は、とくに生態系の破壊に関心があった。全体会のスライドで紹介されたヤンバルの動物たちとその危機的な状況、さらには赤土の流出で壊滅的な打撃を受けたサンゴ礁の状況は聞きしにまさるものだった。科学技術庁による資金と技術の援助で、赤土が流れ出るようにわざわざ傾斜をかけて、農地を改良したため、その結果、サンゴが壊滅的な打撃を受けたと言う。マスコミでよく耳にする白保は例外的に残ったものだと言う。本土の中央政府からの補助金行政が深く進行し、沖縄はがんじがらめであると言う。沖縄本島の北部は、ヤンバル(山原)と呼ばれ、ヤンバルクイナ等の固有種が多いが、それはシイやカシの森林で覆われているからである。ところが、補助金行政に依存しているため、使いもしない林道を切り開いたり、むやみに森林を伐採したりして、動物たちの生存を脅かしていると言う。北部の人は、生態系の保護よりも、開発を望んでいると言う。基地のため平和な生活を脅かされているばかりではなく、中央政府によって縛られ、自主的な発展の道が閉ざされている沖縄を、私はかいま見た。ヤンバルの自然や沖縄の珊瑚を守るためには、開発一辺倒の政治や行政を自然環境を重視するように転換させなければならない、と、つくづく感じた。
 那覇市内の宿から琉球大学まではかなり離れているため、毎日、タクシーに相乗りで通った。タクシーの運転手は、みな話好きだ。それぞれ個性があるが、ある運転手は、ハブの話になると、目的地までその話だ。意外と、ハブにかまれる人がいると言う。那覇市内の町なかにも生息していて、石垣のすき間などにひそんでいて、かまれることがあると言う。少々、不安になった。我々の一部は、最後に北部の生態系見学のツアーが残されているのである。別の運転手は、ハブの話に夢中になると、なんとハンドルを離してしまうのであった。ハブにかまれたら、あわてて駆け出したりしないで、じっとしていることと、血液が早く回らないように、かまれたところのわきを何かで縛ることが肝要らしい。血清があるので、まず死ぬことはないと言う。まずは一安心だ。ところがハブはマムシと違って、木の上にいる場合もあるそうだ。そう言えば、マムシだって、私が追っかけたとき、木に登って、上から私を睨みつけたことがある。ハブに木の上から襲われて頚動脈などをかまれたら心臓に毒が回ってひとたまりもないそうだ。このことを聞いて、またまた大きな不安に襲われた。ある運転手は、ハブにかまれて、カミソリの刃で、血を出し、毒が回らないようにした、という生まなましい話をしてくれた。貧乏で血清を買う金が無かったからだと言う。まだカミソリの傷あとも残っていると言う。
 18日から19日にかけて、お目当ての北部生態系ツアーに参加した。ヤンバルクイナやノグチゲラを見ることは出来なかったが、シイの原生林らしきものを見ることが出来た。だが、原生林的なものは、皮肉なことに、米軍の弾薬庫か何かで放置されたもので、地元の森林は伐採を受けて、二次林化してしまっていると言う。我われ一行が泊まった琉球大学の演習林の周辺も、リュウキュウマツが植林されていて、ひどい状況であった。写真では、赤土の色は見分けられないが、大々的に伐採をして土がむき出しになっているのが分かる。手に入れた資料では、もっと生まなましい状況が写っている。ツアーでは、その他にもいろいろなところを見学した。生まれて始めて、マングローブ林も見た。オヒルギの種子が、胎生と言って、樹上で発芽し、そのまま根を伸ばしている現場にも出会った。しかし、またしても、上流部ではダムなどの開発の話が持ち上がっていると言う。
 琉大演習林のベッドは木作りで、固かった。明け方、目をさまして、トイレに行くとき、寒かった。これが、あの亜熱帯なのだろうか、と、思わせるほどだ。そう言えば、タクシーの運ちゃんも、沖縄だって冬の朝は寒く、風邪も引く、と、言っていたなどと思いながら、他の人より早めに起き出して、狙っていたシイの木へと赴いた。昨日は、少々暗くて、老眼のため、シイの実が識別出来なかったのだ。早起きは三文の得などということを思い浮かべながら、いよいよ目的のシイの木にさしかかった時のことだ。すでに、先人が居るではないか。残念ではあるが、そのあとを隈なくさがして、必要最小限のシイの実を見つけ出した。今年は、シイの実は不作だと言う。
 沖縄の料理は、ニガウリやヘチマなど慣れないと食べにくいものも多い。沖縄の酒、泡盛も私の好みではない。それでも、帰りの便では、空港で見つけたワンカップ大関を飲みながら、シイの実の豊作の年に、また沖縄に、シイの実を採集に来よう、と考えた。


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