新フィールドノート
−その14−
穂高岳右俣渓谷
名古屋大学情報文化学部 広木詔三
今回は、回顧趣味におちいらず、つい先日調査に行ってきたばかりの生々しいフィ[ルド体験を紹介しよう。5月12、13日と、穂高岳右俣の渓谷林へ調査に出かけた。去年は、ブナとサワグルミの果実が豊作であった。ある仮説を検証するために、去年の秋に準備をして、ある実験を計画した。
一般に、渓谷にはブナ林が成立せず、サワグルミやトチノキの渓谷林が発達するが、ブナが渓谷に侵入できないのはなぜかという問題がある。渓谷では、一般に土壌が過湿になる場合が多いが、どうもそれだけでは説明できそうにもない。ブナの種子は雪の下で発芽し、雪解けとともに胚軸が立ち上がり、子葉を展開する。そしてすぐさま光合成を開始することが出来る。この性質は生育期間の短かい地域で生存する上での1つの適応である。しかし、このように、いち早く成長を開始することが、逆に、ブナが渓谷に進出することを妨げている可能性がある。サワグルミの子葉が地上に現われるのはもっとずっと後だ。早春には、まだ、えさが少なく、他に先駆けて葉を開くことは、草食動物に狙われて食われやすいのではないか。ノウサギやカモシカ等の草食動物は、春さきに必死で食物を探しているはずだ。
私は、このことを実証せんがために、右俣の渓谷林の林床にブナの種子を大量に播いた。百個ずつ三ケ所と、1,000個を1ケ所。1,000個も播いたのは、以前に行なった実験では、100個程度では100パーセント動物に食われてしまったからだ。ブナの実は、煎って食べれば、ネズミにたべさせるのが惜しいほどうまい。ほぼ丸1日かけて集めた1,000個ものブナの実を、ただネズミに食わせるためだけに播いてしまうのは少なからず惜しい気がした。しかし、実験のためにはしかたがない。さらに、コントロールのために、動物の食害を免れるように、金網で覆いをした中に100個のブナの実を播いたものを用意した。金網で覆いをすれば、ネズミなどの動物に食われずに、翌春には、ブナの芽生えが、ぞっくり見られるはずだ。
今年の春は、寒気が続いて、春が遅めだった。高山から平湯にかけて、オオヤマザクラがピンクの花を咲かせているのを、特急ひだ号の窓から味わうことができた。今年は2度も春を楽しむ機会に恵まれたというわけだ。山間部の寒さは、予想以上で、穂高連峰の根雪はもちろんのこと、右俣の渓谷は、雪渓でおおわれていた。ところどころ雪融けた黒土の所に点々とフキが黄色い頭をもたげている。右俣の入口に差し掛かった頃ふと思った。そうだ、いつもは6月も半ばのもっと暖かい季節にやって来たものだった、と。そのとたん熊のことが思い浮かんだ。そして足どりも重たくなったように感じた。これまでにも、時折、山菜取りに入った人が熊に襲われたという新聞記事を見かけたことがある。だが、ここまで来て、引き返すわけにはいかない。
熊だって本当は人間が恐いのだ、と人に聞いたことがある。渓谷の木々は、まだ芽生えておらず、林が遠くまで透けて見える。熊の方が先に気づいて逃げてくれないかななどと勝手なことを考える。だが、ツキノワグマは、視覚よりも匂いで人間を察知すると言われている。だから風向き加減ではやばいぞ、と思う。それよりも何よりも、赤ん坊を産んだばかりの子連れ熊は危険だ。
このような内心びくびくの状態で歩きながら、ふと鹿児島大学の修士を今年卒業した小林さんのことが思い浮かんだ。彼女は、トカラ列島の現在火山が噴火している諏訪之瀬島という島で、火山植生の調査を行ない、その結果をもとに修論をまとめたのだった。小柄ではあるが、なかなか勇敢な人だった。噴火の激しい日には、何日か置きにしか出ない船が欠航することもたまにあるという。僕も、熊ごときにビクビクしてはいけないぞと自分に言い聞かせた。
しかし、やはり熊は恐い。去年、初めてカモシカに出会った。20年近くも通っていて初めてのことだった。長い人生のうちには、いろいろな事に出会うものだ。ということは、いつかは熊と出会うこともあるのだろうか、などと思っていると、学生時代の想い出が蘇った。仙台で下宿していて、仙台を間もなく離れる頃のことだった。近所のバーのママさんのことだ。ツキノワグマと出会った経験談を聞いたことがある。吊り橋の両側で長いことにらみ合ったそうな。熊の方が逃げてった、とカラカラと笑っていた。そう言えば、そのママさんは、熊みたいにころころ太っていたので、熊も恐れをなしたのだろう。
だんだんと、渓谷の奥深くに入ってゆく。恐怖心はさらにつのる。熊に出会ったら、かけはしの原稿は日の目を見ないな、ということがふと頭に浮かぶ。このような事態でも、透けた林の合間を通して、周囲の様子がはっきりと見てとれる。ドストエフスキーの「白痴」という小説で、ドストエフスキーの死刑宣告を受けて、刑場まで引かれて行った体験談が描かれていることも思いだした。もうじき処刑されてこの世からおさらばする死刑囚が、いやに意識がはっきりとしていて、周囲の様子などが鮮明に記憶されたということだった。
いろいろなことが思い浮かんだりしたが、目指す目的地は、すぐそこの3つ又の登山道を右に折れて、もうすぐだ。1,000年はたったかと思われる巨大なカツラの木が目印だ。ようやく、たどりついた。と、思ったところ。ところが、どうだ。カツラの大木が見あたらない。そんなバカな。何やらブルドーザーで木を切り出した形跡が認められた。そのためか、私の大事な実験場は、土砂で埋まってしまていた。悔しかった。憤りを越して悲しかった。この実験は、今年失敗したからと言って、すぐまた来年という訳にはいかないのだ。というのは、ブナの実が豊作になるのは、また6年ぐらい待たなければならないからだ。停年までに、チャンスがあと一度しかない。そういう実験なのだ。
大きな谷を埋めた土砂を検査しているうちに、ふと気づいた。これは木を伐採したために起こったことではないと。谷の側壁が崩壊して、上部から大量の土砂が流下したためだと。冷静になると、このような自然現象を前にしては、たかが1つの論文が日の目を見なかったからと言って、そう嘆き悲しむほどのことではない、という気がしてきた。井伏鱒二のサンショウウオのように諦観することが出来た。
私は、方針を変更した。崩壊を受けていないブナ林の下では、ブナの芽生えが見つかるはずだと。残念ながら、ブナ林まで出かけてゆくゆとりはない。何とかブナの大木を見つけて、その下を探し回った。1時間以上もかけて、11個体のブナの実生を見いだした。予想どおり、ブナの種子は雪の下で発芽して根を伸ばしていて、もうすでに子葉を立ち上がらせ始めていた。サワグルミの種子はまだ発芽していない。
私は、駆け足で、バス停へ向かった。そのバスに乗らないと、その日のうちに帰れないのである。もう1泊する財政的ゆとりはない。名鉄神宮前駅に着いたとき、構内の屋台で1杯引っかけて、生きて帰れた喜びを1人で味わった。そして、改札を出て、家路に向かうバスに乗り込んだ。
前回
メニューへ
次回
新フィールドノート
kyoshoku-c@coop.nagoya-u.ac.jp