新フィールドノート
−その129−



宇治
 広木詔三


 小雨混じりのうすら寒い日に宇治市に向かった。
 生まれて初めて東北大学理学部生物学教室関西支部の同窓会に出席するのだ。
 案内状に、琵琶湖におけるカワヨシノボリの起源とあった。それに釣られて、つい行く気になったのだった。
 今日は十一月十一日。地球温暖化のせいかと思える猛暑の後に急激な寒さがきて、イチョウやソメイヨシノがたちまち色づいた。いつもの秋日和が今年はほとんどなかった。
 夏のさなかに来た案内状には紅葉が見頃でしょう、とあった。
 京都でJR奈良線に乗り換え、宇治駅に向かう。雨はまだ降りつづいていた。寒いのでタクシーに乗る。宇治の平等院の裏手の路地をくねくねと車は走り、宇治川に出る。川に沿ってやがて会場の「花やしき浮舟園」に着く。花やしき浮舟園という旅館である。
 玄関を入るとすぐに大広間があった。まだ人影も少ない。大広間の片側は全面硝子戸で、そこから宇治川の流れが見渡せる。部屋には暖房が入っていない。せっかくの宇治川の眺めも寒々としている。だんだん人の数も増えてきた。時間がきて受付が始まった。並んでいると、これは小学校の同窓会ですよ、と言われた。
 あわてて別の部屋を探して、それらしき部屋に入った。知った顔はなかった。戸惑っていると、司会をしていた戸部さんが、広木さんが来てこれで全員揃いました、と言う。彼は後輩で良く知っている。席について一安心である。
 彼の挨拶の後、早速カワヨシノボリの話が始まる。内容は期待はずれだった。そもそも学会ではないので期待する方が間違っているのだろう。
 私は魚には疎いが、どういう訳か、ハゼ科には関心がある。
 魚類の繁栄にはおどろくべきものがあり、多様な適応放散を遂げた魚類のなかでもハゼ科は底生生物として特殊化している。鰭がただのヒレではなくなっているのだ。海や川の底を這うときの支えにもなれば、空を飛ぶ時の翼にもなる。空を飛ぶムツゴロウは有名だ。トビハゼの仲間も水面を飛び出して木の枝に止まったりするが、川の中では砂礫上をヒレで歩いたりする。
 陸上動物の直接の祖先ではないが現在でも生息している肺魚も鰭がみな腹の下側についていて、ヒレで歩けるようになっている。
 遊泳能力に優れた魚の鰭から一直線に陸上四足類の足が進化したのではなく、中間段階として、体を支える鰭が発達したのである。
 カワヨシノボリの話が終わると恒例の食事をしながらの近況報告である。最年長の古老がひとしきり演説をした。今回の会場である浮舟園は、かの山本宣治の実家であるという。テーブルを囲んだ人数は十四、五名ほどであろうか。写真撮影の時によくバレーボールをしましたね、と一人が言う。一学年後輩だというが思い出せない。当時の生物学教室の建物はレンガ造りで、中庭にはテニスやバレーボールの出来る敷地があった。
 閉会後、そぼ降る雨の中、宇治川を眺めながら一人で歩いた。向いの丘陵は常緑樹林が回復し、紅葉する落葉樹はわずかだった。
 宇治平等院の裏の狭い路地の両側には宇治茶を売る店がたくさん並んでおり、会場だった旅館の雰囲気といい、ずらっと並んだ茶屋といい、ほんの一瞬、今日一日宮崎駿の映画「千と千尋の神隠し」の中で過ごしたような気分になった。
 帰りの電車の中で、後輩の名前と若い頃の顔を思い出した。


  前回     メニューへ    次回  
  
新フィールドノート
kyoshoku-c@coop.nagoya-u.ac.jp