新フィールドノート
−その125−



コナラのどんぐりを求めて
 広木詔三


 九月二十三日の彼岸を過ぎるとさすがに猛暑は治まった。
 その頃、乙川の土手に深紅のヒガンバナの花が目につくようになる。
 東岡崎駅に着く手前で電車は乙川にかかる橋を越す。そのほんの一瞬のあいだに岡崎城や、そのわきを流れる乙川や土手を見ることができる。よく晴れた日には岡崎の街のむこうに丘陵も見える。
 私がふとヒガンバナの花の写真を撮ろうと思い立ったのは、十月の四日だった。
 ひと昔前はヒガンバナが咲くのは彼岸を挟んだ一週間ほどだったような気がする。それが近年は咲く時期が遅い方にずれているように感じる。データを取っているわけではないので気のせいかもしれない。
 ヒガンバナは高温から低温への気温の変化を感じ取って花を咲かせるのだろう。でもいったいどうやって。そういう生理学的な要因は自分の研究では考慮しないのだが、毎年ヒガンバナを見るとつい考えてしまう。
 愛知大学に、有薗正一郎さんという方がおられて、『ヒガンバナの履歴書』というブックレットを愛知大学綜合郷土研究所から出している。ヒガンバナは中国原産で、日本のものは種子を形成しないという。球根は有毒でさらせば食べられるという。
 ところで、そろそろコナラの堅果(どんぐり)が落ち出すころである。ただ一つ実験用具として名古屋大学から運んだプランターにバーミキュライトと赤玉土を入れて苗床を用意した。
 十月十五日土曜日、勝手知ったる名古屋大学のキャンパスにコナラのどんぐりを拾いに出かけた。小雨がちらついてこれまでの暑さが嘘のような日であった。ちょうどその日は名古屋大学のホームカミングデイにあたっていて、多くの人の姿があった。
 豊田講堂の裏手の林あたりをまず探索する。コナラのどんぐりは落ちていない。アベマキのどんぐりはたくさん落ちている。アベマキの場合は九月初旬から堅果が落ちるのだから、それはそうだろうと初めのうちは高をくくっていた。
 ところがどのコナラの木の下にもどんぐりは落ちていない。あてにしていた野依記念学術交流館の前のコナラの大木の下にも落ちていない。上を見上げると、コナラの葉が虫に食われてコナラの樹は無惨な姿をさらしていた。
 野依記念学術交流館の中や外で多くの人が談笑している。私も昨年、この野依記念学術交流館で日本植生史学会の基調講演を行ったのだった。そのときに建物の前のコナラの大木から小型のどんぐりが無数に落ちていたのに気づいたのだった。だからそこへ行けば、実験材料は有り余るほど手にはいるはずだったのである。
 知りうる範囲をくまなく探したが、アベマキのどんぐりはいやというほど落ちているのに、コナラのどんぐりはついに一つも見つからなかった。
 一度だけ小さなあおいどんぐりを発見して期待をもったが、よくみるとそれはアラカシの堅果だった。しばらくどんぐり類を扱わなかったので、目が曇ってしまっていたのだ。
 一人沈んだ心で名古屋大学を去った。
 その後も家の近くの林を探しまわったが徒労に終わった。
 今日は十月二十三日、日曜日。明日締め切りのかけはしの原稿を書きに出てくる。
 愛知大学豊橋キャンパスにはコナラの木が一本ある。どんぐりがおちているではないか。
 プランターにどんぐりを播種し、十分に水をやった。


  前回     メニューへ    次回  
  
新フィールドノート
kyoshoku-c@coop.nagoya-u.ac.jp