新フィールドノート
−その124−



釜伏山
 広木詔三


 今年の秋分の日は秋晴れの良い天気であった。
 台風十五号が紀伊半島や高知県で猛威をふるったあとだけに久しぶりに穏やかに日和に感じる。
 ひと月ほど前の盆明けの八月十七日、猛暑の中を新幹線で名古屋を立った。東京駅で東北新幹線に乗り換えるとき、プラットホームは熱風に包まれていた。
 盛岡で一泊した翌日、八戸まで出て、青い森鉄道という私鉄に乗り、野辺地へ向かった。
 青森まで通った新幹線のあおりを食らって、JRが撤退したのだった。
 どういうわけか分からないが、野辺地から大湊まではまたJRが走っている。
 終点の大湊の一つ前の下北駅で降り、タクシーに乗り継いで田名部のホテルに向かった。
 その日は八月十八日であった。
 今日から田名部の祭りが三日続くのである。
 高台にあるホテルの前はバスも通らず、しかたなく雨の中を歩いて田名部の中心街へと向かった。
 傘をさした着物姿の娘たちが歩いていた。
 雨にぬれながら長いこと待ったが山車はなかなか動かない。風邪を引くといけないので、近くの食堂に入って一杯やりながら食事をした。
 そこは二〇〇四年にも入ったことのある店だった。たしかそのときは下北から田名部まで電車が走っていたはずだ。
 たしか一切れ六百円ほどの大間のマグロを食べた記憶がある。たしか現在、下北半島の北西端に位置する大間には原子力発電所が建設されているはずだ。まだ稼働していないが。下北半島の南には核廃棄物施設で有名な六ヶ所村もある。
 十九日の朝、ホテルの窓から釜伏山が見えた。それは一瞬でその後返るまで二度とふたたび山は姿を見せなかった。
 だが、仕事はしなければならない。タクシーを呼んでもらい、釜伏山に向かった。雨は降らなかったが、上空は雲で覆われていた。 
 釜伏山の山頂へいたる登山道の手前の駐車場でタクシーを返す。
 登山道を登りはじめると、樹高が一メートルほどの矮生化したミヤマナラの群落がある。葉を採集し、写真を撮る。
 ブナも見つけた。ブナはミヤマナラのように背丈を低くしたままでおられず、周囲の群落よりも背丈が伸びて、風によるストレスで葉が枯れ、枯れ枝が多い。
 ほんの少し下ったところではちゃんとしたブナ林が存在するのだ。
 ほんの一瞬、雲のすきまから日が差し込み、分布の限界近くの枯れ枝の多いブナの様子を写真におさめることができた。
 それからは展望台に上がって時間をつぶした。
 陽の光で水蒸気が消えるかと思えば、また新たな水蒸気が吹き込んできて、展望台より上は雲で覆われつづけている。
 雲の下は視界が開け、田名部の町と陸奥湾が見える。何だか宮崎駿の「天空のラピュタ」の世界に居るようだ。
 二〇〇三年に、娘がまだ家出をする前に、津軽半島の蟹田からフェリーで下北半島に渡ったことがある。そのときは娘の運転する車で下北半島を回ったのだった。青森の妻の実家に着いたときはとうに暗くなっていた。
 九月の一、二日は例のごとく裏磐梯に出かけて涼しい思いをした。その帰りにようやく日本列島に上陸した台風十二号に出会った。
 その後、厳しい残暑がつづく。だが、今日は風がとても冷たい。


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