新フィールドノート
−その120−



山形と仙台
 広木詔三


辻村東國様
 先日は三日間お世話になりました。忙しいなか駅までの送り迎えをはじめ、二晩も食事に付き合っていただいて有り難うございました。山形駅が以前の駅の記憶とまったく違っていたので驚きました。新幹線が開通したからですね。
 記録を見ると前に集中講義に行ったのは一九九五年とあります。そのときは集中講義を四日もやっているのですね。私も若かったなと思います。
 このときは四年生向けの授業で三十人以上いたと記憶しています。学生さんたちにたいへん活気があってとても印象に残っています。夜には学生さんたちに誘われて居酒屋に行ったりもしました。
 授業では四年生に交じって、藤田君という修士二年の院生がいつも一番前に席をとり熱心に聞いていました。彼は最上川でミゾソバとオオイヌタデという一年生草本どうしの生態的な比較をしていたのでしたね。私の授業のメインテーマが植物の繁殖戦略で、しかも当時私はホソバノハマアカザという塩生植物に熱中していましたから意気投合して彼とはおおいに議論したものです。
 ホソバノハマアカザは一年生で、海岸の砂丘の内側に広がった塩分の多い湿地に生育し、二種類の種子をつけ、一方は落ちてすぐ発芽するのに対してもう一方は春になって一日の気温の変動が激しくなると発芽しだすのです。室内実験ではきれいな結果が出ているのですが、野外実験では実証できないままに終わりました。
 ところで、今年の集中講義は大学院向けということで、張り切って準備していったのですが、生態学専攻の院生がおらず、受講者が六人と少なく、私のひとり相撲という感じでした。でも、名古屋大学で教えていたときも大学院で私の専門の授業を行うことは困難でした。そういうわけで、今回の授業は私自身にとって勉強になりました。
 例年だと八月末には涼しくなるのに、今年は暑いと言っていましたね。今年は気象庁の統計開始以来の猛暑だったそうです。私は名古屋の暑さに慣れているのでとくにどうということもありませんでした。
 初日に入った天ぷら屋は上品で旨かったですね。店じまい直前に入ることができてラッキーでした。目当ての店が見つからず、何度も同じ道をぐるぐる回ったときはどうなることかと思いました。毎日自炊をしていて食べ歩かないのではまあ食事をする店が見つからないのも無理ありませんね。
 四年生の小寺君の磐梯山での調査はうまく行きましたか。車で六時間もかけて山形から裏磐梯まで学生さんを連れて行くのもたいへんですね。おまけに学生が迷って遭難しないように付き添うというのもご苦労です。
 私は山形を立った晩は郡山で一泊しました。翌日に猪苗代から裏磐梯高原に到着しました。その日は下見をしてその翌日に調査をしました。
 そうそうブナを見つけました。辻村さんたちが調査をしている山腹ではなく、山麓の平原部で発見したのです。周囲のブナ林からは1q以上離れています。辻村さんも山腹でブナを見つけており、位置と大きさを記録しているそうですので、私のデータと合わせて論文に発表しませんか。アカマツ等のパイオニアはもちろんイタヤカエデやミズナラをはじめ多くの後続種が泥流地域へ侵入しているのに対し、ブナの侵入はごく限られています。極相の構成種と考えられるブナの侵入がきわめて遅いということは重要な意味をもっていると思います。それにブナの実は果実に翼があり、風散布種子です。ブナの侵入過程の初期を記録しておくことは意味があると思います。ブナの論文について許諾の返事をください。
 たいへん長くなりました。腰痛を抱えているとのこと、これからも学生と磐梯山に登るためにもご自愛ください。
 集中講義の三日間お世話になりました。重ねてお礼を述べます。
 二〇一〇年九月五日
  広木詔三

辻村東國様
 名古屋も寒くなってきました。研究室の室温が三度ですって!暖房は入っていないのですか。国立大学の運営費交付金が毎年削減されているとは聞いていましたが、暖房も節約しているとは驚きですね。地方の国立大が疲弊しているというのは本当なのですね。
 ところで辻村君、つい先日仙台に行ってきました。ある学術集会に参加してきたのです。
 会場は勾当台公園近くのKKRホテル仙台でした。授業の準備で遅くなったので仙台駅からタクシーに乗り、勾当台公園で降ろしてもらおうとしたら。タクシーの運転手に、お客さん、勾当台公園は物騒ですよ。ひったくりや強盗が多発しているので気をつけてください、というのです。見ると公園の中は真っ暗で、用心して少し離れた明るいところまで移動して降ろしてもらった。
 勾当台公園はね、辻村君。彼女と逢い引きをした場所でもあるんだ。でも、僕が大学院に進学した年、彼女が友達と一緒に仙台に来て、僕とはもうお別れだ、と言うんだ。彼女たちが宿まで帰る後をついて行って、行き着いた先が勾当台公園だったんだ。彼女たちが宿に入った後、僕は木町通りを当てもなく歩きつづけたら農学部の前に出たよ。
 だから今回、懇親会を早々に引き上げて勾当台公園から農学部への同じ道を歩こうと思ったんだけど、年だね。疲れたんでやめたよ。
 そのかわり、翌日、高校三年のときに泊まった下宿屋を訪ねて歩きまわったよ。仙台での夏期のゼミが開かれたときに参加したんだ。
 バスで東北大学付属病院の裏を通って、国見という北のはずれまで行って探せば見つかると思ってね。その下宿屋がね。
 ところが新しい道や病院が出来ていて、すっかり様子が変わてしまっていてね。林がすっかり切り払われていて新しい家が多いんだ。端の崖のところから当時国鉄の線路が見えたんだけど、今ではJR東北福祉大前駅なんてのが出来ていたよ。
 歩き疲れたけど、丘のてっぺんに雑木林が見えて、丘の向こう側に回ると、宿泊した下宿屋によく似た感じの庭のある家があってね、建物が新しいのでそうかどうか確かめずに帰ったよ。
 帰りに、仙台の市街が見渡せるところがあったので、市街を眺めながら、学生時代を思い出したよ。青葉山の理学部に行く途中に坂があって、そこから仙台市街を見渡すことが出来て、深い霧がかかったりして。
 そうそう、辻村君は東北大学の管弦楽団に入っていたんだよね。青葉山へ行く途中の片平町の大学会館でチャイコフスキーの第五番を演奏したね。僕はクラシックなんて当時聴いたことなっかたけど、後輩たちが集まってレコードを聴いたことがあったね。それは僕がもう博士課程を終える頃だった。
 どういうわけか五年後に彼女とよりがもどってね。辻村君たちのオーケストラの演奏を彼女と一緒に聴いたんだ。前もって一度聴いていたからチャイコフスキー第五番のメロデイが耳に残ってね。小雪がちらついて凍てつくような日だったよ。
 長々と思い出を書き連ねました。ブナに関する論文の素稿を添えます。検討してください。
 体に気をつけてください。
 二〇一〇年十一月二十二日
 広木詔三


  前回     メニューへ    次回  
  
新フィールドノート
kyoshoku-c@coop.nagoya-u.ac.jp