新フィールドノート
−その117−



三国山
 広木詔三


 昨日、コンピューターが修理から戻ってきた。
 それで、今日は土曜日にもかかわらず、豊橋の研究室に出てきて、かけはしの原稿に取りかかったのである。
 昨日は魔の金曜日。生物の授業である。今年は、三限目の受講生が二百人少々で、四限目が約百五十人である。冷房の温度設定が二十八度で、教室の中はきわめて蒸し暑い。
 先週はカンブリア紀における動物の爆発的出現と節足動物をテーマにした。
 昆虫と甲殻類とクモ・サソリ・ ダニ類はそれぞれ綱のレベルで分けられている。クモとダニはわりと身近であるが、気持ち悪いと言う者もいる。ダーウインの生きていた時代にもカンブリア紀の化石は知られていたが、ダーウインは化石の情報が断片的で信頼がおけないと考えていたそうだ。現在では、多くの系統が化石によってたその由来をたどること出来る。
 現生のサソリは4億年以上も前のオルドビス紀の海サソリの子孫である。デボン紀の海サソリはもうすでに現在のサソリに形態が似ている。
 アメリカの古生物学者であるローマー氏は、我々はこの海サソリに感謝しなければならないと言う。シルル紀の無顎類は鰭も顎もない底生動物で、体の大きい海サソリに捕食されていたと推測されている。海サソリの捕食圧を受けて、無顎類の一部が鰭を発達させて遊泳能力を獲得し、その後に顎を発達させた魚類が進化したという。このようにデボン紀に繁栄した魚類の一部はシーラカンスのように深海に進出し、もう一方で淡水域に進出した胚魚の仲間もいる。デボン紀の胚魚はすでに鰭が体を支えて歩くように体の下部に付いており、現生の胚魚と形態的違いがあまりないのは驚きだ。グールドの断続平衡論がますます説得的に見えてくる。
 今週は脊椎動物と哺乳類がテーマだ。パキスタンで発見されたクジラの中間形の話もする。現在はDNA配列の比較からカバに近いことも知られている。
 気だるい空気のもとで授業を終え、修理から戻ったコンピューターを生協に受け取りに行く。雨が降り始めだんだん雨あしが強くなる。借りた台車がガタガタ揺れて、せっかく直ったコンピューターがまたいかれてしまうのではないかと気が気でない。
 研究室で修理されたマックに電源を入れる。大きな音がした。ああ電源が入ったのだな。中のデータは無事だろうか。〆切りの迫った論文の原稿が入っているのだ。画面が明るくなり、データは無事だった。またもや危機を乗り超えることが出来た。
 五月末から六月初旬にかけて、殺人的なスケジュールが続いた。
 東海地方の大学が連携して授業を開放する制度がある。学長懇話会の単位互換制度である。その一つに学長懇話会コーデイネート科目というものがあり、毎年テーマを決めていくつかの大学から講師が派遣される。今年は持続可能な社会というテーマで、愛知大学からは私が二回出講することになった。
 久しぶりにパワーポイントを使おうとするとスキャナーから図が取り込めない。隣の建物の情報メデイアセンターに駆け込んだ。悪戦苦闘して何とか準備した。五月二十八日金曜日、四限目を三十分早く切り上げ、豊橋鉄道の電車に乗る。豊橋で名鉄電車に乗り換える。金山から地下鉄で伏見まで行く。途中御器所で乗り換える。伏見の長い階段を昇り、地上にでて、御園座の前を通り過ぎる。白川公園の向かいに名古屋市の学習センターがある。エレベーターでその七階に到着すると、授業開始の五時五十分ちょうどであった。慌てて、息切れをしながら話をしたため、予定の時間よりも三十分も早く終ってしまった。見渡すと、五十人の定員のうち学生は数名で大部分は一般市民であった。年配の人からは質問も多く、なんとか格好がついた。
 翌日の土用日は高山に発ち、日曜日に高山で、同じネタで話をした。東海地方の湿地とシデコブシ等の絶滅危惧種の話を。
 月曜に研究室でマックの電源を入れたがうんともすんとも言わない。隣の情報メデイアセンターに駆け込み、松川さんに部屋まで来てもらった。マックは生協を通じて修理に出すことにして、手元にあったウィンドウズをネットに繋いでもらい、何とかスキャナーを使えるようにセットしてもらった。
 六月四日金曜日、四限目をまたもや三十分早く切り上げ、伏見へと急ぐ。今回は里山と雑木林の成り立ちの話だ。うまくUSBメモリーに入っただろうか。とても不安である。パソコンやこのようなUSBを使用するときは、いつも不安を感じる。果たして映像が映るのだろうか。会場でセットしてスクリーンに画面が写ると一安心。いや、そのときはもういつもの私ではない。声もうわずっている。
 翌日の土曜日は金沢に向かう。植物地理・分類学会に参加するのだ。
 京極夏彦の『姑獲鳥の夏』を抱えて、特急しらさぎ十一号に乗り込む。
 京極夏彦は今年のゼミ生である三浦君の愛読作家だ。今年も三年生のゼミは彼一人である。
 米原から車両が反対向きに走る。敦賀を過ぎ、トンネルを抜けると日本海側の丘陵が車両の両側に迫ってくる。スダジイの黄色い花が真っ盛りである。
 『姑獲鳥の夏』をちょうど読み終えたとき電車が金沢駅に到着する。頭はまだぼんやりしている。『姑獲鳥の夏』の世界から抜けきれない。
 改札口を出て植物地理・分類学会の懇親会会場の案内状を探したが見つからない。しばし呆然とした。日も暮れてきた。改装されて新しくなったJR金沢駅はひどく他所他所しい。駅の観光案内所も無情にも戸を閉めている。あちこち当てもなく歩き回る。ふと家に電話することを思いついた。旅先から家に電話することなどこれまで滅多に無かったのに。
 植物地理・分類学会の案内状は家にあると言う。うっかり忘れてきたのだ。
 タクシーで懇親会場に向かう。車は金沢城のわきを通る。駅からかなり離れている。一時間以上も遅刻だ。翌日のエクスカーションの案内のチラシを貰う。
 翌日、待ち合わせ場所で車に乗り合わせ、目的地に向かった。目指すは石川県と富山県の県境に位置する三国山である。標高たかだか三百メートルである。そのわずかな標高の間に、シイ・ カシの常緑広葉樹林とブナの落葉広樹林が見られるというのだ。日本海側の低地ブナ林ということと、あまり歩かなくても済むのが魅力だ。
 今日は月曜日、原稿の〆切りは明日だ。きのう手書きで書いた原稿を修理されたパソコンに打ち込む。大きい画面で快適だ。おっとメールで進化論に関する小論の校正がきている。それが済むともう帰る時間だ。
 今日は六月二十二日。かけはしの原稿の締め切り日である。
 ちょうど今からふた月前の四月二十二日。豊橋の研究室で気づくと六時近い。いつものように、帰る時間が迫る。そのとき突然思い出した。妻の手術の日であることを。もう済んでいる頃だ。失敗して死んでいるかも知れない。そうか家に帰っても妻は家に居ないのだ。何だか家に帰る気がしなくてふらりと鶴舞の名大病院に向かってしまった。鶴舞の地下鉄の出口の階段の数のいやに多いこと。
 病室に向かう。控え室から息子が顔を出し、まだ終っていない、と言う。立っていられない。
 地下鉄八事駅で、情報科学研究科の有田先生にお会いしたのはその日であった。私は御器所あたりで一杯飲んで足下もふらついていた。
 もう窓の外が暗くなりだした。


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