新フィールドノート
−その115−



名鉄神宮前の白い梅の花
 広木詔三


 今年は二月に入って寒波が到来し、二月の初旬は毎日冷たい寒風が吹き荒れた。
 名鉄の神宮前駅の東口を出て少し歩くと、名鉄神宮前という市バスの終点がある。バスターミナルの広場の隣には二階建ての駐輪場が建っている。この駐輪場の前には、とても小さな社が建っている。大きな人の背丈ぐらいで横幅は一メートルほどである。
 その社のわきには、これまた小さな庭がついていて、そこに梅の木が一本、いや厳密に言うと二本、植えられていた。
 二月の一日には、白い蕾が膨らみはじめていた。猛烈に冷たい風が吹きすさぶ。
 そういえば、去年の二月初旬にも、この白い梅の花を見た記憶がある。愛知大学からの帰りで、名鉄電車を降りて、バスターミナルに着く直前に、この社のわきの白い梅の花に気づいたのだった。そのときも猛烈に冷たい風が吹き、寒さで凍えそうであった。
 今も、底冷えのする冷たい風の吹く中で、薄暗い中に梅の蕾が白く光って見える。今年は蕾の数がとても多い。去年は、一輪だけ目立って膨らんでいるのがあった。花弁が膨らんで、顎からはみ出た部分が白く見えるのであった。
 今年は数えきれないほどの蕾だ。薄闇の中に、白い星のように散りばめられている。その梅の木は私の背丈ほどの高さで、全体に傘状に枝垂れている。
 開きかかった梅の蕾は、来る日も来る日も冷たい風に吹かれていて、なかなか花は開こうとしなかった。
 試験は一月中には終っているが、およそ六百ほどある試験の答案とレポートを抱えて、毎日毎日採点である。四年生以上の採点〆切りが二月の五日であった。その日も、梅は蕾みのままであった。
 その頃であった。植生学会から論文の別刷りが送られてきたのは。
 松瀬君が豊田市の八草で行った二次林の遷移に関する研究である。アカマツとナラの雑木林の中にアラカシが侵入している。ナラの仲間は落葉広葉樹であるがアラカシは常緑樹である。かつて薪炭林として伐採されていたが、前世紀の六十年代頃から石油が出回り、雑木林は伐採されなくなった。すると、一度消失したアラカシが侵入を開始し、常緑樹林がふたたび回復しつつあるというわけである。どうして常緑樹林は伐採されると消えてしまうのか、逆にまた、どうして伐採を止めるとまた常緑樹林へと回復するのか。このことは機会があれば詳しくお話しよう。
 まずは、松瀬君の論文が日の目を見たことを喜びたい。最後に修正原稿を送ったのは、なんと第八校であった。何度途中で投げ出そうかと考えたことか。植生学会誌に投稿したのは、まだ松瀬君が名古屋大学に在中であった。途中で彼は退学し、それからは彼とメールでやり取りをした。
 私が名古屋大学を離れてからは、金山の喫茶店でデータの確認をしたこともあった。査読者からオーケーは出ていたのだがデータや図表に不備があり、使用したコンピューターもなく、松瀬君からの返事もなかなか来ないことも多かった。
 英文は、当時江川ランゲージと称していた英文校閲の会社にみてもらった。何回校閲してもらったことか。どれだけ費用を校費で支払ったことか。
 今は東京に住んでいる松瀬君に最近別刷りを送った。お礼のメールが彼から届いた。
 今や試験の採点も済み、神宮の白い梅の花も咲き始めた。


  前回     メニューへ    次回  
  
新フィールドノート
kyoshoku-c@coop.nagoya-u.ac.jp