新フィールドノート
−その114−



鳥取砂丘
 広木詔三


 十二月九日。箕浦さんから原稿の依頼がメールで届く。〆切りは十八日金曜日とある。こんなに早い原稿依頼は珍しい。
 前回は、鳥取砂丘について書くつもりでいた。植生学会が鳥取で開かれるのである。ところが学会の日程を間違えていた。実際に鳥取に出かけたのは、前回のかけはしの原稿を書き上げてからしばらく経った後であった。そういうわけで、今回こそ鳥取について書こう。
 鳥取からは十一月二日に帰ってきた。帰ってきたらかけはしの原稿をすぐ書くつもりでいた。ところがあっと言う間に日にちが経ってしまった。
 今日は十二月十五日、ここでやめておこう。ほんとうはかけはしの原稿を今日中に書き上げる予定であった。だが試験問題の作成に時間を取られてしまったのである。
 今日は十二月十六日。午前の二限目に基礎演習、午後の三限目に演習があった。学生の数は基礎演習が十五人、演習は一人である。
 演習は早めに終えて、演習室を出る。陽の当たるホールの木製のテーブルで自動販売機のお茶を飲む。彼が新聞で見つけた双子座の流星群を話題にする。彼は昨日の夜の十時頃に流れ星を見たという。
 彼は新聞をほとんど読まないという。それで、新聞に目を通す習慣をつけることも演習での目標にしたのである。十二月七日からオランダのコペンハーゲンで開かれている国連気候変動枠組み条約について注意をうながしたところ、早速目を通して最新の情報を知らせてくれる。彼はとても真面目でまずまずだ。
 ところで、鳥取砂丘へ向けて名古屋を発ったのは十一月の一日であった。姫路まで新幹線に乗り、姫路で鳥取までのスーパーはくとに乗り換える。その経路は次の通りである。姫路から上郡まではJR東海道本線、上郡から智頭までは智頭急行線、智頭から鳥取まではJR因美線である。この智頭急行線はJRとは異なる私鉄路線である。
 中国山地を登りはじめた特急電車がガタゴトゆれる。上郡で車掌が交代し、これからは智頭急行線に変わるというアナウンスがあった。そのときはどこをどう電車がはしっているのか見当がつかなかった。
 名古屋を立つ数日前に豊橋のみどりの窓口で切符を購入したのだが、てっきり京都あたりから山陰に出て鳥取に向かうものと思っていたから、窓口で姫路経由が一番早いと言われ、少々驚いたことを覚えている。敦賀から福井方面の山陰本線には特急がはしっていないのである。
 そろそろ六時だ。家に帰る時間である。今日はこれくらいにしておこう。
 今日は十二月十七日木曜日。明日の授業の準備と月曜日の授業の準備を済ませる。もう五時近い。
 鳥取からJR山陰本線に乗り換え、三つ目の鳥取大学前で下車する。もう暗くなっている。鳥取大学は駅のすぐ裏手だ。門を入ると、小雨の降るキャンパスで落ち葉の枯れた香りが漂う。何とも言えないいい匂いだ。受付は終っていた。まだ総会をやっている。そこで、生協の懇親会の会場へと向かう。道の両側に大木が並び、落ち葉の枯れた香りが漂う。香りが何とも言えない。磐梯山や穂高のフィールドを思い出す。
 懇親会の会場には受付担当の学生さんたちがいるが、他にはまだ誰も来ていない。
 今日、用事があって昼すぎに名古屋を立ったため、講演には間に合わなかったのだ。
 やがて人々が大会会場から移動してくる。富田君が現れた。彼は今年の三月に名古屋大学の環境学研究科で無事に学位を取得したばかりだ。後藤さんも現れた。後藤さんは今年から岐阜県立博物館に努めている。彼が学会に顔を出すのは久しぶりだ。会えて嬉しい。例のごとく小林君も現れた。
 会長の挨拶もおわり、乾杯となった。
 料理に出たシシャモが旨いと私が言うと、小林君は「先生、それはハタハタですよ。」と言う。冷めてしまってまずいとも言う。
 植生学会は生態学会から独立して歴史が浅い。とは言っても、今回の大会は十四回目である。植生学会は規模が小さい。鳥取で学会が開催できたのも、植生学会がマイナーで規模が小さいせいであろう。
 植生学会会長の福島司さんに声をかけられ、地酒の樽酒を一緒に飲んでしまった。
 富田君、後藤さん、小林君をさそって懇親会会場を早めに切り上げた。鳥取駅前の居酒屋で積もる話をした。小林君が南極へ行き、コケの群生地の上で寝そべったという話を聞いた。
 おっともう帰る時間だ。
 今日は十八日の金曜日。〆切の日である。三、四限と授業をする。三、四限の間の休憩時間の十分は教室を行き来するだけで過ぎてしまう。授業の終わったあとはくたくたである。
 箕浦さんに断りのメールを送り研究室を出る。
 今日は十九日、土曜日。豊橋キャンパスの哲学の森でシラカシのどんぐりを採集する。採集したどんぐりを林の林床に埋める。常緑のカシ類は種子がいつ発芽するかまだ知られていないのである。
 さて、懇親会の翌日、小林君の借りたレンタカーで鳥取砂丘に向かう。昨日の雨は上がり、空は雲っている。前方には晴れ間が差している。駐車場に着き、車を降り、駐車場わきの階段を登ると、砂丘が見渡せた。海へ向かって下り坂になっている途中に盛り上った大きな砂山が見えた。人々がその砂山に登って行く。湿った砂地を踏んで、砂山に向かう。砂山にたどり着いてその砂山の急な斜面を登る。雨が降り出した。頑張ってさらに砂山を登る。雨は次第に強くなり、横なぐりに吹きつける。砂山のてっぺんにようやくたどりつく。雨はみぞれが混じる。荒れた日本海と西の方に広がる黒い雲を見る。私はすぐさま引き返す。小林君は写真を撮っている。風が強く傘が折れそうだ。ズボンはびしょぬれだ。とても寒い。
 車で街にもどり喫茶店を探す。小さな町にもかかわらず、なかなか見つからない。ようやく小さな喫茶店を見つけ、ズボンが乾き、体が温まるまでねばった。
 喫茶店で小林君の講演発表の内容を聞いた。それは開聞岳におけるスダジイの垂直的な分布を調べたものであった。朝一番の発表であったにもかかわらず、聴衆が多く、質問も多かったという。
 喫茶店を出た後、小林君の誘いで車で日本一のスダジイを見に行くことになった。途中ドライブインで昼食を取り、さらに車を走らせる。海辺に沿って、風車が並んでいる。道を左に折れ、内陸部の丘陵地に向かう。雨は降ったり止んだりしている。
 駐車場の石段を登ると小さな神社があり、境内の端の崖っぷちに巨大なシイノキがあった。小林君は樹齢千年だという。私から見ればその半分もないだろう。でも、そう書いてありましたよ、と彼は言う。
 もう雨は止んだが、大山を見上げると黒い雲に覆われている。今頃、植生学会のエクスカーションで大山に行った人たちは、今頃冷たい雨の中で寒さで震えているに違いない。
 小林君はさらにシイの葉の採集に山に向かうという。
 その晩、一人居酒屋で、ハタハタを注文した。たしかに暖かいハタハタはシシャモとは違い、その上とても旨かった。


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