新フィールドノート
−その101−
飯田市のハナノキ
名古屋大学情報科学研究科 広木詔三
前号を最終回とするつもりであった。だが、最終宣言をする字数のゆとりがなくなってしまった。今回、あらためて最終回の宣言をしようと考えていた。
これから明日の月曜一限目の授業の準備をしなければならない。来週の週末には出張を予定している。この原稿そのものが締め切りに間に合うかどうか怪しい。
翌週、ばったりと編集担当の箕浦さんと出会ってしまった。楽しみにしている人がいるからもっと続けて下さいと言われた。原稿の締め切りも、次の週明けまで延ばしていいという。
最終の予定であった原稿の書き出しは次のようにはじまった。
桜の季節が過ぎると、真紅のサツキが咲き誇る季節となり、やがて紫陽花の映える梅雨どきに入る。あっという間に夏が来て、おそらくあっと言う間に秋風が吹くのであろう。そして木枯らしが吹き、また年が変わる。そして私は名古屋大学を去る。もはや鏡ケ池のソメイヨシノの開花を見ることもないだろう。
私はもう去年から実験室の整理を始めている。学生さんの残していった廃液がたくさんある。私自身が実験を行っていなかったから気づかなかったのだ。書類上の手続きを取り、定期的にキャンパス内の処理場まで運ぶ。硫酸・塩酸のたぐいは重炭酸ナトリウムで中和して流す。そのためリトマス試験紙なるものを購入した。初めのうちは恐る恐るであったが、次第に慣れてくると中学校の理科の実験のようで楽しくなってくる。
未使用の薬品も多い。幸い、名古屋大学の環境安全衛生管理室を通して処理してもらえる。ほぼ一年にわたる廃液・薬品・容器類の処理もあと7月の一回を残すのみとなった。私の指導生だった神谷君の残した廃液のみならず、はるか昔の教養部時代のものとおぼしきものも存在した。これから実験室の解体と処分をしなければならない。
図書の整理もある。仕上げなければならない論文も数えきれない。
翌週の金曜日、私は、これから飯田市に向かって出発しなければならない。月曜の授業の準備も十分でない。原稿の続きは月曜の授業が終わってから書こう。日本生態学会中部地区大会での発表原稿の準備もそこそこに、私は研究室を後にした。
十六時少し前に名鉄バスセンターについて切符を買おうとしたら、十六時発のバスは満席だと言う。幸い十七時発の予約が取れたが、係員はすべて予約制ですよ、と怒ったように言う。予約の表示板を見ると十七時以外はすべて満席で、危ういところであった。たかが飯田までと思っていたが、こんなに混むとは予想もしなかった。
発車したバスは名鉄バスセンターの暗い構内を出て百メートル道路へと出る。雨が激しく降っている。白川公園から若宮大通にかけて、こんなに緑があったのかと驚くほど道路の両側に大木が並んでいる。街中とはとても思えない。矢場町から栄を通り、やがて名古屋高速道路に入る。まだ空は明るいがどんよりとしている。小牧城が少し霞んで見える。その後中央自動車道に入る。恵那山トンネルに近づく頃には、周りの景色は灰色の雲の世界だ。
神谷君とアベマキとクヌギの雑種の葉を採集に出かけたことがある。もう四年も前のことである。そのときは快晴で中央高速バスからの景色は明るく快適であった。神谷君はウォークマンのイヤホーンを耳にしていた。葉の採集が目的であるが、バスで出かけるのは楽しいと彼は言う。彼はほとんど毎日、朝から晩まで実験室で実験をしているか机に向かっている。アベマキとクヌギの雑種の遺伝子解析を行っているのだ。
私の勧めた初歩的な解析法でなく、雑種の遺伝子マーカーを検出すると言う。私は保険として星状毛の計測を行う条件でそれを認めたのだった。アベマキの葉裏には肉眼では識別できない微小な枝分かれした毛状突起が無数に生えている。それに対して、クヌギの葉裏には星状毛は存在しない。雑種には星状毛がまばらに生えていて、中間の性質を示すのだ。
私は、一九七八年に、飯田から松本にかけてアベマキの分布を調べて歩いた。そのとき、アベマキとクヌギの中間的な個体を見た記憶があるのだった。
神谷君とJRの電車 に乗り、飯島駅で降り、丘陵の麓まで歩いてサンプリングを行った。どんぐりをつけている樹木から採集した葉裏をルーペを覗くと、まばらに毛がある。雑種だ。
驚いたことに、その後、神谷君はそれらの樹木の生育している生育環境の調査を行い出した。手塚先生に言われたからだと言う。私はそんな無駄なことは止めるように言った。天然に分布しているものならいざ知らず、人間が植栽した樹木の生育環境なんぞ調べてもまったく意味がないのである。糞まじめとも言える神谷君の恐るべき性格を知ったのはそれからずっと後のことであったが、そのとき彼は私の指示に不満げであった。
神谷君の遺伝子解析の実験は完全に失敗した。彼の先輩の小林君と違って、学部時代に実験の基礎を学んでいなかったせいもあるが、彼には遺伝子マーカーが検出できなかったのは予想していたことでもあった。
二年目の夏に、神谷君は一人で飯田から松本まで葉のサンプリングを行った。飯田から松本にかけてのアベマキとクヌギの交雑帯の研究成果は、皮肉なことに遺伝子解析の結果ではなく、星状毛の数に基づくものであった。驚くべきことに、アベマキの葉の星状毛は一平方センチメートルあたりおよそ三万八千個も存在するのである。
ところで、日本生態学会中部地区大会の目玉は、ハナノキ自生地を観察するエクスカーションである。私は恵那山の西側の恵那市でハナノキの調査を行っているが、東側の飯田市のハナノキは見たことがない。恵那市の飯地町という高原地帯で長らくハナノキの調査を行っているので、飯田市のハナノキについてもおおよその見当はつくのであるが、地理的な違いは微妙な生態の違いをもたらすので、やはり現地を見るにしくはない。
朝の七時に起床し、すぐ朝食をとり、八時半にはホテルを出発である。三十名以上の参加者があり、のろのろと昼過ぎまで現地を歩き回った。案内人はみな植物に詳しい。若い人たちは熱心に観察している。私の目的はハナノキである。恵那市の飯地町と飯田市では、同じ花崗岩地帯ではあるが、ハナノキの出現の仕方に微妙な違いが感じられた。飯田市ではハナノキの若い幼木が多く見られるのである。
なかなか理由が分からなかったが、解散間際にはその理由の見当がついた。木曽川周辺は谷の浸食が激しく、飯地町は浸食前線にあたっているのに対して、飯田市周辺は、天竜川の上流域の緩やかな浸食地帯なのである。浸食が緩やかであれば土壌の流失が妨げられ、ハナノキは養分の多い立地で急速に成長して生き残る確率が高まる。だが、仮説は簡単に作れるが、それを実証するには体力と時間が必要だ。
地区大会では、生態学会で聞く機会のない発表がいろいろと聞くことができた。一例を挙げると、クモの餌を別のクモが横取りするという興味深い話があった。熱帯系のクモが温帯域に分布を広げて、温帯域に棲む異なる寄主の餌を素早奪うために足が短くなったという。面白い話は好奇心を蘇らせる。
懇親会では信州大の院生を相手に久しぶりに議論をし、大会を通じて重要な情報も得ることができた。復路の中央自動車道は、雨で相変わらずの灰色の世界であったが、気分は充実していた。
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