ニュースに一喝
−その18−


弁護士の仕事と義務


 難しいことは知らない。しかし、弁護士の仕事は、例えば、裁判を通じて「真理」を追究し、それを明らかにすることではないのか。少なくとも私はそう思っている。おめでたいというならいえ。
 しかし、実状はどうだ。オウムの裁判や、和歌山カレー毒物混入事件の弁護人の言動を見て、弁護士というものに抱いていた前からのウサンクサさが一層かき立てられた。これは、極端な例であろうが、多かれ少なかれ、依頼人様々で、白を黒といいくめるような所があるように思えてならぬ。依頼人の黒が明々白々の時はどうするのであろうか。やはり、その黒も白と言いくるめるのか、黒は黒と認めた上で、条件闘争をするのであろうか。オウムの場合、疑問の余地はないだろう。これを予断といって、退けるのであろうか。誠に疑問きわまりない。確かに、世間一般というのは、マスコミに誘導される。それ故、マスコミの責任は大きいのだが、その議論はここではやめておこう。オウムの場合、何が疑問なのか。破防法適用も、進歩的有識者たちのいちゃもんで、立ち消えになり、今又、罪のない一般庶民が悩まされている。一体、この場合、有識者・学者というのは何なのだろう。無用の空論をもてあそぶ暇人としか思えない。少なくとも、人々の生活からはかけ離れている。こんな人たちに、大事なことを判断されてはたまらない。
 カレー事件でも変なことだ。裁判はこれからだから、裁判官の人間性のある判断を期待したいが、本当のことをいうとあまり期待はしない方がいいみたいだ。まあ、これは始まったばかりだからいいたいことも遠慮しておこう。弁護士に事実を明らかにしようとする意志があるのであろうか。何でもかでも、知らぬ存ぜぬでいいのか。弁護士はたとい依頼人の不利益であろうと、真理の追究をどう考えるのか。真理の追究を妨害してもいいのであろうか。法律にうとい素人として非常に疑問に思うことだ。しかし、素人の感覚というものは尊重されてしかるべきで、専門家の方がおかしいこともあると思う。それでも専門家が正しいなら素人に分かるように、懇切丁寧に分からせてほしい。わからん方が悪いなどといわないでほしい。
 ただ、それでも、警察は否認に関わらず、証拠を積み重ねてきたという報道だ。我々は、報道でしか事件の推移を知ることが出来ないから、本当に、客観的な報道が必要だ。 今日テレビで知ったが、公判の模様の写真が雑誌に載るとかいうことで、裁判所は抗議を申し込み、雑誌の発売を中止させようとしている。これも不思議なこと。なぜ。写真撮影がいけないのであろう。これが駄目だというなら、例の国会の証人喚問の写真だって同じ事、こちらは要求し、裁判所のはいけないというのもあまりに杓子定規でないか。もちろん、力関係は相当違う。そういう、写真を公表しようとする雑誌社の動機は十分すぎるほど分かる。裁判所がそれに抗議するのはまさに茶番。こういうことも、もっと真面目に論議してほしい。人権人権は分かるが、いつも疑問なのは、やられた方はどうだということ。形式的には、裁判の結果確定までは無罪ということだが。  弁護士は一刻も早い真理の解明に努めてほしい。いやしくも、引き延ばしなどと思われる行為は厳に慎んでほしい。(99.5.19)
(T)  

  前頁                次頁  
教職員委員会 ニュースに一喝
kyoshoku-c@coop.nagoya-u.ac.jp