マウナケア山頂にて
理学部 河合利秀

 眼下に広がる雲海に、マウナケアの陰が長く遠く、雄大にのびている。南南東の冷たい風は人間の体温を容赦なく奪う。ここはハワイ島マウナケア山頂。4200mのサミットには世界有数の大望遠鏡が並び立ち、その威容を競っている。
 UH88。ハワイ大学が世界に先駆けて建設した望遠鏡だ。2.2mの主鏡とフォーク式の赤道儀。SF映画の宇宙船コクピットを思わせるコントロールパネル。オレンジとアイボリーホワイトに塗り分けられた望遠鏡は、昼間も床から冷却されていて摂氏1度と冷たいにも関わらず、どことなく温もりを感じる。この望遠鏡こそが、ハワイ、マウナケア山を世界有数の宇宙の観測基地と認めさせたのだ。
 一年中安定した気流ゆえに星像の乱れは極めて少なく、晴天率も高い。太平洋の真ん中に突き出た4200mの山は、斜面を駆け上がる湿った気流によって雨雲ができ、ふもとのHIROの町に絶えず雨をもたらす。乾燥した気流はさらに頂上を超え、反対側のKONA方面に降りてゆく。こうして、マウマケア山頂は一年中乾燥した風が吹く。冬に降る雪以外は、水とは無縁の世界だ。3000m以上の風景は、荒涼とした岩石と砂礫の世界であり、点在する噴火口と風化しつつある溶岩の織りなす光景は、マースオブザーバー(火星探査衛星)の描き出した火星表面を思わせ、そこに道がなければSF映画の主人公になった気分である。 HIROの町から4WDの車で山頂まで3時間程度。この山の頂が、世界でもっとも「星に近い場所」なのは、星像の良さとともに、ふもとからのアクセスの良さがあるからだ。

 かつて日本人がハワイに大勢移住し、農園を切り開いた時代があった。HIROの町にはこうした時代の日本人の生活した足跡が強く残っている。HIRO郊外はまさに開拓者の土地であった。
 開拓者たちは苦闘の末、サトウキビ農園は成功したかに見えた。だが、凶暴な国際経済は砂糖価格の暴落で彼らに報いた。日本にも大きな被害をもたらしたチリ津波はHIROの町も壊滅させた。度重なる災害に、今はわずかに、パイナップルとコーヒーが栽培され、観光用のおみやげとして流通しているにすぎない。日本人の墓はみな日本に向いて立っているという。望郷の念捨てがたく世を去った人々の思いが伝わってくるが、国際経済の荒波と自然の脅威に翻弄された人々の悔しさのようなものも感じる。溶岩と椰子の林を開拓して農地に変えることは想像を絶する苦労があっただろう。それが、今はまた、南洋の樹海に飲み込まれようとしているのである。そんなことを感じながら4WDのハンドルを握って、ハレポハクに向かう。

 マウマケア山頂に行く前に必ず休憩するところがある。それがハレポハクである。ハレポハクの標高は2800m、雲の限界高度らしく、周りには灌木がわずかに点在しているにすぎない。マウナケアに登る人は必ずここで30分以上休憩することが義務づけられている。我々は観測期間中ここで宿泊した。
 ここでみるものは高山特有のものの他に、平地でなじみのあるものととが混在した奇妙なものである。ここで人間が生活することによって周囲の自然環境を微妙に狂わしていると思われる。わずかな灌木と地い類の植物層に雷鳥(たぶん)が歩く・・というのが本来の姿だと思うのだが、周りとはいささか異なる植物(園芸種のポピーや糸杉のような背の高い木)がしげり、人間が捨てる餌を求めて平地の野鳥(すずめやめじろなど)が集まっているのだ。
 あたりは自然公園になっていて、貴重な野鳥や植物の宝庫らしい。しかし、それらが序々に少なくなっている(と聞いている)というのも気がかりである。ハワイは観光以外には産業に乏しい。海辺のリゾートとマリンスポーツ、今も噴火を続けるキラウエア火山、そして天文台。しかし、大洋に浮かぶ孤島におりなす動植物の自然もかけがえのないものである。

 ハレポハクから山頂までは約 分。ここからは未舗装の道で、傾斜も非常に急である。時速25マイルという看板はそこらじゅうに穴があけられている。道路標識に穴があいているのは、風圧を少なくする工夫らしい。ここでは日中ヘッドライトをつけて走行し、夜間はスモールライトで山頂付近をゆっくり走行する。車のライトは観測している人々にとって迷惑以外なにものでもないからだ。ここですれ違う対向車はみな望遠鏡関係者ばかりだと思う。我々はUH88の車(4WDの大型ハーフワゴン)を使っていたが、スバル、ジェミニ、ケック、UKなど、すれ違う度に愛想良く合図していくマナーは気持ちがいい。
 それにしても、ダート(未舗装)の道は砂ぼこりも相当なものだが、車の振動がすごい。週に3回ならしてくれるようだが、時には頭痛がするほどの振動である。機材搬入で最初に登ったとき、コンピュータのHDDに被害をもたらしたのもこの振動だ。これは急斜面を駆け上がるとき、4WDの車輪がでこぼこをつくりながら登るためだ。
 わだちの少ない路肩や、反対側車線(降りる側)の路面のでこぼこの割合が少ないところを探しながら登るが、車中の会話がとぎれてしまうほど激しい振動と揺れにさらされる。
 観測前は昼食時にも一度降りるので2往復、観測時が夕方登って朝降りるので1往復。はじめのうちは景色も珍しいので会話も適当にあったが、数日後には無言の道行きとなる。

 山頂の作業は非常につらい。空気が薄いのですぐに疲れてしまうのである。うっかりがんばってしまうと高山病の症状が現れ、ハレポハクまで降りなければならない。酸素ボンベなどの使い方を確認してもしかの時に備える。観測期間中、何人かが高山病の症状を呈した。準備作業では大量の液体窒素を使ったので、その排気にも万全を期す。ただでさえ空気が薄いのに、窒素が充満したのでは命取りになりかねないからだ。
僕は高山病ではないが胃腸が不調となって、一時間ごとにトイレに走っていく状況だった。腸が異常をおこすとガスが発生するが、山頂では気圧が低いのでこのガスが平地以上に腹痛をおこしトイレに駆け込む、というパターンだ。

 我々は完成間近い観測装置「TRISPEC」の試験と本格的な観測とをかねて、UH88のドームにいる。TRISPECは可視領域から2@付近の赤外領域までを同時に撮像・分光できる観測装置である。TRISPECをカセグレン焦点に取り付けたUH88はこれまでの実験室や天文台(三鷹)での試験観測ではわからなかった様々な情報を我々に提供した。そしてなによりも素晴らしいのは、この装置の限界に近い星像を、いとも簡単に我々にもたらしたことである。
 銀河中心の球状星団をサンプリングする。ポインティング精度はキャリブレーションの結果良好だ。いくつか観測するうちに、明らかに球状星団とは異なる(と思われる)天体が飛び込んでくる。どうみても散開星団としか見えない。銀河中心に近い球状星団を可視から赤外領域まで同時にみたものはいない。我々が始めてである。この時とったデータは貴重なものとなろう。
 TRISPECは未完成の観測装置である。今回は撮像機能の試験観測であった。今回は撮像だけでも興味あるデータを得ることができたが、分光用のパーツを入れることで、極めてユニークな観測装置となる。こうなれば、すばるなどの巨大望遠鏡に取り付けても十分に耐えられる素晴らしい観測装置となるであろう。正式な装置の準備状況が必ずしも順調ではないようなので、我々の装置が正式観測でのファーストライトという栄誉を担うチャンスは十分ある。今後の数ヶ月が勝負である。






 前頁                次頁

マウナケア山頂にて
kyoshoku-c@coop.nagoya-u.ac.jp