私の百名山 −その10−



武尊山(2,158m)
附属病院 中條 保


百名山の功罪
 ゴールデンウイークの期間中は中高年登山者の遭難報道が注目されました。今、山は中高年の登山者で賑わっています。反対に大学の山岳部は部員が集まらず、複数の大学で合同して夏山合宿に取り組むという記事を読みました。登山人口が増えれば事故も増加するという傾向は理解できますが、生命に係わることだけに回避できるものであるならば避けたいものです。
 時間的にも経済的にも少しゆとりができて、健康で充実した日々を送りたいという積極的な世代が山歩きに熱中することは喜ばしいことです。その目標を百名山の踏破において、達成のためにグループで精力的に挑まれるという姿は、同じ山に憧れるものとしてもエールを送りたい気持ちであり、見ていて頼もしい限りです。  しかし、テレビやカラフルな雑誌で得る情報から登山を始めたとしても、加齢に伴う体力的な限界や大自然の猛威など山に対する知識や経験に乏しい集団では、ひとたび自然の猛威にさらされるとき、予想を超える困難があることも覚悟しなければなりません。

原因は
 都市生活をしていると自然の厳しさは経験しなくて済みます。まして、2000m級や3000m級の山岳での経験は少ないはずです。気象、歩行、食事、衣類、装備に至る全てのものが非日常の生活を余儀なくされます。日頃から近くの野山でトレーニングして体力の維持や自然の中での行動を経験しておくことが重要です。食生活を含めて環境に優しい生活を余儀なくされ、生活全般をも見直す良い機会でもあります。
 遭難の原因はいつも分析されていますが、体力、気象、装備の3点にほぼ集約されています。疲れているのに無理をして強行した。グループ内のメンバーの体力差も考慮に入れて行動する必要性。天候の悪化にもかかわらず、「せっかくきたのだから」と強行して失敗する。引き返す勇気、沈殿する判断がほしいこと。雨具やテント、食料など行程にふさわしい装備に欠けているとどうしても無理をしてしまう。勤務があるとまた、そのことで無理をする。などが遭難の原因として指摘されています。

言うは易く、行うは難し
 かくいう私も自問しつつ教訓のつもりで書いているのである。相手が自然であり、自らの手、足、心臓が十分に動いてくれなければ危ういことには絶えず遭遇する。歩けなくなれば休めばよい。その前にどの程度歩き、どの程度休めばよいか。自分で一日なり、二日なりの行程全体のコースでのペース配分・シミュレーション(予定・行程表)を作ってみる。荷物は極力軽く、食べたいものも生きて行くための最低限の食料しかもたない。雨具や衣類、水、テントなど必需品は欠かせないから、贅沢はすべてあきらめなければならない。荷物として持てればよいが、まず個人山行では無理である。かくして重き荷を背負うて行くのである。集団山行はテントや装備を分担するので、少し贅沢な食事も期待できる。

武尊(ほたか)山はどこに
 発音だけ聞いていると北アルプスの穂高岳と勘違いしてしまう。正直言って私も登ろうと思うまでは、どこから入るのか知らなかった。東京での所用の折々に登れる百名山を探していて、近郊から順次登っている。まず読み方がわからない。上州武尊(じょうしゅうほたか)は関東平野の北、利根川の上流にあって群馬県と新潟県を境界とする。上越線を挟んで西に谷川岳、南に赤城山、東に尾瀬ケ原を望む独立峰である。南麓や東西の山麓にスキー場があり、新緑や紅葉、夏のキャンプにと周囲の温泉を結んでのレジャーは無限だ。

7月下旬に東京から
 98年の夏、東京での用事を済ませて上野駅に急ぐ。17時27分上野駅8番線を出発。もちろん鈍行である。東京のベットタウンになった沿線の風景と通勤客を観察しながら高崎駅19時03分着、乗り換え時間17分、上越線沼田駅に20時04分着。すっかり暗くなった駅頭には、タクシーが数台客待ちをしていて、川場温泉までは数千円はかかるという。温泉はそれほど有名ではないのか、バスの便が悪く昼間でも少ない。

徒歩で登山口へ
 結局、沼田の中心街だけ通過するバスに乗り、20分ほどで「土橋」というところで下車、当面する川場温泉まで6kmを北に向かって歩き出す。20分ほど歩くと郊外の集落で夏祭りの真っ盛りである。やがて暗闇の2車線道路をゆくが時折、通勤の車が農家に帰って行く。1時間ほど歩くと長ズボンは暑いので半ズボンに着替え、ジュースで喉を潤し、ビスケットで補給する。2時間歩いて川場温泉に到着する。温泉は静かな田園の中にあって、街道に沿って何軒かの宿があるのみで普通の宿場と変わらない。 温泉の手前に「道の駅」があって、広い駐車場とトイレと水場もあり、隣接して地ビールの工場もあるようだ。テントを張っているマイカー客もいた。私の心も揺れたが、明日の日程を考えるとこんなところで満足していてはだめだと、叱咤して出かける。

路傍に幕営する
 温泉をすぎて50分、2.5kmの地点で22時30分になり、すっかり疲れたので 幕営する。暗闇であるが時に車も通る。田圃も終わり、山影がせまっている。今は使われていない工事用の分岐道を10mほど登った脇道の斜面にテントを張る。ジュースとビスケットで一息ついて、歯磨きを済ませ早々に寝袋に入る。ラジオを聞きながら、天気予報やニュースを聞いて眠りに就く。横たわることの幸せ、情報のあることの安心を感じる。近くで「ピー、ピー」と規則的に鳴く甲高い動物の声でしばらく眠られない。

テント撤収
3時30分一度目覚める。4時30分起床。明け方少し雨がぱらつく。雲行きがあまりよくない。ビスケットと水でお腹を満たし、テントを撤収し、5時ちょうどに出発する。「お腹が空いたら、適当な水場で食事をしよう」。歩き始めて10分ほどで茅葺きの落ち着いた佇まいの武尊温泉ホテルの前を通過して、湯元館の前を舗装道路に沿って 進むと道は左に緩やかにカーブし橋を渡ると左手下に最後の建物である木賊山荘を見送り、山道に入ってゆく。

軽トラックが止まって、
 5時30分軽トラックが止まって、「登山道の下草刈りに行くがどこまで行く」という。「キャンプ場から武尊に登る」と答えるまもなく、リュックの私を促し、荷台の人となる。小学校5〜6年生の子息を伴った作業員の車は、猛スピードで地道を走り抜けて行く。慣れた運転で左右にハンドルを切りながら、私は荷台の上で緑のトンネルの中で遠ざかる谷間と稜線を見送っていた。20分ほどで広い駐車場に到着する。隅に1台のみ乗用車が止めてあり、軽トラックは、先行の軽トラックに合流し、武尊スキー場方面の作業場所へと走り去った。歩けば2時間近くを費やしたに違いない。親切に感謝感謝。

登りにかかる
暗い檜の植林帯を開いてキャンプ場があり、登山道はその脇を抜けて行く。6時10分、不動の分岐に達するとブナやミズナラ、トチなどの明るい樹林帯が広がっている。ついにそこで雨が降り出し、熊笹を激しく打ち始める。止みそうにないので雨具を着けて歩くことにする。歩き始めて30分ほどで、私ほどの年輩者が一人下りてくる。「雨とガスで視界が悪いので引き返してきた」という。「幻想的な山登りになってしまったな」そう思って、水が500ccしかないので水場を求めるも気配さえなし。あきらめて、急勾配の滑りやすい泥道をよじ登って行くと、上手な日本語を使う外国人の青年と若い日本人女性が降りてくる。2時間ほどで美味しい水の笹清水に着くよ。とても美味しいよ。」彼は強調して教えてくれた。留学生だという。

御沢水場分岐
 7時45分、武尊スキー場の頭がここまで来ていて、リフトの鉄塔が見える。しかし、水場はかなり下の方まで下るらしいので、山頂まであきらめることにした。5分の小休止で出発する。途中、熊笹やシラビソの葉っぱに載っている水を吸いながら乾きを癒しつつ登る。もう会う人はいない。合羽なのでどこに腰を下ろしてもかまわない。途中一度休憩して前武尊(2039.7m)に9時40分到着する。等身大の倭武尊の銅像が立派な社に祀ってある。不気味なくらいだが信仰の山だと納得した。依然として視界はない。社の周囲で女性1名を含む3人の登山者がおいしそうな食事を作っていた。挨拶を交わして先を急ごうとすると「この先、鎖場が連続し大変危険なコースですよ」と忠告してくれる。

アップダウンの連続
 噂に違えず鎖場あり、岩場あり、巻き道ありとそのやせ尾根の狭い上下道の道に閉口する。雨降りなので滑らないように慎重に行く。家ノ串山(2103m)に10時00分に到着。過ぎてしまえばそれほどのことはない。10時15分に中ノ岳(2144m)直下に湧き水があり、「弥勒菩薩の清水」と書いて在る。地図の上では「笹清水」の表示あり。早速、カップに2、3杯飲み干す。遅い朝食の準備にかかる。メニューは持ち入りラーメンだ。携帯コンロを組み立て、コッフェルにお湯を沸かす。今日初めての水場が山頂近くにあるというのは大変にありがたく、珍しいことだ。地獄で仏とはこのことか。食事中に雨はあがった。お腹も満足し、喉も十分に潤ったのでパッキングして11時ちょうどに出発する。

武尊山山頂(2158.3m)に達する
 11時25分に山頂に到着する。360度の眺望が案内された円形の銅板を見ながら、ガスの向こうを確認するも四方ともにその姿はない。2人の青年と中年夫婦が後から登ってきた。今日初めての写真を撮ってもらう。その後、大学の山岳部グループ8名ほどがやってくる。悪天でも百名山はたいてい人が入っている。見えない景色をあきらめて10分の休憩の後、ピークをあとにする。

下山道はぬかるむ
 宝台樹尾根へ抜け、藤原郷へ下る北への縦走路はかなり遠い。雨上がりのぬかるむ下り道は、鎖場あり、ロープありの連続だ。それでも険しい断崖絶壁とまでは行かないので、滑って転ばぬように注意して下ればよい。ブナ、ミズナラ、シラビソの樹林帯の木の根っこにつかまりながら1時間毎に休憩して下る。手小屋避難小屋はわからぬうちに通過した。上ノ原への尾根筋道から武尊の山頂と稜線が見えてきた。雲も一部で取れて、日射しが戻って蒸し暑くなってきた。明るい樹林帯は気持ちがよいので快調に下る。道は緩やかなカラマツ林になり、登山口近くの豊富な水場でたっぷり補給し、休憩する。

武尊山登山口通過
 15時30分、広いススキの原っぱに出ると正面、西の方角に谷川連山がよく見える。やがて道は、広い2車線の舗装道路となり、慶応大学のの山小屋前を通過する。上ノ原ロッジは登山口の上と下の両方にある。左手は宝樹(たからぎ)台スキー場として開発され、広い駐車場がいくつもあって、シーズンオフの人っ子一人いない大きなスキー場の中の広い舗装道路を真っ直ぐに、かなりのきつい急勾配を国道まで一気に下るきつい下り坂だ。

藤原郷に到着
17時00分ちょうどに麓の藤原郷という集落につく。宿と店があり、谷間に藤原湖があって、利根川の源流に当たる。湯ノ小屋温泉と宝川温泉の分岐地点であり、乗用車がよく通過して行く。そのT叉路の店屋脇の公衆電話から名古屋の自宅に電話し、無事下山したこととこれから計画通りの行動に移ることを報告する。そこから2km先に宝川に沿って大きな宝川温泉の立派な宿があるが、そこは素通りしさらに1km上流の河原でテント泊する。18時ちょうどである。広い河原は誰一人いない私一人のものである。豊かな流れに沿って椎茸やわかめ、かんぴょうなどを入れたおじやを作る。久しぶりのゆっくりした夕食である。19時10分には夕食を完了し、明日の準備をして20時にはシュラフに入って疲れた体を横たえる。明日は良い天気である。郷愁を誘う一人旅である。

  前頁                次頁  
教職員委員会 私の百名山
kyosyokuin@coop.nagoya-u.ac.jp