暦 再 説

文学部 田島毓堂



 以前暦のことを書いた。あまり丁寧に説明しなかったので、十分分かっていただけなかったようだ。すこし、説明し直そうと思う。
 まず、現在の暦は太陽の運行をもとにした太陽暦である。いわゆる旧暦は太陰太陽暦である。というのは、月の運行を基本としつつ、太陽の動きによって季節を調整したものだ。もし、月の運行のみで暦を作ると、1月は約29.5日、12ヶ月で354日になる。太陽の1年とは11日強の差が出る。塵も積もれば山で、太陰暦の33年は太陽暦の32年と1年の差が出来る。イスラム暦などは完全な太陰暦だから一年は354日で、イスラム暦の33歳は太陽暦では32歳になる。その上、季節と暦月は無関係で、正月が、真冬であったり、真夏であったりする。実はそれでもかまわないのでこういう暦が出来ているのだ。もっと言えば、季節の移り変わりなどはなく、いつも暑いところで使われることが多い。そこでは人間の行動は主として、涼しい夜間、月の明かりによって行われた。古代電気のない時には月の大きさや光こそが大切だった。
 一方太陽暦は月数と季節は完全に一致する。1年は完全に365日ではなく端数があるので閏で調整する。西暦の年数が4の倍数の年が閏年で366日、ただし、100の倍数のうち400の倍数でないものは閏年ではない。この暦は自分でも出来る。
 太陽暦によるにしても、古代において生活に密接な関係を持ったのは、月の満ち欠けであった。月の光は重要だったし、潮の満ち干との関係も月の方が断然強い。しかし、地域によっては季節も大切な要因だった。エジプトがいい例だ。ナイル川は季節により氾濫した。それはほとんど日を違えず氾濫したという。ナイルの氾濫を正確に知ることは生活上死活問題だった。
 ただ太陽暦で月の運行と太陽の運行を同時に表示しようとすることはなかなかの難問だった。1日や2日のことはどうでもいいようだが、日蝕と月蝕を正確に予知することが大きな関心事だった。蝕現象に対する畏れと関心とは現在の比ではない。もし、月も太陽も(というより地球も)完全な円軌道で、その周回軌道が重なり合っていれば、満月ごとに月蝕、新月ごとに日蝕になるはずだが、楕円軌道で、軌道が重なり合わないから、そうはならない。古代の暦作りは日蝕月蝕をきちんと予測することに全神経を使ったといっていい。それが合わなくなると、改暦の沙汰が起こった。日本で自前の暦が出来たのは江戸時代になってからだ。平安時代以来約800年間同じ暦を使っていた。世の中暦どころの騒ぎでなかったのだ。日本では1日や2日違っても死活問題ではなかったということだ。
 しかし、貨幣経済が盛んになり、月の変わり目が決済日になったりすると1日の違いは大変だ。江戸時代には暦を勝手に作ることは禁ぜられた。書き写すことすら罪になった。違った暦が流通することを恐れたからだ。単に月の大小のみを記すことが許され、それゆえ、各種の大小暦というものが作られた。太陽暦と違い、自分で作るなどと言うことは出来なかった。
 次に、大安とか仏滅とか言う、いわゆる「六曜」または「六輝」は、14世紀頃中国から伝わったといわれる。その名称はいろいろ変遷している。ただし、江戸時代を通じて明治になるまでは、六曜は問題にはならなかった。たとえて言えば、現在の七曜みたいなもので一定の意味はあっても、それ以上の意味はなかった。大安とか仏滅とか(仏滅とは何か本当はよく分からない、字面にとらわれているのだ)に特別の意味はない。しかも、それは、日によって一定で、毎年1月1日は先勝に決まっている。8月15日は仏滅に決まっている。4月8日は必ず大安で、2月15日は仏滅だ。ついでに、12月8日は先負だ。現在、大安・仏滅・友引はいろいろ問題になるが、他の赤口・先勝・先負などは暦にこそ書かれているが、何の事やら分からないので問題にならない。漢字に呪縛された情けない様子が伺われて興味深い。
 この決め方は簡単だ。旧暦の、月の数と日の数を足して6で割り、割り切れれば大安、あまり1なら赤口、2なら先勝、3なら友引、4なら先負、5なら仏滅(4月8日なら、4+8=12。12 ÷6=2、あまり0で大安。2月15日は、2+15=17、17÷6=2あまり5で、仏滅)。旧暦では、日によって決まっていることだからことさら表示しない。明治6年、太陽暦が採用されるとその関係が完全に断ち切られる。それで一々表示することになる。すると、不思議なことに書かれたものが威力を発揮して新たな暦の迷信が発生したという次第である。 
 これと正反対なのが、二十四節季。本来季節を表すもので、太陽の運行によるものだ、これは太陽暦の暦に表示する必要はない。従っていちいち太陽暦に表示しない。すると、旧暦では、季節を示すために表示されていたことから、季節に支配される農事には旧暦の方がいいというようなことがいわれる。本末転倒も甚だしい。新暦では表示しなくても分かるから表示しないのであり、旧暦では表示しなければ分からないから表示したまでなのだ。人間のどうしようもないとらわれの心は、表示されたものにとらわれ、それに意味を見出した。分かっているからといって、表示を省略した途端にそれは駄目なものになってしまうという不思議な現象だ。書いたものが威力を発揮する。
 これは、仕方のないことかも知れない。書いてあるものこそ意味があり、分かっているからといって書くことを省略したものは、その存在意義すら否定されてしまうということだ。極めて面白い現象だ。こういうことは暦に限らない。
 六曜も今の七曜のように特にとらわれずにおけばどうということはない。漢字に意味をこじつけると変なことになるということだ。
 世の中こんなに全部理屈通りにはいかない。何かにこじつけて寄りかかろうとする人間の性だ。誠に興味深いことであるが、とらわれればバカバカしいことこの上ない。日々是好日であるべきだ。六曜にとらわれるのは愚の骨頂だ。すでに社会的制度ともなれば、日曜が休みと同じように、友引が火葬場の休みであっても仕方ないだろう。
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教職員委員会 暦の今昔物語
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