魔 言
−その13−
自 転 車
昼ごろ、門の前に人の自転車が止まっている。お地蔵さんにお参りでもしているのかなと、見に行ったが誰もいない。夕方になってもそのまま。よくみると電話番号がある。電話をしたら自分の所のだという。パンクしていたが、取りにきてもらった。盗まれたのだった。パンクしたからほり出して行ってしまったらしい。
最近こんなことはいくらもある。或るビルで監視装置があるにもかかわらず、自転車が盗難にあった。監視カメラのおかげですぐつかまったが、若い女性の二人だったというので、呆れていた。人のものと自分のものの区別が付かないらしい。傘などは手当り次第。雨が止めば自分のでも持って行かない。傘はともかく、自転車には困ることが多い。放置自転車はその最たるもの。広い歩道がほとんど自転車で塞がれてしまっているところがある。全然人の迷惑など考えない。地下鉄の入口などひどいものだ。
先日、何気なくみていたら(もっとも、じっと見ていたら因縁でも付けられそうだ)、学校帰りの高校生らしい。おりてそのまま、道のまん中においてカギだけかけて、さっさと地下街に消えた。一言いってやりたいが、ぶん殴られても体裁が悪いので、黙っていた。黙っていたのも情けない気がする。妙齢の御婦人の場合など、まことに興ざめだ。なりがよければよいほど。また、妙齢でなくても。
大学の中でもひどさは同じ。全く人の迷惑などは知らぬげだ。オートバイも同じ。一方通行の逆走もへいちゃら。歩道を自転車が通るのは一般道がそうなったから仕方が無いのかも知れぬが、大学内ではオートバイまでが歩道を通るのだからやりきれぬ。音もひどいし、臭いもひどい。物理的手段で対抗すれば、歩行者が迷惑する。モラル・常識に期待するほか無いが、それらがない手合いには通じない。情けないとしかいいようがない。
暮れの町中、賑わっている中を、二人乗りの自転車、例の、一人が後ろに立っているあの二人乗り。中学生か高校生か、これみよがしに車道を走る。暴走族まがい、その一歩手前。これを注意すればどんな目に合うかわからぬから、誰も何も言わぬ。それをいいことに得意げに走り回る。
社会的ルールを無視した行為だ。公徳心を養え、とか、公衆道徳を守れ、などというと古くさいと言われるかも知れぬが、要は、人間社会のルールを守ると言うことだ。
若い人に社会のルールを守る意識の乏しいこと、むしろ、それに反発したり、無視したりするのは、今に始まったことではない。しかし、今の若者は、そういう愉快犯や確信犯でなくて、無知犯も多い。それには教える必要がある。親も駄目になってしまっているのかも知れない。今の学校ではどうもうまくいかない。学校教育のカリキュラムの中に実質的にこれを取り入れて実行する必要があるのではないか。道徳教育なんていうものではなく、一定期間、他人の中で生活をしたり、集団生活をしたり、同時に社会奉仕を強制的に課すということをしなければ駄目なのかも知れない。これを取り入れている国もある。
そういえば、学生の生活状況調査の中で七割を越える学生が、集団生活を好まないという結果が示されていた。いろいろな意味を持つと思うが、自分勝手だということは確かであろう。
(田島毓堂)
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