私の百名山



甲武信(こぶし)岳(2475m)
文学部 中條 保


 先月号で北海道の中央、日高山系の主峰”幌尻岳”の事を書いたが、その時出会った九州唐津市に住む竹尾夫妻から便りが舞い込んだ。「昭和48年8月13日に旅行の途中で伊吹山に夫婦で登ってから、ついに平成10年7月28日の谷川岳登山で日本百名山の夫婦登頂を達成した。」という丁重な報告と礼状にテレカを添えて。山頂での仲睦まじいオリジナルテレカに一昨年の川渡りを思い出した。全百名山の山名、登頂日、所在都道府県名、高さ、山番号の一覧表。そして、標高差毎(立体高度表)の山名と高さを記入した一覧表が添えてあった。素晴らしい快挙に拍手を送りたい。それも夫婦揃っての登頂は珍しいのではないだろうか。ご主人は学生時代に山岳部に所属していたとはいえ、中断期が長いので社会人となってからの中年登山者である。40才から25年を経て完登したということになる。目標に向かって夫婦二人三脚の長い旅であったことが伺われる。「これからは少しのんびりと想い出多い印象深き山を、季節を変えて歩いてみようかと話し合っています。」と結んでいる。まさに、山有り、谷有りの人生そのものの形容にも思えて感心している。これからも大いに楽しんで欲しいものだと願っている。

矢張り百名山
 こだわることはないが、機会があれば矢張り登ってみたい山々である。山の先達が選んだだけはある。そんなこんなで、一つ一つ機会を作っては出かけることにしている。この夏の休暇に初めて妻を伴い信州の山に登った。日頃忙しく、車生活を余儀なくされている妻は運動不足で、内心、足手まといになることを恐れていたが、いざ、行くということになって、甲武信岳を選んだ。私の登ってない山なので、未知の山だが、季節は夏だから大丈夫。地図を購入し、ルートを確認し、何処から入るかを検討する。所要時間やルートは安全で登れそうか。山梨側から入るつもりが直前で長野県側から入ることにする。宿泊予定地の関係と地図で確認して変更した。

甲武信岳の位置
 甲州(甲斐の国)武州(武蔵の国)信州(信濃の国)の国境に跨る山であることから付けられた名前だ。それぞれ千曲川、荒川、笛吹川の源流を成す山としても有名で、千曲川”源流の里”として観光にも力を入れている。前日に甲斐大泉の宿に泊まって、翌日の早朝6時50分に宿を出発し、長野県南佐久郡川上村(JR小海線の「信濃川上」駅)梓山地区から入る。集落から北山麓を南に林道を登っていくと一帯は日本一の高原野菜の産地で、緑の絨毯だ。今は夏野菜の収穫を終え、秋野菜の植え付けに余念がない。今年の夏は高原野菜は豊作貧乏で価格が暴落しているという。広い高原一帯にレタスやサニーレタス等の緑の野菜が開墾された広い山麓に迫っている。野猿などからの被害防止用の有刺鉄線が畑の周囲を囲っている。

いよいよ登山開始
 畑を過ぎると林道は未舗装道路に変わり、狭い一車線の地道になる。カラマツ林の中に入ると一層細くなり、10分ほどで20台ほどの駐車スペースのあるモウキ平に到着したが、すでにいっぱいだった。かろうじて1台を樹間のブッシュの中に止められた。ほとんどはすでに登っていて、1台のみ到着したばかりで、これから登る準備中だ。私たちが最後になった。午前7時50分雨具と水筒、昼食、おやつ等の食料を持って登りにかかる。しばらくは、左手に千曲川の源流を見ながらなだらかな左岸の林道を行く。20分ほどで、十文字峠の分岐で「大山祇神社」の祠に出会う。かって、信州から武州への間道(山道)として養蚕などの製品が運ばれたという。地蔵や石碑が祀られている。大きなカラマツの林はやがてブナやコナラ、クルミ等の林に変わって行く。

順調に推移
 細君は、思っていたよりも弱音も吐かずに順調に歩いてくれた。川の流れは美しく、青く、白く、大小の石や岩の変化など見ていても飽きない。素堀のトンネルを過ぎて、昔の鉱山跡で小休止。やがて林道が終わると道は川を離れ、登りにかかる。ナメ滝の滝壺があるため大きく迂回しているのだ。ツツジやイタヤ楓などの落葉樹の低木帯を登っていくと再び小沢が現れ、水場には困らない。シラビソのこんもりと茂った森の中をワサビ田のような雑草を洗う豊富な流れに着いた。休憩を取っていると、もう下山してくる中高年の夫婦がいる。今朝6時頃から登っているという。それにしても速いペースだ。

千曲川源流の標柱
 11時30分、40cmほどの真四角の桧の標注が立っている源流に到着。高さは3mほどはあるだろうか。鬱蒼と茂ったシラビソの樹林帯の中で休憩する。源流には、滴り落ちる水を集めた水場が作って有り、これが最後の水場になる。そこからは、ジグザグを切って樹林帯の中を急登する。30分の登りで稜線に12時丁度に到着。ヒロシマから来たという中年男性の単独縦走者に出会う。金峰山(西の方)から尾根伝いに縦走してきたという。ここからは90度左折して東方の山頂に向かう。

甲武信岳山頂に達す
 12時30分、ついに登頂を果たす。細君は以外と元気だった。もちろん荷物は、ほとんど私が持ったことは言うまでもないが、自身の体を持ち運ぶことさえ大変だと思っていたので、内心ほっとする。待望の昼食もお預けにして、まずは周囲の景色を堪能する。南北、西の眺望良し。富士山こそ見えないが、乾徳、黒金、国師、金峰、瑞垣、小川、三宝の山々などが眺められる。  山頂には、15人ほどの先客がいて、食事の真っ最中である。空腹に何を食べても美味しい。昨夜のうちに田舎のスーパーで仕入れた食料を広げて、食べる楽しみも満喫する。13時15分、雲の湧き出した山頂を後にして、今朝来た道を順調に下る。まずは、一山、登頂成功である。

車での移動
 車での移動は、荷物の調節が直前に可能であることが、山登りの時に強みである。天気を見て、衣類の調節、雨具の調節、食料や飲料水の調節など、どれをとっても登る直前まで最小の荷物の所持で出かけられるのが嬉しい。下山してからの着衣の交換や飲食の補給なども車に置いておけば、いざというときに無類の効果を発揮する。とくに山深く、人里から離れていればいるほど、効果は大きく、安心である。
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教職員委員会 私の百名山
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