沖縄の旅報告



炎天下の沖縄からのメッセージ'98
工学部 矢田元彦

 基地のない平和な島を求めて旅した。強烈の太陽を心にして沖縄からのメッセージ'98を送る。
8月24日(月)
 12時30分、名古屋空港国内線2F・特別室に集合する。受付、ガイダンスあり。
 14時55分 名古屋空港発。JAL497便は、参加者50人乗せて17時10分那覇空港に着く。
 ホテル・サン沖縄までは、貸し切りバスで移動。
 ホテル・サン沖縄着17時30分。18時からはフリータイム、食事をとる。
8月25日(火)
 8時30分、ホテルを出発。貸し切りバスで、沖縄平和ネットワークの「うね」さんの案内で沖縄南部をまわる。
 南風原陸軍病院(はえばるりくぐんびょういん)跡地やアブチラガマ(糸数壕)を見学する。
 「うね」さんの語る南風原陸軍病院傷病兵の血生臭し思いに絶句する。
 「南風原陸軍病院は、軍医、衛生兵、看護婦の約350人のほか、ひめゆり学徒隊が米軍の上陸直前の1945年3月23日から配属された。219人の生徒たちは、戦場から担架で次々運ばれてくる傷病兵の看護にあたった。壕の中は暗く湿地していて、傷ついた兵隊のうめき声や血と膿の臭いがした。そんな中で生徒たちは手術の手伝い、包帯の交換、大小便の世話、死体の埋葬、飯上げ(壕から離れたところにある炊事場から食べ物を運ぶ事)、水くみなどの仕事をした。南風原陸軍病院を喜屋武半島に退くよう命令がでたのが5月25日。患者のうち、歩けるものは南部へ向かい、歩けないものは青酸カリなどで殺された。その数は約200人ともいわれている。これは敵の捕虜になることを許さなかった日本軍の考えからであった」。
 しかし、今は、南風原陸軍病院一帯は草木深く夏ウグイスの囀る平和な村環境である。 
 アブチラガマは、鍾乳洞であった。数百人の兵隊、学徒、傷病兵、避難民が約3ヶ月間過ごしたという。真っ暗なガマに向かって空咳をして闇の深さを測る。静寂の闇に滴の音が聞こえる。
 外に出ると黄色い太陽と草木の緑と赤のハイビスカスに向かって平和を実感する。
 摩文仁の丘、平和祈念公園見学。

 平和の礎(いしじ)、韓国人慰霊碑、平和祈念資料館など見学。広場の中央には「平和の火」が灯されている。「平和の火よ波よ 永遠なれ」である。
 14時30分、から魂魄の塔、海岸を見てまわる。
 15時30分から17時15分、ひめゆりの塔、資料館の見学。ひめゆりの講話を聞く。
8月26日(水)
 ホテルコンドミニアム・ゆがふいん備瀬に泊まる。この日もホテルを8時30分に出発する。
 中部・北部基地めぐり。普天間基地(嘉数高台公園)、嘉手納基地(安保の見える丘)、読谷村(ゾウの檻、補助飛行場)を見学する。9時〜12時。 日本国土面積の1%未満の沖縄に、米軍基地の専用施設の75%が集中している。戦後沖縄は、「太平洋の要石として位置づけられ、朝鮮戦争やベトナム戦争、中東湾岸戦争でも、米軍の出撃・中継・補給基地」としての役割を果たしてきた。
 普天間基地(嘉数高台公園)のすぐ近くには、沖縄国際大学や小中学校、住宅、商店が密集している。ほかにも補給基地や通信施設、訓練場などが島の各地に点在する。
 昼食は、座喜味城でする。石門に青ツタが覆い茂っている。
 午後からは、名護市に移動して、海上基地予定地近くで、現地の方の話を聞く。
 沖縄の自然、環境、開発について考える。
8月27日(木)
 ホテルコンドミニアム・ゆがふいん備瀬に泊まる。
 今日は終日フリータイムである。フリータイムを使って、朝9時発の船で伊江島に渡る。
 サイクリングして、伊江島の村、門の上にシーサを置く家、青いココナツの実、サルスベリや木槿やハイビスカスの垣根を左右に見ながら走る。
 ニャティヤ洞に立ち寄り記念写真を撮る。洞は自然の洞窟で沖縄戦では防空壕の役割を果たし、多くの人命を守ったことから千人洞とも呼ばれている。
 伊江島空港の広い滑走路を走る。にわかに黒雲、強風を伴い激しいスコールだ。全身びっしょり濡れながらサトウキビ畑に身を屈めて、にわか雨を通り過ぎるのを待つ。
 しかし、スコール後は、熱帯地方特有の洗礼に、空も海も草木の緑も一段と鮮やかに滴る。
 イータッチューと呼ばれ親しまれる島のシンボル城山に登る。標高172M。頂上からは田園風景の眺望は素晴らしい。ゴッホの絵画のよである。
 また、伊江ビーチで海水浴を楽しむ。潜れば熱帯魚が手に届く。枯れた珊瑚は白く光る。青い海は、しょっぱい。不思議に海の匂いはない。ここで、二度目の激しいスコールに遭遇する。
 スコールで濡れた体に海風をあて乾かしながら、「命どう宝の家」を見学した。「命どう宝の家」は、わびあいの里にある反戦平和資料館。沖縄戦で米軍が伊江島で使用した薬きょう、不発弾、模擬弾薬、軍用パラシュートや軍服、もんぺや、戦争中の生活用具などが展示してある。収集した戦争の実相を伝える資料は県の平和資料館にも匹敵するという。
 帰りは16時の最終船で本部港に戻った。
8月28日(金)
 ホテル:サン沖縄泊
 荷物をまとめてバスで那覇に移動する。本部から万座毛とガラス工芸館を経て那覇市内に向かった。 午後からは国際道り、公設市場を見学する。
8月29日(土)
 帰りはJAL496便12時10分発に搭乗する。基地のない平和な島を願って、強烈の太陽を心にして沖縄から帰ってきた。
 さあ、明日から頑張るぞ!


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教職員委員会 沖縄の旅報告
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