魔   言
−その26−



災害の記憶

   
  名古屋集中豪雨の後始末のラジオ放送を聞いていて、これは困ったなと思いました。こういうことです。被災地域の小学校だったか、中学校だったかの校長先生の話です。
  仰ることが分からないわけではありません。子どものことを思うあまりのことと思います。それはそうなのですが、やっぱり黙っているわけには参りません。この頃の子どものしでかす色々の事とも無関係ではないと思うのです。過保護の見本みたいなお話です。この頃は、何か災害があると、心のケアーの問題がいろいろ取りざたされるのは、それはそれで結構なことで、何も文句があるわけではありませんし、そこまで、世の中が進歩したのかと喜ばしい限りです。
  にもかかわらず、今日の放送の中での、校長先生のお言葉は、子どもに対する慈愛溢れるものとは思いますが、なお賛成できないのであります。
  それはこういうことです。アナウンサーがその校長先生から、色々の話を聞いた後、何を今一番願っているかということを聞いたことに対するこたえです。子ども達に、親がいろいろ心配していることをどうぞ知られないようにして欲しい、例えば、金銭的にも水害で大変になったというようなことを含め、親の苦労を子ども達に悟られないようにして欲しいというのです。
  確かに、いたいけない子どもに経済的な不安まで与えてはいけないのかも知れません。子どもには、幸せな家庭が必要なのかも知れません。しかし、子どもに現実を知らせることはもっと大事ではないでしょうか。今度の水害で大変な目にあったことは、紛れもない事実です。それを覆い隠すことは出来ませんし、それがいいことでもありません。あまりのショックを与えては気の毒なことはいうまでもありませんが、現実を直視することは、そういう現実を改善していくためにも必要なことと思います。その時しのぎの偽善は止めた方がいいと思います。言葉が過ぎたら謝ります。良寛さんの「災難に遭うときには災難に遭うがよきにてそうろう」の境地には至れませんが、現実から、目をそらすことからは、有益な何ものも生まれてきません。厳しい現実を経験し、それを直視するところから、何物かを得ていただきたいと思うものです。「家貧にして孝子出づ」ということは本当です。そういう実例をいくつも見ております。その反対が必ずしも正しいとは言えませんが、往々にして正しく見えることがあるのも事実です。
  人は、厳しい経験・大変な失敗から今後に役立つ有益な教訓を得てきました。それは何時の時代でも同じ事だと思います。求めて得られぬ機会です。奇貨おくべしとはこういうことをいうのではないでしょうか。こういう不幸な出来事から、我々は学ぶ必要があると思うのです。
  もちろん、何も不幸な目にあわず、すくすくと順風満帆で育った人にはそれなりの育ちの良さ、鷹揚さというものが備わります。それはそれで、結構なことであり、幸福であります。しかし、人生、そのように一生の間不幸に会わずに済むような人は稀です。不幸の時に、災害にあった記憶は役に立つと思います。そんなことは無いように願うのですが。戦中派は、戦後の混乱期に、親も子供に隠すにも隠せなかったひどい現実を経験したことが、生きる糧になっているのかも知れません。
〔T〕  


マニュアルニンゲン

  台風14号に刺激された秋雨前線の活動による集中豪雨のために、東海道新幹線が東京大阪間に七十数本立ち往生し、5万人近くが十数時間から、ひどい人は二十時間以上缶詰になってしまいました。大変な目にあったとしか言いようがありません。
  新聞報道によりますと、そんな中、車内販売の売り子は、相変わらず、「おみやげは如何ですか、……」とやって乗客の顰蹙を買ったといいます。考えてみれば気の毒なものです。彼らはそれ以外のことを言うことを教えて貰っていないのですから。
  それはともかくとして、もっとひどいのが、もっと上の人達です。お役人様みたいな人達です。もうすぐ駅、というところで、何時間も待たされ、挙げ句の果ては停電して空調も利かない車内に閉じこめられた方々達こそいい迷惑です。列車運行の規則というか、コンピュータに組み込まれた指示のためか、雨量が一定限度を超えると動けない事になっていますし、列車の間隔によっても身動きがとれなくなります。しかし、その時、マニュアル通りにすればそうせざるを得ないかも知れませんが、生身の人間に立ち返って行動したらどうでしょうか。勿論、規則通りにしておれば、後から何と言われようと、規則に従って…と言っておけば済むでしょうし、当面、それ以上、責任を追及されることがないかも知れません。しかし、そこには、生きた人間が感じられません。何時間も止まっている列車を最寄りの駅まで動かす智恵はないのでしょうか。マニュアルばかりが気になって、乗っている人々は眼中にないのでしょうか。この場合、止まっているのを動かしても何も危険はなかったと思います。とうに雨はやんでおります。規則通りにしておけば、落ち度はないのでしょうが、鉄道を預かっている人には親切心というものはないのでしょうか。
  避難所の食事も大変なことでしょうが、今回のような場合、出水したところは大変でも、雨も収まり、周りは平穏を取り戻しています。多勢の食事が大変なことであることは充分分かりますが、マニュアルに従ったのでしょうか、乾パンが配られたというのに新聞記者さえ驚いていました。如何にも役人、災害時は乾パンと、決まっているのです。
  それでいて、というか、関係ないのかも知れませんが、就職試験が始まって、会社は、自分の頭で考えて行動できる人を求めているなどと言っています。自分で考える人はみんなそっちに取られてしまうのかしら。
  しかし、こういうことは何もこれに限りません。大学の会議でも「要項に従って決めましたので…」と説明して、従うのが当然ということがありますが、そもそも、その要項なるものが現実に合うのかどうか、そんなことはお構いなしなのです。基本を間違えているのです。困った人は何処にもいるのです。そんな人ばかりが多い世の中、益々ぎすぎすして来るような気がします。人間味のある配慮、人間であるからこその対応をしなければならないと思います。これは、機械やコンピュータには出来ないことです。
(T)  



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