報告
いま、問う「沖縄」
オキナワの旅(第1回)

(文と写真) 矢田元彦

米軍が最初に上陸した場所。左方遠くに北谷(Chatan)が霞む。


 今年の夏も、「オキナワの旅 2000」が8月24日(木)から29日(火)までのスヶジュールで実施された。
 参加者は、41人であった。今年の衝撃は沖縄平和ネットワークのボランティアガイドの大野實久さん(62歳)から多くのことを学んだことだ。参加者の多くも感動されたことだろう。
 本報告は、行程を縦糸に、鼻ひげを生やした大野さんの説明された話を横糸にして第1回の報告を届けよう。
 また、感想や印象などを文様として、時々描いてゆきたい。

1日目 8月24日(木)
 13時 名古屋空港に集合する。女性23人、男性18人。平均年齢23歳ぐらいであろうか。われわれ教職員を除けば、平均年齢20歳前後であろうか。華やいだ雰囲気がガイダンスの会議室を満たす。少し場違いの感を否めない。
 若い男女たちは、楽しいピクニック気分である。受付、諸注意、自己紹介などがあって、15時10分JAL497便で飛び立つ。下界は雲の中。過去・現在の「沖縄!」を実感したい。感慨無量の気持ちで胸がはちけそうになる。
 17時25分着 那覇空港に降り立つ。暑い名古屋で慣れた体でも、蒸し暑く感じる。直ぐに、貸切バスでホテルに移動する。
チェックイン後は、フリータイム。

2日目 8月25日(金)晴天
 8時 ホテル発。 貸切バスで南部戦跡を目指す。車中にて大野さんの話を聞く。「皆さんは、沖縄の特徴は何か知っていますか。4つある。1つは、オキナワの気候は亜熱帯である。2つ目は、沖縄は民族支配を受けた国民である。3つ目は、伝統文化を守り発展させている。4つ目、古典芸能コンクールが盛んである。ここで注目して欲しいことは、2つ目、東京を権力の中心におく日本人は、琉球の人々にとっては、ずっと「加害者」であることです。薩摩の支配、明治の琉球処置、沖縄戦、そして現在の米軍基地・・・」の話に及んで、かって、愛知教育大の野田さんの文章が思い出される。内容はこうであった。「沖縄の悲劇は、1609年に薩摩藩が琉球王国を征服したことに始まる。その結果、大和対ウチナー(オキナワ)が生まれ、明治維新によって薩摩藩の権利を継承した明治政府の時代になっても支配が続く。このため、天皇制集権国家に同化させることが強要され、いっさいの地域に根ざした文化遺産を否定し、もっぱら中央権力に身をゆだねていく権力指向を植え付けられてきた」と。さらに、大野さんの話は続く。「今もって米軍の支配化にある「オキナワ」を見たとき、あなたはどう思いますか。「オキナワ」に米軍基地を集中しておいて、その理不尽さを「オキナワ」の人々だけに覆いかぶせ、大多数の日本人から米軍支配の理不尽さを隠蔽している・・・・」。
 41人乗せたバスは、静寂になる。バスは、黙々と自衛隊空路までの58号線軍用道路を快適に走る。突然、大野さんは歩道橋を指差して、「前の歩道橋の地上高は、何メートルあるか、知っていますか?高いでしょう」
 「さて、45、いや450、そんなには高くはないだろう」。皆さんは知っていますか。  「なぜ、こんな高い歩道橋をつくらなければならないか!」
 いま、問う「沖縄!」。

激戦地「嘉数高台」
 乙女らは、紫の露の花を手折りて朝の嘉数高台(かかずたかだい)を登って行く。
 高台に立つ大野さんの指さす方向には、北谷、読谷の海岸が青く見渡せる。
 「ここは、1945年4月1日、米軍が沖縄本島で最初に上陸したところです。この一帯は、沖縄戦でもっとも激しい戦いをしたところです。嘉数では、自然の洞窟を利用した陣地をつくり、4月8日から16日間にわたって一進一退の戦いを繰り返したところです。夜になると、穴に潜んでいた日本兵が、爆雷をかかえて体当たりする攻撃で、両軍に多くの戦死者がでました。兵隊だけでなく、嘉数部落の住民や朝鮮人の〈軍夫〉も弾薬運びや陣地づくりをさせられました。ここで特に〈沖縄は可愛そうとおもいますか〉アナタたちの地方にもこのような人々がいて、朝鮮人たちが陣地づくりなどを強制労働させられていたんです。そして、たくさんの犠牲者がでました。
 嘉数部落の人々もそのような人々に支えられていました。嘉数部落の人々は、日本軍の陣地があることで自分たちの家や命を守ってもらえると思っていましたが、そうではなかったんです。嘉数部落では半数以上の人々が亡くなり、一家全員死んでしまった家が3分の1にものぼりました。ここの嘉数公園近くにある民家の塀には、今も弾の痕が生々しく残っています」
 いま、ここ嘉数高台(かかず たかだい)は、公園になっていた。そして、韓民族出身者をまつった「青丘の塔」が、澄んだ青空のもと、いよいよ青くそまっていた。
(つづく)  

ああー赤花や 咲いても咲いても 帰らぬ日  元彦



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教職員委員会 オキナワの旅
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