投 稿


外国人学校卒業者に名古屋大学の入学資格を
(理学部 原科 浩)


 去る7月21日、愛知朝鮮中高級学校高級部の生徒3名が、名古屋大学への入学資格(ひらたく言えば受験資格のこと)の認定を求めて要請書を提出しました。昨年は入試制度検討委員会の議題となりましたが、結果的には認められませんでした。なぜ毎年同じことが繰り返されているのでしょうか。

外国人学校とは
 外国人学校とは、主に在日外国人のための教育を行う日本にある学校のことです。最も多いのは朝鮮学校で、他に韓国学校、中華学校、インターナショナルスクールなどがあります。これらの学校のほとんどは、正規の「学校」(学校教育法第一条で定められるもので、しばしば「一条校」と呼ばれる)ではなく、「各種学校」とされています。「一条校」として認められるには、検定教科書の使用、学習指導要領に準拠した教育が求められます。それでは、自らの民族または国の言葉を用いて歴史や文化を学び継承発展させる教育(民族教育)が十分にできないので、「各種学校」という地位にあまんじているのです。

大学入学資格もない
 「一条校」でない外国人学校で学ぶことは、一方でさまざまな不利益を生じます、高等部を卒業しても高等学校卒業資格はなく、大学を受験することことができません。
 しかし、公立および私立大学は既にそれぞれ半数以上が、独自の判断で入学資格(受験)を認めています。(自然に認められるようになったのではなく、長年にわたる運動の成果です。)それは、歴史や言葉などでは独自の教育を行いながらも、その他(数学や理科など)の授業内容や時間数が日本の「一条校」と同程度であるので、「大学において…、高等学校を卒業した者とと同等以上の学力があると認めた者」(学校教育法施行規則第六九条第六号)として入学資格を認めているのです。
 ただし文部省は、この規定は死文化しており、これに基づいて」大学入学資格を各大学で判断はできないという立場をとっています。それを従順に守っている国立大学はいまだ一校も大学入学資格を認めていません。

ダブルスクールで「大検」受験
 国立大学に進学を希望する外国人学校生徒は、「大学入学資格検定(大検)」資格を取得しなければなりません。しかし外国人学校生は、「大検」受験に必要な中学校卒業資格さえありません。独自の判断で入学を認めている定時制・通信制の高校に二重在籍(ダブルスクール)して「大検」受験資格を得なければなりませんでした。
 この事情が、昨年若干変わりました。1998年に京大大学院で朝鮮大学校(「各種学校」)卒業生の大学院受験を認め合格者を出したことを皮切りに、この問題が社会的にも大きな注目を集めました。この流れが大学(学部)に及ぶことをおそれたのか、文部省は昨年の7月、(1)大学院は大学独自の判断で認めてよい、(2)学部は独自の判断はだめ、そのかわり「大検」受験資格から中学卒業の要件を除く、との変更を行いました。

「大検」受験でなぜだめか
 「大検」が受験できるようになれば問題が解決するのでしょうか。たしかにダブルスクールをしなくてよくなったのは一歩前進のようにも見えます。しかし外国人学校から大学を受験するためには、必ず「大検」というハードルを越えなければならないことに変わりはありません。日本の「一条校]とほぼ同程度の教育を受けながら、なぜ「各種学校」であるという理由で、11科目に及ぶ「大検」を受験しなければならないのでしょうか。
 文部省は諸外国を調査した結果から、「外国人学校の卒業のみにより所在国の大学入学資格を認めている国はないに等しく、卒業に加えて…全国的な統一試験での成績等の要件を満たせば大学入学資格を取得できる国・州等が多い」として、「大検」を課すのが相当と結論しています。本当にそうなのでしょうか。報告にある多くの国では高等学校を卒業する際に全国的な統一試験で卒業資格を認定します。その試験を外国人学校の生徒も平等に受験できるのです。外国人学校の生徒にだけ別の試験を課すような差別をしている国は日本の他にほとんどないことを文部省の調査も示しています。外国人学校の卒業者も「一条校」の卒業者も同じ制度で受験を認め、その成績で合否を決めるのが当然ではないでしょうか。

複線化の流れからも排除
 大学院の入学資格の弾力化に際しわざわざ、「学部段階の教育が初等中等教育段階における学習指導要領を踏まえた体系的なカリキュラムに基づく基礎的な学力の修得を基礎に展開されるものであること」を理由に、個別審査により大学入学資格を認めるべきでないとわざわざ断っています。そう言う一方、すでに専修学校(高等課程)の修了者には「大検」なしで大学入学資格が認められるようになっているのです。専修学校は「一条校」ではなく、学習指導要領はありません。このように文部省自らが、大学受験の複線化に道をつけているのです。ところが外国人学校については、専修学校になれないように除外条項(学校教育法第八二条の二)を設けて排除しているのです。

権利としての民族教育
 民族教育の歴史は、日本敗戦によって解放された朝鮮人が、日本の植民地統治によって奪われていた自らの言葉や文化をとりもどす努力からはじまりました。しかし日本政府やGHQはそれを支援するどころか弾圧さえ行いました。いまでは、日本も批准している「国際人権規約」をはじめとする国際人権諸条約の中で、民族教育は権利としてうたわれており、日本政府もそれを誠実に実行する義務があります。ところが、民族教育を実施する教育施設としての外国人学校を正当に位置づけて支援する行政施策を怠ってきています。

平和を創り出すために
 この在日外国人への差別的な制度を支えているのは、露骨な民族差別意識というより、少数者への無関心ではないでしょうか。『名古屋大学平和憲章』には、「大学における学問研究は、人間の尊厳が保障される平和で豊かな社会の建設に寄与しなればならない」と宣言しています。平和な社会の建設は、和解をつくり出す歩みです。私たちを隔てている壁を見出し、それを具体的に壊していくことを通して、互いの存在にしっかりとまなざしを注ぎつづけることが必要ではないでしょうか。大学における知の営みが、そこに向かって押し出してくれる力となると信じています。
 文部省は在日外国人生徒の人権を無視しつづけています。国が設置者であることを理由に、その施策の言いなりになることは『平和憲章』の理念にも反するのではないでしょうか。今年こそ名古屋大学が勇気を示し入学資格を認めることを期待します。みなさんもぜひ注目していて下さい。
*************
〈参考資料〉
「外国人学校生の大学受験 門戸は開いたか」田中宏 世界1999年9月号

「朝鮮人学校の資格助成問題に関する人権救済申し立て事件調査報告書」日本弁護士連合会人権擁護委員会1997年12月(在日本朝鮮人教育会編で冊子として発行されている)

「外国人学校卒業者の名古屋大学への入学資格を求める会」ホームページ
http://www.page.sannet. ne.jp/harashin/juken/

  前頁                次頁  
教職員委員会 投稿
kyoshoku-c@coop.nagoya-u.ac.jp