ひとりごと −その4−



新潟県警の不祥事から浮かび上がる日本警察の歪み


 少女誘拐監禁事件で浮かび上がった新潟県警の不祥事は、単に警察組織の実態が暴露されたにとどまらず、どのような警察を我々が望んでいるのかという問題を提起したのではないだろうか。
 新潟県警は、現場責任放棄とことなかれ主義が生んだ醜悪な「なれあい」「もたれあい」によって、現実に起きている事件を放置し、自己保身のためにうそをつき、事態を悪化させた今もなお、責任の所在を明らかにできない。どれを取っても呆れ返るばかりである。
 神奈川県警の不祥事以来、警察に対する風当たりが強くなっていて、運が悪かったという「偉い人」にも呆れ返ってしまった。
 かけ麻雀の景品が図書券で、それも一人が出したのだから賭博にはあたらないとする「見解」も潔くない。
 掛け麻雀やかけゴルフなど、普段から接待の道具として使いこなしている方々には「言いがかりだ・・」と思われるかもしれないが、法律によって取り締まる側の警察のトップがこうしたことに無頓着では、歯止めがきかないことは明らかであろう。
 以前から治安警察の重視して、反体制と目される民主団体や市民運動のリーダーに監視の目をひからせる一方、坂本弁護士一家を惨殺したオウム真理教にはノーマークで地下鉄サリン事件まで行ってしまったことは記憶に新しい。
 市民の安全と平和な暮しを守ってほしいという我々の要求は届くべくもない。
 もう10年以上も前のこと、僕は北千種公園でしばしば天体望遠鏡を出して、星空観察を楽しんでいた。ハレー彗星も都会の真ん中で良く見えた。
 しかし、真夜中に公園の暗がりに潜む姿はよほど怪しいのだろう。いわんや、望遠鏡が水平近くまで傾いていれば、痴漢か覗き見か!と思われても仕方ない。
 よく早合点され、近くの交番のおまわりさんに職務質問を受けたものだ。
 星をみているんだよなどと説明してもなかなか理解してくれないので、そのばで土星や彗星を見せると、ようやく納得してもらえる。
 若い率直なおまわりさんは自分の目で初めて土星の輪を見たと言って大喜びしてくれた。以後、度々会って、星座の見方を聞かれたりと、時を忘れての星空散歩となった。このときのおまわりさんは気立てのよい好青年で、学童保育での餅つきにも飛び入りで参加してくれたものだ。
 ところが、いつだったか、いつものように餅つきに来ませんか、とお誘いすると、申し訳なさそうに断られた。訳を聞くと、特定の地域住民と仲良くなりすぎてはいけないと上司にお叱りを受けたとのこと。つまり、学童保育というのは左寄りの集団であり、そうした者と親しくなってはいけないということなのであろう。治安警察重視の上層部には学童保育さえ危険な団体に見えるらしい。可哀相に、そのおまわりさんは心ならずも他の地域に替わられたということを聞いた。
 しかし、我々にとっては、このおまわりさんは、実に理想的なおまわりさんだったのである。親しみやすく、子供たちからも人気があった。このような人じつに得難いと思うのだが、そうした人が肩身の狭い思いをしていることは、実に残念である。
 いま我々が目にしているのは、体面や自己保身しか見えない衆悪な面々である。公園のおまわりさんとの落差の大きさが、今の警察問題の根深さなのだろう。
 警察を良くするには民主化して労働組合でも作らないとだめだね・・・だどと考えていたが、昨今の戦わない労働組合ではできても一緒だなどと言われると、批判精神のない組合ではだめだなあ、と考え込んでしまう。
(理・河合利秀)


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