ニュースに一喝
−その21−


 時 効  


  最近、グリコ・森永事件について全部が時効になったという報道があり、残念の一語に尽きるというグリコの社長の談話。
  そもそも、時効とは何だ。こんな、刑事事件について、15年捕まらずにいたから、それですべてが帳消しに成るというのは一体どうしてなんだろう。何か根拠はあるのだろうが、どうも解せない。その明くる日に、犯人が名乗り出ても、もう罪が問えないのであろうか。少し前には、時効すれすれに捕まった殺人犯が居た。一生懸命変装しながら生きてきたが、ついに捕まった。しかし、此も、警察が捕まえたのではないことだけは言い添えておかねばなるまい。
  物を借りて、長い間返さずにいて、もう時効だと言うことはよく聞く。長年に渡って、請求もされなかったのだから、貸した方ももうどうでもいいということで時効というのは分かりやすい。不動産などで、勝手に使われていても文句を言わずにいると根こそぎ権利まで取られてしまうというのもよく聞くことだが、上のことと同じなのだろうか。要するに、取ったものが勝ちなのか。
  領収書など、取引に関することが、3年とか4年で時効になるということは分からないでもない。3年も4年も経ってしまえば何がなんだか全て曖昧になってしまうことは十分理解できる。
  ただ、しかし、凶悪犯罪などにこんな時効ということは、どうしても合点が行かない。長らく、不便でビクビク暮らしたということの褒美なのだろうか。やはり合点がいかない。捕まえる方がくたびれて嫌になっちゃったということなのだろうか。どうもそんな気がしてならないが、果たしてどうなのか。

バイリンガル(Bilingal)


NHKのテレビ放送を見ていると、時折、字幕に「Bilingal二カ国語放送」と出てくる。その度に 「二カ国語」という言葉に、強い違和感を感じる。「二カ国語」というより、その「国語」というのに違和感があると言った方がいいのかも知れない。日本語と英語をいうのだろう。人によっては、それがどうした、いいではないか、と特に問題にしないかも知れない。
  ひょっとしたら、特に問題にしない方が問題かも知れない。日本語は確かに、日本の国語だ。英語も、イギリス・アメリカ・オーストラリアをはじめとする、多くの国の国語である。この「国語」というのはその国の「公用語」のことを指す。国によっては、憲法で国語を定めている所もある。「二カ国語」というとどうしても、この「国語」の観念が思い浮かべられる。
  私は、比較語彙研究などということを提唱して実践もしているが、中に「日中二カ国語の語彙の比較研究」などと言う学生が居るが、「日中」であれ、「日韓」であれ、「日英」であれ、この「二カ国語」という表現は厳しく拒否する。決して「国語(=公用語)」の語彙の比較研究ではない。二つの「言語」の語彙の比較研究なのであるから。そんなに、細かな用語にこだわらなくてもと言う人もいようが、いやしくも言葉を研究しようとしている人が、そういう大事な「用語」に鈍感であっては困るのである。その意味で、NHKの用語は問題だ。放送にとって、言葉は最も大切にしなければならぬものの一つである。
  なぜ「二言語放送」といえないのだろうか。
(T)  

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教職員委員会 ニュースに一喝
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